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銀色の刃を手首に突き立てる。キラリキラリと、部屋の照明を反射する文房具。力を込めてスパッと横へ滑らせる。たちまちの内に皮膚が左右に割れて、中から白い皮下脂肪が申し訳なさそうに顔を出す。次いで、真っ赤な血が滲む。点のようにぽつぽつと涌き出たそれはじわじわと皮下脂肪を覆い、やがて皮膚を蝕むように表面へ溢れ出てくる。ふるふる震える紅い露は遂に収まりきらず、するすると重力の赴くままに下へと降りて行く。

目みたいだな、と、越知は思った。皮膚が裂けて、まだ血があまり吹き出さない段階の、中の白いものが見えた状態が、細い目みたいだ。こちらを覗いている目みたい……。
血はどんどん溢れる。大きな玉の粒になって、あっという間にこぼれて、下へ落ちて、温もりを引きながら体から離れる。それがまた泣いているみたいだと思う。体が血液という涙を流しているように感じられる。

越知の手首や腕には、もう既に沢山の目が開いている。どれもみんな紅い雫を流して、ぽたぽた、ぽたぽた、泣きべそをかいている。青い瞳からは何も滲んでいないのに、紅い涙は、たくさん、たくさん、溢れている。

俺の代わりに泣いてくれ

泣くのには体力が要ることを、越知は知っている。しゃくりあげて、嗚咽を漏らして、涙を拭うには割りと気力も消耗するものだ。
だが今は泣けるほどの体力なんてない。泣けてたらどんなに楽だったかなど知る由もない。最後に頬を透明なもので濡らしたのはいつだったかすら曖昧で、でもカッターを滑らせた記憶は明確だった。

紅にまみれた左腕に視線を落とす。気力のない乾いた視線。それに応えるように、更に更に紅はぽたぽた流れ行く。

自分が憎かったのだ。

自分が大嫌いなのだ。

不自由なく暮らしているのに、恋人……風多とも同棲できているのに、仕事もできているのに、夜になると憂鬱になってしまう自分が大嫌いなのだ。
友人にも恵まれて、恋人も居て、職場もあって、居場所もあって……不満をつけるところなんてない幸せな環境に囲まれているのに、憂鬱になってしまう自分が嫌だ。幸せを幸せと感じられない自分が嫌だ。そして、たかがこんな事で弱音を吐く情けない自分が大嫌いだ。

カッターを持ったまま両手で頭をかきむしる。首に、微かな切り傷が何本かできた。目から溢れ出す血液が髪に付着し、頬を濡らし、淡くそして強い鉄の臭いが鼻を突いた。唇を思い切り噛み締めながら頭を貪る手を勢いよく下ろす。ふう……と息を吐き出し、また目と瞳を合わせた。

顔の目は心を映す鏡だ。
だが、腕の目は体を映す鏡だ。

体はこんなにも泣いているというのに、俺の心は何て非情なんだろう。……いや、違うな、体は泣きたくて泣いているわけではない。心が体を泣かせているのだ。それも、わざと、わざと傷つけて泣かせている。
何て意地悪だろう、この精神は、心は、脳ミソは。
それでも願ってしまうのだ。体が泣くことを。声をあげて号泣することを。
俺が泣けないから。心が渇いてしまったから。この体が潤うことを望んでしまう。


ああ 俺の体よ 俺の代わりに泣いてくれ

真っ赤な涙を 流してくれ

透明な 暖かい雫の代わりに

紅くて 錆の臭いのする雫で

澄んだ 清い玉粒の上から

濁って 穢れた色の犠牲で

全て 全て流しておくれ

泣いて 泣いて 泣いておくれ

苦しみを 悲しみを

渇きを癒して 寂しさを紛らわして

泣いて 泣いておくれ


俺の体















そうしてまた、目が開く。

真っ赤で寂しげな目が開く。

おいおいと泣く。


それの繰り返しだ。







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