死して尚、『よいのですな』『……ああ。いい』 『痛みを、苦しみを伴いますぞ。何しろ魔族と人間は元来相容れないもの。まして貴方の血は魔族の血と相容れないものだという。……それを差し引いたとしても、過去に成功した者は数える程しかおらず、その人間も――』 『煩い。これは僕が望んだことだ。そしてお前らも僕がこうすることを望んでいる……違うのか?』 『……否定は出来ませぬ。魔族を統べる者は魔族。これは歪めたくないのです。たとえ貴方様の魔力がどれほどのものであっても。また、魔族はやはり魔族にしか心を許さない』 『……なら、やれ』 そうして与えられたむせ返るような赤は、体中に巡り僕を魔に染めていく――――。 * * * 「――――がっ、ぐ、あ、ああああああああぁああぁっ」 痛い痛い痛い痛い胸が痛い頭が痛い身体が、心臓が痛い。 この痛みの根源が何処からくるのかさえ分からない。焼けるような身体、割れそうな頭。痛まない場所などないように感じた。 「あ、あああぁ…………ああああぁぁあ……」 暗い部屋に自分の叫び声だけが響いている。窓から差し込む月の光が、目に突き刺さるようだった。 白々と輝く月のせいで、鏡に映る自分の姿がはっきりと見えてしまう。苦悶の表情を浮かべ、寝台の上でのたうつ、脆弱な自分、こんな僕なんて――くそくらえ。 嫌なんだ。大切なもの一つ守れなかった過去の自分も、未だ大した力も使えずただ魔族に傅かれ日々を過ごしている今の自分も。ラヴォスを憎む気持ちはは日に日に強くなっているのに、及ばない自分に嫌気が刺す。過去の思い出すら今では己の力不足を苛むものでしかない。幸せは、一瞬の絶望により残酷な記憶に変わってしまった。 ――別に僕は強さも永遠の命もいらなかったのに。 あの人の笑顔。そして、出来ることならかつての温もりがあればそれだけで幸せだった。 なのに、記憶が余りにも僕を刔るから、強くならなくてはならなくなってしまった。今では自分自身もそうなりたいと、強さを望む。 僕の安寧と、自己満足のために。それと……大切な人の敵を取るため、あの人の魂を安らかにするために。 朦朧とする頭ではっきりと浮かぶのは目の裏に焼き付いたラヴォスの姿。その姿は時が経っても薄れることはなく、寧ろ想像の中で輪郭を強くしていた。 ラヴォスはまだ生きている。この大地に根付く黒い気は、時折身体に吹き付ける黒い風は、今なお僕を震わせる。幼い頃から慣れ親しんだ筈の黒い風。だが、今……今更ながらその恐ろしさが身に染みてならないときがあるのだ。昔、こんな時に頭を撫でてくれた人がもういないから――かもしれない。分かっている。しかしそれこそが甘えの象徴なのだ。悲しみに暮れ、過去を思い出す度に、黒い風がより一層強く泣く。 僕はそれを断ち切りたい。その為にはもっと強くならねばならない。嗚呼、でも。 「――――――ッ! か、はぁ……」 落ち着いていた痛みの波が急激に高まりに思わず息を止めた。痙攣したように引き攣れる身体を折り、両手で頭を抑える。 でも、堪えられる。堪えてみせる。これは僕が望んだことなのだから。あの時、深い傷を負ったのだ。この胸に刻まれた長い傷痕はきっと二度と消えることはないだろう。それに比べれば――――。 「あ、あ………ああああぁぁああぁあああぁいたい……いたい……やめろおおおおおぉぉっ」 ――――いたい、イタイ、痛い。 なんだこの痛みは。こんな痛みを僕は知らない。強大なる力をその身に受け続けた姉上が感じていたような、痛みや苦しみを僕は知らない。だって、僕は、シアワセだったから。 真綿のような愛に包まれて、僕は確かに幸せだった。 ――でも、姉上はこんなに痛かったのかな。ずっと一人で耐えていたのかな……。 フッと息苦しさから解放される瞬間、そんなことを思う。姉上が耐えた苦しみなら僕も耐えられるような、否、耐えなければならないような気がした。 「あ、ねうえ……ッ」 目の端に露が滲む。無意識に流れ落ちる雫は弱さの象徴だろうか。弱さという名の優しい記憶だろうか。もしくは人間としての僕それ自体だろうか。 脈打つ血潮。競り上がる拍動。沸き立つ苦しみ。滾る憎しみ。全ては痛みへと昇華されていく。もう涙も枯れ果てた。ああ、これで少しは強くなれたのだろうか……。 何を以て強さとし、強さを以て何を為そうとしているのか、分からなくなりかけた時が幾度かあった。だが、その度にラヴォスと変貌した母の輪郭がちらつくのだ。まるで忘れるなとでも言いたげに。 尤も、忘れることなど出来ようもないのだが。 「ジャキ」 ぼぅっとした頭の隅から静かな囁きが聞こえた。それに触発されて浮かぶ、恋い焦がれた姿。 ゆるりと口の端が上がった。視線は恍惚として愛しき影をなぞり、自然と幻影に手が伸びた。刹那、一際強く身体が脈打つ。瞼の裏に閃光が瞬き、固く握ったシーツの感覚が遠くなる。そして闇が迫ってきた。自然と目が閉じていく。 ――あねうえ、僕は強くなる。だから……そんなに悲しい顔を、しないで。 そして一瞬浮かんだ虚像も僕の意識も、黒の中へと溶けて、消えた。 * * * ――目覚めた途端、何かが違うと悟った。 『あの痛みに、耐えられたのですか。気も……確かなようですな』 『……問題ない』 ――身体の奥が冷たい。 『器が完成するのに、昨夜以上の痛みは伴わないかと。これで貴方は頑強な身体と尊い魔の血を手にしたのです』 『血、か……いや、なんでもない』 『魔王様の元でなら、我等が夢、必ずや叶うことでしょう』 『……ああ』 ――向けられた笑みに、感情が動くことはない。 だが、昨夜まで感じていた躊躇いや悲しみ、不安はもう感じなくなっていた。これが強くなったということだろうか。 かつての自分、ジャキとしての自分は死んだのだ。 人に縋ってしか生きられなかった過去、愚かな自分は死んだ。 ……いっそ記憶ごと消えてしまえば良かったのか……いやそれでは復讐を果たせない。 この忌まわしき記憶があるからこそ、出来る事がある。成さねばならないことがあるのだ。 『ラヴォスなるものの情報は未だ集まっておりませぬが、直に……』 ――ラヴォス。 そう。その単語を耳にした途端カッと身体が熱を持つ。死して尚残ったのは、ラヴォスに対する憎しみか……フッ、悪くはない。僕――俺には似合いだ。 『……早くしろ。俺を待たせるな』 『仰せのままに――魔王様』 ……そう、俺は――――魔王だ。 End. *あとがき* お久しぶりです、月城です。 久々に更新してみたらやっぱりシリアスな内容になってしまいました(笑) 今回はジャキ視点。魔王になる瞬間、あたりを書いてみました。 私の捏造設定では、ジャキは魔族の血を飲んで魔王になったということになっているので、それにのっとっています。(耳の変化はそうでもしないと怒らないとおもうので…笑) これから受験なので更新率さらにダウンするかもしれませんが、その前にあと二つくらいは挙げたいな、と思っています。 2013.5.11 ←章一覧┃←Menu┃←Top |