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テニスは、もう辞めた。
中学に入って、ゆずは部活でテニス部を選ぶことはなかった。幼馴染の幸村にひどく残念がられたのを、よく覚えている。真田も珍しく“本当に続けないのか”と問うてきた。正直言うと、2人の視線が痛かった。真剣な眼差しだったからだ。だからこそ目を合わせずに、もうできないとだけ言い残して去っていった。
2人の意見を押し切って、ゆずは美術部へ入った。呑気に気ままにスケッチをしていれば終わる部活だったからだ。厳しくもないし顔を出すのも自由。そんなゆるい美術部で、ゆずは居場所を作った。

ゆずがテニスを辞めて、もうすぐで2年が経つ。
幸村真田とは相変わらず話す仲ではあったが、テニスのことは話題にしなくなっていた。いつしかタブーのようになってしまっていた。もうこれからその話題に触れることはない。そう、思っていた矢先だった。
ゆずに、転機が訪れたのは。








幸村が全国大会優勝の賞状とメダルを持ってゆずの前に現れたのは、放課後に帰りの支度をしていた時のことだった。スクールバッグの持ち手を無理やり背負って、さあ帰ろうと言う時に、幸村はニコニコと笑みを携えてゆずの机にやってきた。

「見て見てゆず!全国大会優勝したよ」

パッと賞状を広げて、自分より少し背丈の低いゆずに見えやすいように傾けた。輝かしい金色のメダルは首にかけている。

『おー、すげーじゃん。おめでとう』

「みんなのお陰で、このメダルをかけてもらうことができたんだ」

『そりゃ応援した甲斐があるな』

「この調子で、俺らは3連覇を狙うよ」

『さすが、幸村サマサマだな』

全国。その重みを背負う目の前の男は、重圧など感じていないのだろうか。とても軽やかな笑みを浮かべていた。立海の名前は既に轟いているのに、この幼馴染は更に上を目指すのだという。奴の向上心は計り知れない、5歳の時から彼を知っているからこそ、何も変わらないのだなとゆずも微笑んだ。自分もそこそこテニスを極めてはいたものの、辞めてからは自分は変わってしまったから、少し羨ましく感じる。

「ゆずも女子テニスに入ってれば、全国優勝できたかもよ?」

唐突に、ゆずもと言われて彼女は瞼を跳ね上げた。今考えていたことを見透かされたようで少し身構えた。

『いやー……無理じゃないか?流石に』

「そんなことないよ、俺と真田と打ち合ってた仲じゃないか」

『まあそうだけど、もう辞めちまったしなぁ。ラケットもユニフォームももうボロボロ。また始める気はないよ』

「そっか……残念だな」

眉を軽く八の字に捻った。幸村はゆずの実力を知っているからこそ誘ったのだが、生憎この子はもうテニスを諦めているのだろう。おそらく……いや高確率で辞めた原因と関係があるのだ。
幸村は、生き生きとボールを追いかけるゆずが好きだった。ひと口に好きと言ってもそれは恋愛ではなく、人として友人として好きだった。だからこそ賞状を見せて、自分ももう1回テニスやりたい!と言ってもらいたかったのだが……どうやら失敗のようだ。何度も何度もボールに食らい付いては打ち返してくるゆずの輝いてたあの目は、今ではもうすっかり面影がない。目の前のこの女は、ガラの悪い半開きの目で幸村を見続けていた。
丁度その時だ、教室にジャージ姿の真田が入ってきた。彼はキョロキョロと周りを見渡したのち、賞状を持って会話してる2人を見つけてずんずんと歩いてきた。突然テニス部のビッグ3が2人も集まれば教室内がざわつく。もう1人のビッグ3である柳蓮二は、とうに教室を去っていたが。

「幸村、こんなところにいたのか」

「ああ、真田。ゆずに賞状を見せたくてね」

真田が机の前にやってくる。こいつも5歳の頃から知っているのだが……昔の面影はどこへやら、すっかり屈強な顔つきになった。

「そうか。……今日の練習はどうする?監督は一応休みとしているが」

「うーん、個人的には自主練にしようと思っているよ。テニスしたい子の方が多いだろうし」

「分かった、なら一足先に……」

真田が2人に背を向ける直前、幸村の大きな手が彼の腕を掴んだ。同時にゆずの方へ目を向ける。その顔は、さながら悪戯を思いついた子供のようにイキイキとしている。嫌な予感がしたゆずは逃げようとしたがもう遅い。

「そうだ、ゆずも打っていこうよ!」

『エ゛ッ』

「今日は自主練だし、いつも監督はいないから。いいでしょ?」

固まってしまった。真田も正気かと目を見開いていた。
目の前の笑顔の男は、女子である私を男子テニス部のコートへ引き入れようとしているのだ。それは一体どうなんだとも思ったが、生憎男子テニス部のメンバーは、王者に君臨する幸村の提案を誰も断れない。つまり、ゆずと打ち合いをしようと言えばそれが実現してしまうのだ。
あとはゆずの意志次第だが、お花が舞うほどのニコニコ顔を断るのは流石に良心が許さない。テニスを辞めた身としては複雑だが、しょうがないなと返すしかなかった。




ゆずは、初めて男子テニス部の部室へとお邪魔することになった。それも幸村と真田のエスコート付きで、だ。
うわ、最悪。内心でため息をついた。この2人から丁重な扱いでここに連れてこられては、部員に何だ何だと目をつけられるだけなのだ。断っておけばよかったかもしれない、と虚な瞳でロッカーの前へ立った。幸村がガチャンと戸を開き、中に入っていたテニスバッグを漁った。

「ゆず、俺のラケット使っていいよ。制服だと動きづらいかな。ジャージ貸そうか?」

幸村がいつも使ってるラケットを渡される。妙にグリップが馴染んだ。そうだ、こいつとは昔からグリップテープの好みが似通っていたんだ。

『あー……制服でいい。スカートの下は守りが固いしな』

「そう?じゃあ、コートにいこっか」

再びルンルンと歩き出す幸村のシャツを掴んだ。彼が振り向くと、ゆずは神妙な面持ちでラケットを抱えていた。

『今更だが幸村、私がテニスを辞めた理由知ってるだろ?』

唸るような視線だった。あいも変わらず柄の悪い目つきだ。しかし幸村はものともせずケロッとしている。かと思えば、それに負けず劣らずのしなやかな笑みを返した。

「知ってるよ、嫌いになったから辞めたわけじゃないってこと」

えも言われぬ威圧感に、ゆずは一瞬押されかける。こいつ、私の内心を全部わかっててここに連れてきたのか。私のこの気持ちを全て知っているのか。

「俺でもいいし真田でもいい。たまには軽く打ち合いしよう?昔みたいにさ」

“昔みたいに”。そんな言葉から脳裏に蘇る記憶。幼馴染と言えども3人だったから、初めて交代交代で打ち合いをした夕暮れの夏の日。立てなくなるほど駆け回って、帽子が落ちるほど動き回って、ヘアバンドで顎から滴る汗を拭って。楽しかったね、なんて笑い合って。また明日ね、と手を振って。次の日も練習が終わってからまた3人で集まって、打ち合いをして、ヘトヘトになって帰る。そんな日々がとても楽しかった記憶。……もう、戻ることはできない関係。
切ないと言えば切ない。自分はテニスを1度辞めた身なのに、目の前の2人はその更に上を目指して日々歩んでいる。その差は歴然としている。ついていける筈なんてないのに、友人だからと打ち合いに誘ってくれるその優しさ。
ふと真田の方を見ると、帽子のつばの下で困ったような、それでも優しげな目をしていた。それはさながら下の子のワガママを聞き入れる兄のような目だった。元はと言えば幸村の無茶苦茶な提案だが、きっと真田もゆずと久しぶりに打ち合いたいと思っているのだろうか。当の幸村本人は、もしかしたら面白半分かもしれないが……それでも2人に大切な友人だと思われているようで悪くなかった。

『……ほんっと、しょーがねぇな』

目の前の男たちに、幼かった時の面影を重ねる。体力でもパワーでもスタミナでも、もう勝てないだろう。ゆずがスマッシュを決めて真田がこけるなんて、ゆずがロブを打って幸村が追いつけないなんて、これからはきっともうないだろう。それでもまた、あの夕焼けの日のように誘ってくれるなら、断る理由なんてなかった。

『私をまたテニスに引き摺り込もうとしたこと、後悔させてやるよ』

ラケットを左手で握りしめた。不敵な笑みを浮かべたゆずはラケットを担いで部室を出ると、真田と幸村を引き連れて男子テニス部のコートへと入っていった。



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