16.言葉月の無い夜である。しかし、森は薄く青に染まっていた。 嫌な記憶を呼び起こす光を避けるように木に凭れる一つの影――魔王は、ぼんやりと虚空を見つめている。頬を撫でる風がひんやりとした冷たさを伝えていた。その銀糸のような髪はところどころ埃に塗れており、いつもの輝きを失っている。さまよう騎士の魂を眠らせる為に、二つの時代を行き来し終えたのはつい先ほどのことであった。その結果グランドリオンは本来の輝きを取り戻し、持つべきものの手に戻った。 そして古代の北の宮が中世、現代に残っていると知った。クロノによれば強敵が巣食っていることもないという。最果てに帰る前に寄っても良いだろう、そう言ったのが自分であったかどうか定かではないが、夜が明けたらあの宮を調べなくてはなるまい。古代において女王が捨てた、星の力……。ラヴォスに立ち向かうための力ならどんな些細なものでも手に入れる。そう、決めている。まぁ、如何せんこの光は不愉快極まりないのだが。 ――ここにはビネガーじゃなくて魔王の像が祀られていたのにな。 夕方近くにメディーナとかいう魔族の村を訪れた際の、クロノの台詞が不意に浮かんだ。 その時こそ気にも留めず、特に何の感慨もなかった。自分が中世からいなくなったのだから、ビネガーが魔王となったのは当然だ、そのくらいに考えていた。しかし、元々クロノ達が中世に現れる前の魔王が自分だとしたら、それは……あの儀式が成功しなかったという証拠ではないだろうか。 クロノ達と旅を共にするようになってから、薄々察してはいたのだ。中世で滅ぼしていたはずのラヴォスが、正当な時間軸上にあるはずのA.D.1999に世界を滅ぼしているのだから。ただ、無意識のうちに否定して、いや、深く考えないようにしていた。あの時儀式が邪魔されなければラヴォスを倒せた、あのような悲劇を繰り返す羽目にはならなかったと思い込もうとしていたのだ。北の岬で海を見据えていた時、そうした甘えが確かにあった。 軽く握っていた拳に力が籠る。自分の不甲斐なさが怒りとなって、視界の先の闇が増す。明確な形で示されたのだ。お前は無力である、と。あの時何をしようがしまいが、結局お前はラヴォスに敗れ、王国軍に負けた魔族の伝承となる運命だった、と。ねじまがった運命の中でようやく知った真実はやはり酷く残酷で、救いなどなかった。また黒い風が泣き始める。込みあげる風の音を、ゆっくりと飲み下す。その繰り返し。 不意に、風の音が止んだ。他の生き物の気配にハッと鎌を手に取る。 「――魔王」 「何だ、貴様か」 何時の間にか、カエルが呆れ顔で魔王を見上げていた。 「危機感が足りないんじゃねぇのか。明日は古代文明の遺産が手に入るかも知れねぇってのに」 「……」 否定は出来ないが、それをわざわざ告げる必要はあるまい。 早々に会話を打ち切った魔王がマントを引いて木に深く身を任せる。戯れは終わり、その合図だった。だが、カエルはそれを知ってか知らずか、一定の距離感を持って木の根元に腰を下ろした。魔王が眉を寄せる。他の奴等と違って今までカエルが魔王に執拗に会話を持ちかけてきたことはない。魔王から一番遠い場所で、時折恨みがましく此方をねめつけるのがいつもの光景だった。 しかし、今日のカエルはどこか様子が奇妙しい。危機感が足りないと言っておきながら、カエル自身に魔王への危機感がないのだ。 グランドリオンを鞘から抜き、青く反射させて弄んでいたカエルが、まるで誰もいないかのように訥々と語り始めた。 「俺は……ハッシュの話を聞いた時、魔王の所為でサイラスの魂がこの世に残っているのだと信じていた。クロノを生き返らせることに手を貸したとはいえ、魔王を受け入れた俺に失望してると思ってたのさ。だが、実際は違った」 カエルの昔語りに興味は無い。ただ、その自嘲に満ちた声色は、魔王の闇に気持ちよく同化していった。 「サイラスは魔王への憎しみより、リーネ様や王、そして俺のことが気がかりで成仏出来ずにいたという。確かに俺はグランとリオンの言うように迷っていた。そのことがサイラスをこの世に留まらせていたというのなら、それは俺の問題だ。お前じゃ、ない」 カエルが苦虫を噛み潰したような顔をして、グランドリオンを強く握りしめる。 「それに、魔王――――お前はどうして」 やっと顔を上げたカエルと視線が絡み合う。その瞬間、カエルが何を聞きたかったのか合点がいった。つまりこいつは自分を救おうとしているのだ。 「あの時、サイラスに刃を向けなかった……いや、サイラスの攻撃を防がなかったんだ?」 カエルの黄色い瞳が揺らいでいる。迷っているのだ。その迷いが手に取る様に伝わってきた。 カエルが話しているのは、つい先日の事。亡霊と化した騎士、サイラスと初めて対峙した時のことだ。その時、魔王に対して振り上げられた剣を防いだのは鋭い鎌ではなく、鈍色に輝く剣であった。カエルが、多少威力が劣ろうともサイラスの元へ行くなら必ず装備していくと言って聞かなかったグランドリオン。 魔王は目を細め、カエルは何かとんでもない過ちを犯したと言わんばかりに顔を歪めた。だが、次の一瞬から二人は何事も無かったかのように今まで通りの戦闘を進めた。すなわち、個々に敵を攻撃し、お互いの位置取りを気にすることも無いような戦いだ。 「……それを聞いて何とする」 「うるせぇな。たまには素直に答えろっての」 「私にもよく分からぬのだ。ただ……」 風が木々の葉を揺らす。何処か不安を誘う音が二人の鼓膜を震わせた。 「騎士の目の奥に、私を見た」 風が、強い。 「それは、どういう――――」 「二度とは言わぬ」 「……」 カエルは黙り込み、グランドリオンを静かに鞘にしまった。どうせ何か言い返してくるだろうと踏んでいた魔王は、ちらとその表情を見遣る。今、自分がカエルの求めていた答えを言ったとは思っていない。それどころか、サイラスは敗者であると言ったも同然であった。 あの甲冑の闇に、拭い去れない苦しみと憎しみ、そして寂寥を見たのだ。黒い風の残り香をあの鎧から感じた。自分と同じ闇であった。 だが、魔王の冷たい瞳が一瞬陰ったのを、カエルは見逃さなかった。暫くの間。そして、フッと破顔する。 「――そんな友を解き放ってやれたなら本望さ」 「……」 カエルはグランドリオンの柄を愛おしげに撫でた。長く吐いた息が白く立ち上って消えていく。 「俺は……ラヴォスを倒す。こいつと共に、サイラスの……サイラスと俺の守りたいものを守る為に」 その声は凛としていて、かつて自分と対峙した臆病者の面影はなかった。 「くだらんな……」 口の端から零れた魔王の台詞を、カエルは鼻で笑い飛ばす。 「なんとでも言え」 俺は戻る、と言って踵を返したカエルの気配を感じながら、魔王はかつてカエルが自分に向けた言葉を思い出していた。 ――こんな姿だからこそ……手に入れた物もある!! 古代から中世に飛ばされ、中世でラヴォスを呼び出す儀式に失敗し、古代でまた悪夢を繰り返した今、手に入れた物……か。嗚呼、それは救いのない絶望だろうか。それとも、クロノ達が現れなければ決して与えられることのなかった希望なのだろうか。ラヴォスを葬り、積年の恨みを晴らすという希望。 答えは出ない。出る筈などないのだ。 そしてもしも今この手にあるものが希望だとしても、大切な人は戻らない。だがこのことは幼き日に古代から一万年以上過ぎた中世に落とされた時から分かっていたことだ。あの古代で過ごしたひとときはただの夢。分かっている。今更迷うまい。 運命はかくも残酷だ。だが、今自分が此処に居て、ラヴォスを倒せる可能性がわずかでも残っているのならば、結局のところ成すことは決まっているのだ。 「魔王ー!」 遠くからクロノが駆け寄ってきた。何時ものことながら喧しい。木の影から滑り出た自らの身体が、たちまち光に染まっていく。 青、あの人の愛した色だった。 「魔王、此処に居たのか。テントが張れたんだ。とりあえず今日は休もう」 「……」 「早く来てくれよな。先行ってるから」 クロノがくるりと方向転換して元来た道を駆け出した。青に染まらない赤い髪を見て、ふと、随分前にクロノに言われた言葉が脳裏によぎった。 くだらない、と一蹴したその言葉。だが、今は。 「……運命とやらを信じてみよう」 そして、それをこの手で変えるのだ。 前方を走っていたクロノが、まるで魔王の呟きが聞こえたと言わんばかりに振り向いて、快活そうに笑っていた。 *あとがき* お久しぶりです。月城です。 長らくサイトを凍結してしまい、申し訳ありませんでした! 大学受験も終わり、時間に余裕が出来ましたので、これからもクロノ小説を書き続けていこうと思います。もし、1人でも私の小説を楽しんで読んで下さっている方がいらっしゃったらこの上ない喜びです。 さて、今回はお題16個め「言葉」という事で創作してみました。 お題に添えているかどうかは置いておいて、久々のクロノ小説だったので、大分苦労しました。文字数の割には時間がかかりました…汗 数年前から書いているお題もあと少し、最後まで頑張ろうと思いますので、温かく見守ってやって下されば嬉しいです。 2014.3.16 ←章一覧┃←Menu┃←Top |