戯れに温もりを


 酔えない――――。
 辺りを見渡せば酒瓶が幾つも転がっている。そして今も酒を身体の中へと注いでいる。それにも関わらず、一向に身体は火照らない。寧ろ胸の奥に穴が開いた様な空虚感が身体を満たしていた。
 今日も相変わらず海底神殿の建設の指揮を取り、民の嘆願書の始末をし、ラヴォス様の御力を身に受け、魔神器の調整を行い――――嗚呼、頭が狂いそうな忙しさだ。しかしこれも全てラヴォス様、ひいては民の為なのである。そう思えばこの身体がどれ程悲鳴を挙げようとも歩みを止める訳にはいかない。だって自分はこの国の女王なのだから。そう思い、またグラスを傾けた。赤紫色の液体に染まった唇は何処か官能的だ。しかしその視線はどこか虚ろなままで。
 誰かを呼んで、共に飲み明かすか……とも考えたが、かつて共に国の将来について語り合った命の賢者はもう居ない。他の賢者どもは自らの殻に引きこもり、もう宮殿には出てこなくなっていた。残りの貴族や役人どもは何時も女王である自分の顔色ばかり窺い、本音を漏らさない。サラでさえ最近は自分の言う事を聞かないのだ。毎夜毎夜地の民の元へ通っていることを、よもや自分に知られていないと思っているのだろうか――――。
 苛立たしげになだれた髪を払い、そのまま盃を煽る。だが、喉を潤したのは氷が解けだしたただの水だ。そうしてまた新たな瓶を空け、違った香りの酒を喉の奥に流し込む……。
 もう、どれ位呑んだのだろうか。目の前がくらくらする。だがとてもとても……苦しい。誰か、誰か、この痛みを止めてくれ。苦しい、切な……いや、違う。これは疲れているだけ。ただの疲労。別に寂しい訳じゃない、誰かに縋りたい訳じゃない。妾はそんなに弱くない。だからきっと、この目から流れる液体はただの水なのだ。酒の匂いにあてられて滲み出る、ただの、水……。
 きっと妾を分かってくれる人はもう居ない。妾は女王。もうそれ以外の何者でもない。何者にもなれない。もうあの人の妻ではいられない。あの人はもう此処には居ないのだから。
 嗚呼、そこまで分かっているのに……どうしてこれ程胸が痛むのか。この痛みはどうやったら消えるのか。何時ものように酒に身を任せていれば自然とラヴォス様の御力に抱かれて眠ることが出来るのではないのか。
 ああ、さむい。
 不意に感じた冷気にぶるりと身体を震わす。奇妙しい。こんなに酒を飲んでいる筈なのに身体だけが冷えていく。不意に、卓上に置かれた銀の呼び鈴を鳴らした。別段何か考えていた訳では無いのだ。
 控えめに叩かれたドア。扉を開ける事を請うこれまたか細い声。今はそんなものが欲しいわけではないのに。
「お呼びでしょうか」
 お前に用はないのだ。ただ、そう。この乾きを潤す何かが欲しい。或いは――――この胸に空いた穴を埋める、何かが。
「――――予言者を呼べ。今、直ぐに」



 不躾なノック。許してもいないのに開かれる扉。
「お呼びでしょうか」
 何時もと変わらぬその姿に口元が緩む。
「おお……来たか。もっと此方へ来い。酔えなくて困っていたところじゃ」
「成る程……では、御用は酒盛りの付き合い、ということでしょうか?」
 近づいてきた予言者はフードもそのままに空いていたグラスを取り、黄金色の酒を注ぎ、そのまま傾けた。なんと不躾な……まあ良い。定例化した者どもの相手をするよりずっと面白い。
「それも有る」
 予言者のフードから零れる銀髪を指に絡ませ、その肌にそっと触れる。きめ細やかな真白の肌。前々から思っていたがこれ程の美男は王国にもなかなかいない。この謎めいた様子も考えようによってはそそるものがある。そして何よりも……この赤い瞳は此方を欲情させる。
「その目は良いの。妾には久方ぶりの感覚よ……」
 フードを外し、その目をよく見ようと顔に手を添えると、予言者がおもむろに手を上げ、やんわりと女王の手を外した。
「何をなさりたいのですか? 用がないなら私はこれで――――」
「何を申す。まだ来たばかりだろう? さぁ、飲んでゆけ」
「……では、お言葉に甘えましょうか……」
 しぶしぶ、と言った様にも見える様子で予言者は向かいの長椅子に腰かけた。
「浮かぬ顔じゃな。妾と飲むのがそんなにイヤか」
「いえ、決してそのような事は」
「ならば何が不満なのじゃ――――言え」
「それでは、失礼ながら……女王は既に酔っておられる。私を呼ぶまでもないのでは、と思いまして」
「ほう……面白い事を言う。酔いの回った女との酒盛りには付き合えぬか」
「どうせなら最初からお呼び頂きたかったものです」
「ふふ、ならば酒はこの辺りで切り上げようか……」
「は?」
 女王は卓上に肘を付き、予言者の首元の金具をピン、と外した。今日はもう夜も遅く、ローブの下にはゆったりとしたシャツとズボンしか身に着けていない。
「ふふ……まさかこの手の事に慣れていないわけでもあるまい。そう固くならんでも良いじゃろう?」
「――――酔いが、回っておられるようですね?」
 女王の手がおもむろに予言者の胸元をはだけさせる。固い胸板に手を添わせると、一瞬硬直したのが見て取れた。戸惑っているのか? それはそれで、面白い。
「妾は酔って等おらぬ。おらぬぞ……」
「女王」
「ふふ……妾を楽しませてはくれないのか?」
 挑発的な視線に、予言者の瞳がカッと熱を持つ。ガタリ、そう椅子から離れる音がしたかと思うと、視界は彼の顔と髪で覆われていた。そっと首元に手があてがわれる。嗚呼、鎖骨を撫でる手が、どこかあの人に似ているような気がしたのは気の所為か……。
「私とこんなことをして、傷つくのは貴女ですよ……?」
「妾が何を傷つくというのじゃ。妾はもう……いいのじゃ」
「いい? 何がです……?」
「ん……」
 触れた唇の熱っぽさに女王は身を任せる。口内に広がる甘美な味は久方ぶりに味わうものだった。果実の様に甘いそれはまるで――――まるで?
 何かがおかしい。熱っぽい頭で必死にこの懐かしさの元を辿ろうとするが、茫漠としてはっきりとしない。息が苦しく、咄嗟に身体を離した女王の背中を予言者が強く抱き寄せる。その耳元で、
「そなた……妾に……どこかで?」
 囁いた言葉。しかし、予言者は首を振り、
「私はただの旅人ですよ」
 言うと、予言者は一度身体を離して酒を一口流し込む。それからまた先ほどと同じように熱いキスを――――。
「ん……んんっ!?」
 不意に大量の液体が流し込まれた。熱い、焼ける様な液体だ。反射的に咳込みそうになるが、その前に液体を飲み込ませられた。
「なっ、お前…………」
「ご安心ください。毒などではありません。ただ、女性には少々キツイ酒かもしれませんがね」
 ちらりと横目で予言者が注いでいた酒瓶のラベルを見遣る。確かに自分ではあまり好まない銘柄だった。この焼け付くような辛味があまり好きになれないのだ。
「ん……」
 予言者はまた酒を煽り、そしてもう一度。今度は先ほどよりも楽に喉を潤した。ただその分段々と視界がぼやけてくる。口の端から垂れた真っ赤な雫が女王の袖口を濡らした。
「――――ッ」
 おそらくこれで酔えたのでは? と笑う予言者を横目に、女王はまたせり上がってきた熱に慌てて水を探す。しかし、それを口に運ぶ前に唐突な眠気が襲ってきた。ぼうっと虚空を見つめる女王を、予言者は優しく掻き抱いた。とくとく、心臓の音が耳に心地よかった。
「お休みください、女王。眠りの中でくらい、良い夢を……」
 微睡みの中で感じたその温もりは、もう二度と逢えないあの人がくれた温もりと同じような気もした。


 * * *


「い、た――――」
 女王はのそりと身体を起こす。酷く頭が痛んだ。
 辺りを見渡すと、まだ夜が明けて直ぐらしい。鳥の声が二日酔いの頭に突き刺さり、女王は咄嗟に眉を潜めた。乱れた衣服を掻き寄せながら、水を一杯飲もうと立ち上がる。
 昨日の記憶がどうも曖昧だった。予言者を呼び寄せたところまでは覚えているのだが、それ以降の記憶がすっぽりと抜け落ちていた。なんだかんだ酔ってしまっていたのだろう。まあ、特に問題はあるまい。
 なのに――――この喪失感はなんなのだろう?
 やっと手に入れた物に逃げられたような、この腹立たしい感覚。無性に湧いてくる苛立ちを隠しきれず、女王は乱暴に上衣を羽織った。
水をグラスに注ぎ喉を潤す。卓上に垂れた水滴がテラテラとランプの橙を反射していた。やけに冷たい水にぞわりと悪寒が走る。
 まだ起床まで時間がある、そう思い、もう一眠りしようと思った。寝台まで重い身体を引き摺り、身体を投げ出す。寝台の冷たさが、体温を奪っていく。普通なら心地よいと感じる筈の冷たさが耐えられなくて、女王は喘いだ。寒い、冷たい。
 ――――誰が想像するだろうか。永遠の国ジールの女王がこんな、こんな……。
 別に悲しいわけじゃない。誰かに慰めて欲しいわけじゃない。
 こんな朝は何度も体験した。隣にあの人がいない切なさも、隣で微笑んでくれるあの人が居ない寂しさも知り尽くした筈。今更どうして、こんな気持ちになるのだろう?
 この切なさから逃れられるなら、なんだってしたくなる。そうして……胸の内に響く声に、耳を傾ける他なくなるのだ。
 その魅力的な声は耳を伝い、脳、心、身体中に響き渡る。それこそが世界の心理と言わんばかりの心地良い力。まるであの人の声の様に、優しく、深い……。切なさや悲しみに呑まれた時、この声が響く様になったのはいつからだったか……。今ではもう思い出せない。だがこの声は救いに違いないのだ。この声だけが、どんな時でも妾を癒す。
 声に身を任せているうちに、小刻みに震えていた身体が段々と落ち着いていく。何時の間にか頭の痛みも消え、逆に思考が研ぎ澄まされたようになった。
 ……嗚呼、そうか。こんな気持ちになるのは自分がまだ不完全な所為。
 永遠の命が手に入れば、全ては満ち足りて、完璧な女王になれる筈。
 そうしたら、きっと、きっとあの人は笑ってくれる。愛しい人を失って、妾の様な思いをする民がいなくなるのだから。もしかしたらラヴォス様の御力であの人自身をも生き返らせることが出来るかもしれない?
 そう考えると、冷えていた身体が熱を持った。死んだ人を生き返らせる――――それは何て甘美な響き。
 女王はふと、袖口に付いた赤い染みに気が付いた。血のようなソレに、何故か優しい温もりを思い出させられた。同時に感じた一瞬の鋭い痛みに、またこめかみを押さえる。
 とろんとした目を閉じる。「良い夢を」と、冷淡な声が聞こえた気がした。先ほど自分を癒した声よりも冷たく、突き放すような声色。それなのに何故かその言葉にほっとして、また眠りの中に落ちていった。


 End.
*あとがき*
ちょっと最近更新がんばってる月城です←
またまた女王様のお話です!!古代好きな方とお話ししているうちに滾って来たので速攻で書き上げてしまいましたw
ジール様を妖艶且つ切なく書こうとした結果ですw
ちょっとエロいかもですがwき、キスシーンまでなら良いですよね??汗
魔サラやら魔ジールって良いと思うのです←えw
苦手な方いたらごめんなさい!(><)

あ、そうそう。地味にちんまりpixivに投稿始めました!
といっても此処にある小説しかありませんがw
トップからつなげてあるので、もし良かったらそちらでも仲良くしてやって下さいませ☆

2012.8.17

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