【四月の馬鹿騒ぎ】
ぱちり、と僕は目を開けた。ジリジリ大音量で鳴る目覚ましを止めて、くぁぁ…と欠伸をして立ち上がる。
壁に掛かっている3月のカレンダーを剥ぎ取ってゴミ箱に捨てると、桃色の四月のカレンダーが顏を出した。
なんてことのない、春休みの日曜日。にもかかわらず、僕は口角を上げる。
本当なら浮き足立つようなイベントなんて全くないのだけれど、今日は違う。
なんて言ったって、今日は嘘を吐いても許される日。エイプリルフールなんだから。
一階にパンを食べに下りると、母さんが父さんの弁当を作っていた。父さんは朝風呂にでも入っているようで、風呂場からはシャワーの音が断続的に響いている。
「おはよう秋啓」
「はよ、トースター使っていい?」
「はいはいどうぞー」
調理中の母さんの横をすり抜けて、トースターにパンを突っ込む。
紅茶パックを取り出して、カップにお湯を注いでまた欠伸。ご飯を食べる前のふわふわした眠気に身を任せていると、ジャアジャアと肉を調理している母さんが振り向きもせずに話しかけてきた。
「秋啓、今日は父さん早く帰ってくるから外食でも行こうか」
「珍しいね、そりゃまた何処に」
ヒョイッと眉を上げて尋ねると、目の前でチンッという音がして芳ばしい香りのするトーストが二つ飛び出した。
「あんた和食好きでしょ?確か最近チラシがあったから、川添へ行こうと思って」
「へえ、それは楽しみだね」
川添というのは、近所にある大手和食チェーン店だ。僕は天ぷらが好きなんだけれど、天ぷらってどうも当たり外れがあるようで。時々胃凭れしそうな位油ぎっているものがあるのが困りものだ。朝から嫌なことを思い出してしまって、僕はちょっと顏をしかめる。
それを掻き消すように、からっと揚げられていてさっぱりしている川添の天ぷらを想像して忘れようとした。
マーガリンと瓶詰めのブルーベリージャム、焼けたトーストと紅茶をおおちゃくにも全部抱えてダイニングに移る。
母さんに注意されたけど、それは無視の方向で。二つのトーストにそれぞれマーガリンとジャムをつけて、おもむろにそれにかぶりついた。
10時くらいまで自室で音楽を聞いていると、下から賑やかな声が聞こえてくる。
「おはようございますっ!」
「千夏ちゃん、おはよう。秋啓は上よ」
「はいっ」
ドタドタと恒例の足音を響かせて千夏が上がってくる前に、イヤホンを外してシャーペンを取る。体裁を取り繕わないとアイツ、自分のことは棚上げでうちの母親にチクるからだ。怒られるのが怖い訳じゃないけど、やっぱり面倒だしね。
「秋兄ー?!おはよ、いる?」
「はいはい、居ますよー。はよ、千夏」
いつもに増して落ち着きの無い千夏は、僕のベッドに腰掛けて足をバタバタさせている。
その爛々と光った瞳の奥の企みに気付いた僕は、相手がどう出るか様子見することにした。
「ねえ秋兄知ってた?」
よくあるエイプリルフールの振りだな。千夏がどんな嘘をつくのか楽しみにしつつ、僕は何も知らないふりして返事をする。
「何を?」
「あのね!お菓子売り場で見たんだけど、春期限定でほんのり桜味メントシーが出てるんだって!」
なるほど、お菓子で来たか。それなら…と僕は切り返した。
「へえ、美味しそう。やっぱり季節ものは面白いね。あ、季節ものじゃないけどさ。今年からパイノミの苺味が出るって、知ってた?」
「え、本当?!すごい食べたいっ!!」
簡単に引っ掛かってしまう千夏を微笑ましく思いながら、目を耀かせている年下の従妹にエイプリルフールのネタばらし。
「嘘だよ、今日はエイプリルフールだからね」
「…?!秋兄ひっどーい!!私本気にしちゃったじゃん!」
騙されたことに気付いた千夏は、羞恥と怒りで顔をかぁっと赤く染めた。
「騙されてばっかしとかシャクだから、友達にウソメール送ってくる!」
「おー。いってこい、いってこい」
千夏がバタバタと階段を駆け下りて行ったあと、下でうちの母さんの驚いた声がした。
「千夏ちゃんもう帰っちゃうの?」
「はい、友達にメールするんで!」
「そう、残念ね。」
突然静けさに包まれる自分の部屋で、僕はまたイヤホンを耳に掛けた。
お昼前に、携帯の着信音がけたたましく鳴った。メールを確認すると、なるほど沢田のようである。
┏━━━━━━━━━━┓from:沢田琢磨
to:片桐秋啓
よーっす、秋啓!聞いたか?!学校近くの書店が四月中に閉店しちまうらしいんだ(゜ロ゜;…!マジかよ学校帰りにマンガ買えなくなるじゃん(>_<)
┗━━━━━━━━━━┛
さて、これは他の友達に騙されている最中なのか。それとも僕に衝撃を与えるようなエイプリルフールを敢行しようとしているのか。
沢田はあんまり書店へ行かないし、僕は先週行ったばかり。前者だとは思うけど、一応両方の可能性を考えて文面を書き上げておこう。なるべく早めに返信する。あんまり遅いと疑われるからな。
┏━━━━━━━━━━┓from:片桐秋啓
to:沢田琢磨
知らなかった?冬から告知されてたのに
…先週行ったけど、近隣の書店に売る為なのか在庫を大量に段ボールに詰めててさ
なぁ、学校付近の他の書店って何処にあるかな?
┗━━━━━━━━━━┛
これで、よし。しばらくすると、予想範囲内のメールが来て思わず僕は吹き出した。
┏━━━━━━━━━━┓from:沢田琢磨
to:片桐秋啓
えっ?!いや、ウソのつもりだったのに…マジで(゜ロ゜)?!
┗━━━━━━━━━━┛
こいつ、なんで自分の元ネタに引っ掛かってるんだろう。メールで相手に表情がばれないことをいいことに、僕は笑いすぎて腹が捩れてしまうのを抑えなかった。
┏━━━━━━━━━━┓from:片桐秋啓
to:沢田琢磨
ハッピーエイプリルフール∩(・ω・*)∩
┗━━━━━━━━━━┛
相手の情けない顔を思い浮かべながら、僕はしばらくの間笑い続け、そして静かに携帯を閉じた。
それから数冊本を読んだあと、春休みの課題を多少片付けているうちに日が沈み、カーテンを閉めに立ち上がる。とっくに暗くなっているのに、集中すると周りに気付かなくなるのは僕の悪い癖だ。
下から、母さんが僕を呼んだ。
「秋啓、ご飯!!」
春の夜とはいえ多少冷えるので、薄手のコートを羽織りつつゆっくりと階段を下りる。
ダイニングに繋がる扉を開けて、僕は思わず母さんに尋ねていた。
「あれ…今日は川添行くんじゃなかったっけ」
きちんと食卓に並んだ味噌汁と魚、白いご飯。いつもなら何ら不思議の無い、よくある食卓。母さんはコートを羽織った僕を流し見て、ゆっくりと自分の席につく。そして手を合わせていただきますをし、たった一言。
「エイプリルフールよ。」
てっきり外食だと思っていた僕は、頭は働かずとも習慣で自分の席につき、いただきますをする。
この世界はなんて虚偽で出来ているんだ、と僕は大袈裟に頭の中で嘆く。てっきり食べれると思っていた川添の天ぷらを思い描いて、残念な気持ちで味噌汁を啜った。
四月の馬鹿騒ぎも、あと五時間。早く終わらないかな、とその時は初めて強くそう思った。
地味に落ち込んだ僕は、気分転換にそのまま近所のコンビニに向かう。雑誌を立ち読みして、ふと足をお菓子コーナーに伸ばしてから、苦笑いした。目当てのものを2つ手に取り、カウンターへ。
代金と引き換えにシールを貼ってもらった僕の大好物の新作、春期限定桜味メントシーを薄手のコートのポケットに突っ込んで、僕は明日も来るだろう従妹への謝罪を考えながら家路を急いだ。