始まりの終わり

小さい頃、私はお気に入りのタオルを手放さなくて、親が洗濯にも困るほどだったという。それほどモノに対しては人一倍執着心が強かった。それが原因なのか、それとも自分の特質が先だったのか。
保育園を卒業して、素敵な赤いランドセルと文房具一式を母親に買ってもらった。筆箱も鉛筆も消しゴムも、全部自力で選ばせてもらえて私は張り切っていたのだ。勉強は難しくないかな、お友達は出来るかなぁ。今はクールだとか、冷めすぎててちょっと怖いだなんて揶揄される私にも幼いときは当然あった。これはそんな幼かった私が、人と異なるそれを自覚した始まりのお話。



お母さんに買ってもらったランドセルを背中にしょってみせると、おばあちゃんは喜んでくれた。私はランドセルを背負ったまま、階段を駆け上がる。つい先日、私用に改装してもらった部屋は二階にあった。可愛い桃色のカーテン、淡い黄色の布団が乗ったふかふかのベッド、ピカピカの学習机。私はそれがまた嬉しくて、そのままその場でくうるりと一回転した。嬉しい、嬉しい。今まで両親の部屋で、ツインベッドの真ん中で寝ていた私の、私の部屋。これからずっとここでおはようをして、勉強をして、遊んで、お休みをするの。ごろんとベッドの上に寝転がって、今日買ってもらったランドセルから文房具を出した。
水色の筆箱だった。キャラクターものの筆箱も可愛かったけれど、私は音符が並んだ楽譜みたいなこの筆箱に一目ぼれをした。筆箱を指先でなぞりながら、別段返事を期待するわけでもなく私は笑う。
「これから、ずうっとよろしくね!」
それは、例えば植物に対して話しかけるようなものだった。返事が来ないのが当然であるし、ただ話しかけた方がよく育つと聞いているから。ほんの少しだけ”もしかしたら分かってくれるのかもしれない”なんて、そんな幼いファンタジーな気持ちを抱いて。

ポンッ!!!とポップコーンがはじけたような音を立てて、それは起こった。ぐぇ、だなんて変な声が自分の下から聞こえて。
「えと、その、僕のほうこそよろしく…です」
水色の髪に八分音符の形の髪留めをした、私より少し大きな男の子。私を見上げてふにゃふにゃと笑う彼に、自分が思いきり乗っかってしまっていることに気付いて私は飛び退いた。

彼は自分を筆箱だという。私はそれをそのまま信じた。たしかに、そこら辺を探しても、さっきまで指でなぞっていたはずの筆箱が見当たらない。今までこんな綺麗な髪色をした男の子と出会ったこともなかった。その眼もやはり深い蒼色で、まるで宝石のようだ。極めつけは軽さだった。私が飛び退いたのは、乗っかるにはあまりにも心許ない華奢さに驚いたからだと言ってもいい。試しに持ち上げようとすると、私よりも一回りぐらい大きいのに、彼は簡単に宙に浮いた。人というにはあまりにも軽すぎた。本当に、さっき手にしていた筆箱の重みと対して変わらないのだ。
筆箱がひとのかたちをするなんて、聞いたことがない。でもそれは、妖精と一緒に魔法を使う大好きなアニメの主人公になったみたいで、なんだかふわふわとした気分になって。保育園のお友達に明日自慢しよう、いやいや、でも、言っちゃうのもったいないなぁなんて。それを彼に伝えると、彼は笑った。

「あのね、実莉ちゃん。僕のことは僕と実莉ちゃんだけの秘密だよ」
「どうして?お母さんにも、春奈ちゃんにも言っちゃダメ?」
「うん、ないしょ。実莉ちゃん、約束してくれる?」
「うー。分かった、約束する!!」

言わないで、と言われなければ誰かにお話したかったけれど。それよりも筆箱の子に笑ってほしい、褒めてほしいという気持ちが勝った。なんだか、約束できないと言ってしまえば、彼を困らせてしまう気もしたから。素直に頷けば、ホッとしたように破顔した彼が、ありがとうと頭を撫でてくれた。

小学校に入学して、私は何人かのお友達グループの中に入ることが出来た。あんまりきゃいきゃい騒がない、おとなしいグループ。個人的にはこういう場所が一番居心地がよい。

どこへ行くにも筆箱を持っていくから、何かメモを取るときにいつも頼りになるようなしっかりした子として私は定着していった。いつも筆箱を大事に抱えているうちに、トレードマークのようにまでなったのは後にも先にも私ぐらいだろう。
彼は秘密を守る都合上、おうちで私と二人きりの時しか人の姿をとらなかった。それでも道具の姿の時の記憶はちゃんと残っているようで、音と触感だけの記憶ではあるが、私の”今日”を体験することが出来るという。

家に帰ってから、毎日その子とお話をするのが私の一日の楽しみだった。毎日「お友達のお話がおもしろかった、さっき見たテレビの内容が素敵だった」とか、とりとめのないお話しかできなかったけれど。学習机で勉強をするときは、私が鉛筆と消しゴムを出すとすぐにあのポップコーンのはじけるような音を立てて現れてくれる。一緒に勉強することは出来ないけれど、私の勉強を見守ってくれることが嬉しくて、誇らしそうに笑ってくれる蒼い眼が大好きで、私は一生懸命に勉強をした。元々は温度のない彼をぎゅーっと抱きしめていると、少しずつ私の体温が彼に移って行くのも心地よかった。たまにどさくさに紛れて口づけをしてみせると、照れてしばらくそっぽを向いてしまう彼も可愛くて。しょうもないイタズラをしたこともあった。学校の休み時間に、周囲には眠ったふりをして筆箱の彼に口づけをした。あとで彼は「ああいうのはホントにやめてくれ、お願いだからせめて家で…」とまくし立ててきたので、私は笑って「家なら構わないんだ?」と意地悪を言うと、彼はその日一日ずうっとへそを曲げてしまい、筆箱の形のまま返事をしてくれなかった。

これが私の初恋。今思えばなんてささやかで、慎ましやかな初恋だったことだろう。



ある時私は彼に尋ねたのだ。
「ねぇねぇ、呼ぶのに困るよ。名前なんていうの??それとも私が付けた方がいい??」
「名前はないよ。つけてもダメ」
どうして?だなんて私は問うけれど、彼はまた曖昧に笑ったまま。困って、それでもお願いが聞けないときの表情だ。私は「そんなぁ、一生懸命考えるのに」と頬を膨らませて抗議した。
彼は彼に出来る大体のお願いならば一生懸命に叶えようとしてくれたけれど、結局最後まで名前をつけ、それを呼ぶことを許してはくれなかった。今思うと、幼い私より先が見えていた彼の精いっぱいのやさしさだったのだ。それに気付くことが出来なかった自分の幼さへの怒りとともに、今でも淡くかなしく灯る初恋の記憶。



二年生になった。身長が伸びて、私はすぐに彼の身長を抜いてしまった。彼はずっとそのままらしかった。彼は笑う。
「ホントは実莉ちゃんの年ぐらいの子でありたいんだけど、一度形をとっちゃうと固定されちゃうみたい。とうとう身長抜かされちゃったかぁ…」

その頃にはさらに、クラスでしっかりした子として定着するようになっていた。私のいた友達グループに、なんだかどうにも危なっかしい子がいて、その子の心配やらフォローやらしてるうちにしっかり者スキルが上がったらしかった。学級委員の仕事も回ってくるようになって、それでも誰かにありがとうと言われるのが嬉しかったから、私は喜んで仕事をした。

学校では筆箱姿のままの彼を連れまわし、家では人の姿の彼と一緒に過ごす。二年生になっても相変わらず私はそんな日々を送っていて、それがこれからも続くのだと、あの時の幼くて愚かな私は信じ切っていたのだった。

転機は三年生になった時だった。私は大好きな友達とはクラスが離れてしまったけれど、また新しくお友達を作って、相変わらずのクラスのしっかり者ポジションとして存在していた。ただ、そのクラスに何人かの問題児、まぁよくいるような悪ガキなんだけど…が数人いて、学級委員で曲がったことが許せない私はすぐにその悪ガキたちと敵対関係になってしまったのだった。
まず一番最初に腹が立ったのは、私が大好きだった若い女の先生に寄ってたかっていたずらをしかけることだった。多分はじめてのことだらけで不安だったろうに、いっぱいいっぱいでも私たちを一生懸命尊重してくれる彼女には、あまりにもタチの悪い相手だったんだと思う。目的も動機もない、ただの愉快犯。それは日増しに容赦のないものへと変わっていった。彼女はそんな彼らの尻拭いをさせられて、それでも笑ってくれているのだった。二ヶ月後だっただろうか、無理が祟って体調を崩して、彼女はドクターストップをかけられた。あれから彼女がどうなったのかは分からないが、どうか今は平穏に暮らしていてくれれば、とだけ願い続けている。
代わりに来たのは、さすがに問題児にも対処できるような、体育会系の中年の男の先生だった。だが、やはりすべてに優れている訳ではなく、表面的なイタズラこそ解決したかのように見えたが、イタズラ盛りの彼らの標的が先生からクラスメイトへと移っただけのことであった。そして――。

私が気付いた時にはすでに手遅れだった。体育を終えた私が教室に戻ると、そこは地獄絵図。机はひっくり返されていて、折り目もつけぬよう丁寧に使っていた教科書はすべて床にぶちまけられ、あらぬ方向にへしゃげ。一生懸命に取ったノートの切れ端も無残にも散乱している。そして、私を一番絶望に追いやったのは。”とくべつ”だった”彼”も、また…。布は引き裂かれ、美しい音符の装飾は剥がされて、冷たい床に転がっていたのだ。いつも見守ってくれていると感じる彼の優しい気配は、完全に失われていた。
私は、声も出ずそれを眺めることしかできなかった。


ふと、いやな視線を感じて顔を上げる。にやにやと私の顔を眺めているリーダー格の人間が目に入った瞬間、私の中の理性が音を立てて崩れ行くのを感じた。つかつかと歩み寄る音が聞こえる、景色と風が後ろへと流れていく。私が歩いているのか。眼前にその顔を捉えた。私の手が奴を殴りつける。空気を切り裂く鋭い音、手に肉が食い込む感覚。不思議と痛みはなかった。とっさの出来事に茫然として、今何をされたのかをようやく理解した”奴”が反撃に出る一瞬の間も許さず、私は追撃を試みた。首をつかむ。両手で、ぎりぎりと締め付けると皮膚のあまりの柔らかさに躊躇しそうになる。が、手を止めることは私の怒りが許さなかった。
「あんたが、ころしたんだ」
喉元から、私の物とは到底思えないような低い声が出ていく。それは、私の頬骨を伝わり、鼓膜を揺らし、脳髄をも揺さぶった。ちかちかと視界が明滅する。今までの一連のすべてが、ひどく非現実的なものに思われて。私はこれが悪夢であることを、心の底から願った。


結局、騒ぎを聞きつけた先生たちが割って入り、私は止められた。危うく人を殺しかけたというのに、私はそれに関して何の感慨も得ることが出来なかった。恐ろしい喪失感、”彼”を失ったという耐えがたい哀しみに、何が勝るとでもいうのだろうか。しばらく私は寝込み続けた。もう、何も考えたくはなかった。

それから、私は身体だけは一丁前に回復し、こってり絞られたらしい問題児たちのいるクラスに帰ることとなる。その後、担任を介して面談が持たれたが、私は断固として彼らの謝罪を受け取らなかった。彼らを許しはしなかったし、殴ったこと、首を締め上げたことへの謝罪もしない。
「謝罪を交わし、握手をすることで万事解決する」という持論を持つ担任に再三説得されたものの、私は形式的にであれ彼らと”仲直り”とやらが出来るほどの大人にはなれなかったのだ。
最大の譲歩としてお互いへの不干渉を誓い、事件は一応幕を閉じた。



月日は経ち、この春に私は大学生となる。今の私の周りには彼でこそないけれど、にぎやかで楽しい道具たちが沢山いる。どうやら道具が人の形をとって話しかけてくるという事象は、私の能力によるものらしかった。構ってちゃんなオレンジ色の折り畳み傘、どこかチャラそうな淡黄色のベッド、そろそろ使えなくなってしまうアナログのテレビ。まだ”生きている”から、と使い続けている六年目の携帯電話。騒がしいぐらいに賑やかで、それでいてかなしくなるほど持ち主想いな彼らは、私に言う。「決して自分を名付けるな、”特別”にしてくれるな」と。人と比べて、道具の寿命はあまりにも儚すぎた。彼らは自らが役立つことだけを望み、持ち主が傷つくことをよしとしない。私は持ち主で、彼らは無機物の道具。その意味を嫌でもかと理解した私は、誰に言うこともなく、ただこうして賑やかで儚い今を生きていくのだろうなと思う。


これは、始まりのお話。下宿先のしょうもない能力者しかいないぼろアパートで大切な道具たちと日々を過ごすことになる前の、思い出話。

【完】





あとがき
初めましてな方も、そうでない方もこんにちは。ゆりのきです。創作物をようやく提出することが出来ました。ほんとは、初めましてなのでもっと明るい話を書こうと思ったのですが…、こっちの方が筆(というかパソコンを打つ指ですが)が進んでしまいまして。ままならないものですねぇ。書けなかったもう一個の方は道具視点と言いますか、最後にちらっと出てきた折り畳み傘の子の話にするはずでした。できればしょうもない能力者たちのしょうもない日々と一緒に色々書いてみたいものですが、さてさてどうなることやら。このキャラ達を考えたのだってほんとは道具たちと主人公の逆ハー的なものにしようとしてなのですが、こいつら恋愛してくれませんでした。はい。連載として書ける自信がないのでとりあえず一旦、ここでこのお話は終了です。読んでくださってありがとうございました。
さて、せっかく初めての提出ということなので、自己紹介。ゲーム班の方・今これを読んでくださった方はもうお分かりかと思いますが、私が大好きなのはファンタジー系のお話です。人外ものが特に好きなのでこれからもしょっちゅう出てくると思います。友情だったり、家族愛的だったり超初心な感じの恋愛だったり様々ですが、あくまで等身大の現代ファンタジー的な?感じを目指してます。温かくてどこか切ない、人の関係性や心を描けたらなぁ。

さて、前述のように、ゲーム班のシナリオ担当もさせていただいています。完成せざるを得ないように(自分を追い込むために)ここで宣伝。私の方のお話は、夢魔の女の子と人間の男の子、それを取り巻く家族やまちの人々のお話を予定しています。やはりファンタジーです。とりあえずしばらくはファンタジーの人的な存在として認知されるように、頑張ってみようかなぁなんて。ではまた。
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