もう一度



「予言者よ……そなた、妾と何処かで会ったことがないか……?」
「は?」
 背筋を戦慄が駆け抜ける。満月の夜、女王の間での事である。
 女王が何か用があると部屋から呼び出されたのがほんの半時前。よもやこのような事を聞かれるとは思いもしなかった。
「最近そなたを見ていると時折感じるのだ。こう、懐かしさ……いや、違う。寂寥といったようなものを……」
「……私には解せませんが……」
「妾にも分からぬ。だが……こうしてそなたを前にすると胸の奥がざわつくのじゃ……」
「……」
 予言者は言葉を返せない。今の自分の何が女王を惑わすのか分からなかった。
 いや、考えようによっては色々と理由はある。古代の力と魔族の力は相容れない。本来はある筈のない二つの力が側にあることによって女王が何かを感じているのかもしれない。或いはこの赤い邪眼の所為かもしれない。或いは――――。
 すっかり黙り込んだ予言者に、ジールは淡く笑んで、
「そう深刻に悩むことでもあるまい。妾の気のせいということも十分にある。……くだらない用で呼び出して悪かった」
 ここに来て三月は経つが女王が目下の者に非を詫びるところなど見たことが無い。賢者にすら罵詈雑言にも似た言葉を浴びせた女である。
 その筈が……これは何かが奇妙しい。そう感じずに居られなかった。そしてそれと同時に自分の胸の内でも何かがざわつき始める。もしや、まさか――そんな風に。
「もう下がれ。用はこれだけじゃ」
「は……」
 軽く一礼して身を翻す。自らの青い髪が宙に舞う。予言者の後ろでは、ジールが玉座からその姿をじっと凝視していた。
 誰も居なくなった部屋。静まり返った空間。何時もならこの瞬間が一番落ち着くのだ。何を気にすることもなく、ただ思い出に浸り、これからのことを憂うことが出来る。
 なのに……今は如何してこんなにも胸が騒ぐのだろうか?
「あ奴は――――妾を不安にさせる」
 遠くに置いた方が良いのかもしれない。だが……こんな感覚は久々だった。満ち足りている今を壊したくはないが、この胸の切なさはどこか懐かしかった。
「フ……妾らしくもない…………」
女王はゆっくりと立ち上がる。頭が酷く痛む。部屋に戻って休むとしよう……。


「あんな奴、嫌いだ。姉上も関わらない方が良いのに……」
「どうして?」
 尋ねると、ジャキはそっぽを向いてぼそりと言った。
「だって……あいつからは感じないから」
「?」
 サラはちょっと首を傾げる。一体何の事を言っているのだろう。
「黒い風…………」
 黒い風。ジャキが何時も言う『死』の象徴。最近は事あるごとに口にしている言葉だ。ジャキ曰く最近は王国中に蔓延し始めたらしい。
 それをあの人から感じない……?
「それは良い事じゃないのかしら……?」
 サラに『黒い風』を感じることは出来ない。ただ、最近の王国が奇妙しいのは重々承知しているところだ。その気配をあの人から感じないのなら、それは転機となる事のように思える。
 だがジャキはまた眉間に皺を寄せて、
「……今、この国で風を感じないことなんてないんだ。でもあいつの周りは……姉上には分からないの? あいつ、変だ…………」
 ジャキは暫く期待した風にサラを見ていたが、サラが目を伏せると、近くにいたアルファドを呼び寄せてそのまま何処かへ行ってしまった。
「……?」
 ジャキの言った言葉を脳内で反復する。確かにあの人には解せないことが沢山ある。だが、きっとジャキはその事を奇妙しく思っている訳では無いのだろう。
 もしかしたらそれは、サラがいつもあの人に抱く気持ちと何か関係があるのかもしれない。切ないような、悲しい様な、温かいような、そんな感情。こんな気持ちにならせてくれる人はあの人の他にはいない。
 こんな感情を抱くこと自体、変なのかもしれない。
 そんな事を考えながらサラはローブを羽織り、ジャキの後を追おうと部屋を出る。拗ねたジャキを放っておくと、何か――というよりは悪戯――をしそうで怖いのだ。
 ペンダントを隠したり、魔神器を壊そうとしたりしたこともある。理由を知っているサラとしては可愛い悪戯と取れなくもないが、女王やその周囲の者からしたらジャキは疎ましい存在となってしまう。年齢を鑑みて今までは特に大きな処分が無いように取り計らえたが、これ以上問題を起こしたら女王が何というか分からない。
 何時もジャキが行く図書室やおやすみの間を見て回ったが姿は見当たらない。念のため魔神器の間でジャキが来ていないか尋ねたが、これも違うようだ。大方何処かの丘でアルファドと暇つぶしでもしているのだろう、とサラはジャキを探すのを諦め、自らも外に出て気分転換をしようと思い、宮殿を降りてカジャールへと足を向けた。
 前方から子供が数人楽しそうに駆けてきた。屈託なく笑う子供達。きっとこの子たちは今この国で起こっていることを深く考える事も、今の生活が変わるかもしれないと思う事も無いのだろう。それを約束しているのがこの国なのだから……。
 永遠の国ジール。それを今以上に強固にする必要はあるの?
 自問自答するが答えは出ない。だが、今あの子たちが幸せだと思っている様に、このまま流れに任せてしまうのが一番良いのかもしれない……と、思ってしまうのは自分の臆病心からだろうか?
 ふぅ、と一つ溜息を吐いて振り返る。やはり人ごみの中に入る気になれない。折角来たけれど、宮殿に戻って眠った方が良いかもしれない。最近どことなく身体が怠い……。
 サラはくるりと踵を返し、元来た道を戻り始めた。何時の間にか日は傾きかけている。青かった空は徐々に赤く染まっていく。
「あ……」
 宮殿への洞窟を通り、城のある高台に付く。此処からの眺めは好きだ。特に今くらいの時間は国中が朱に染まる。
 そろそろ戻ろうか、と城の階段を半分ほど上ったところで、城門から少し迫り出した岩肌に腰かける見慣れた影を見つけた。
 ゆったりとした暗色のローブ。顔を隠す程深く被ったフード。こんなにも影を消そうとしているのにも関わらずその影が濃すぎてサラの目にははっきりと映ってならなかった。それともただ自分がこの人を気にしていた所為なだけだろうか。
 こんなに一人の人が気になったことはない。
 ジャキの言葉の所為も有るかもしれないが、この人は分からないことが多すぎる。その事で余計知りたいと思ってしまうのかもしれない。少しでもこの人に近づきたいと思ってしまうのかもしれない。
 それにしても――どうしてこんなところで?
 予言者はぼうっと遠くを見つめている。目の高さに掲げられた彼の手元で何かが煌々と反射している。光の具合で金にも銀にも見えるそれが放つ光はとても綺麗だ。だが何故か彼はそれをつまみ上げるようにしていた。まるでそのまま雲海に捨てて仕舞おうとするように。やがてゆっくりと手を開く。一際強く反射したそれは重力のままに下へと落ちていき――空中で制止した。どうやら鎖を垂らしただけでその端を手の内に納めているようだった。そのまま手元に引き寄せる。
 手の影になってやっと直視できた三日月型のそれを何処かで見た様な気がして――――。
 確認しようと目を凝らすがはっきりとした形を捉える前に彼の懐へと仕舞われてしまった。
 諦めて階段を上っていくと、その音に気付いた予言者がはっと振り向いた。やがて目を眇める。
「……お出かけでしたか」
 冷たい声色。でも、女王の間で聞く声とはまるで違う。
「ええ、少し。貴方は?」
「……休憩ですよ」
「そう、ですか……」
 二人の間に落ちる沈黙。それが何となく落ち着かなくてサラはふと思いついたことを問いかける。
「さっき見ていた物……とても、綺麗ですね。見せて頂けませんか?」
「――――大したものじゃない」
 さっと変わった声色にサラは戸惑いの声を挙げる。
「え?」
「い、いや……何でもありません。私はそろそろ……」
 予言者は立ち上がりローブに付いた埃を払う。そのまま一礼して行ってしまおうとする彼の前を塞ぐ。彼は薄く笑って、
「何か御用ですか?」
「いえ……特に用事は無いのです。でも、何となく貴方がお疲れの様に見えて」
「だから戻って休みたいのですよ」
 その微笑に拒絶の意が含まれている事なんて分かりきっているけれど。それを避けていてはきっと何も変わらない。
「分かりますわ。では……そうですね。お疲れの様ですし、何か温かい物を後で部屋に持っていきますわ。そのくらいさせてくださいな」
 予言者は軽く目を見開く。それから少し困惑した様に目を逸らした。
「貴女もお疲れでしょう……? それに貴女にそのような事をしてもらう理由はありませんよ」
「理由はなくとも、感情は籠っておりますわ」
 言葉を交わす毎に起こる些細な表情の変化。冷たい、怖い、そう感じさせる雰囲気も少し変わればこんなにも違った印象を与えてくれる。
「いや……」
 予言者は尚も言い淀み、言葉を探す様に視線を泳がせている。まるで好意に慣れていないようだ。やがて小さく溜息を吐いて、
「貴女のお好きなように」
「……貴方が私を頼って下さるのは初めてですね」
「頼っている、と言うほどのことでもないでしょう」
「ふふ……それもそうですね」
「何故笑うのです」
「特に理由はありませんわ。でも、貴方と話していると何だか懐かしい気になるから……」
 尚もくすくすと笑い続けるサラに、予言者は言っても無駄と悟ったのか、するりとサラを躱して城内へ向かっていく。だが途中でふと足を止めて、
「先程……何故私の持ち物に目を留めたのですか?」
「え、ああ……光に反射していたものが綺麗だったから……です」
「それだけか……?」
「そうですが……それが何か?」
「なら良いのです。……奇妙しなことを聞きました。忘れてください」
「いいえ。……でも、とても綺麗でした。反射していてはっきりとは見えなかったのですが、細工が気になりますので良かったら今度見せて下さいね」
 何故か、予言者はそっと目を伏せる。そのまま踵を返し、
「――――それでは」
 と城内へ消えていった。一人残されたことで感じる一抹の切なさ。
 サラはさっき予言者がしていたように岩肌に腰かける。既に太陽は雲海の果てに沈みきっていた。群青色の空はまるであの人の髪の色。自分の持つ色よりも深く、優しい色……。
 ――――私は一体何を考えているのだろう?
 どうしてあの人と喋ると安心するのだろう。恋? 違う。これはそんな感情じゃなく、もっと別の何か……。
 あの人と居ると、自分は今のままではいけない様な気がする。変わらなくてはならないと強く思う。
「……私は、どうかしてしまったのかしら……?」
 問いかけは宙に消える。心の奥に引っ掛かるのはあの人との会話。気にかかるのはあの人の好きな飲み物は何かということ――――。


 重い身体をどさりと寝台に投げ出す。今日はすぐ休むつもりだったのに、部屋へ行く途中で魔神器の調子が奇妙しくなったとかで捕まってしまった。サラを呼ぶまでもなく収まったから良いものの、時間を浪費してしまった。それにあの場所はどうも気に要らない。ラヴォスの力が身体を蝕むのがわかるのだ。
 額の上に手の甲を載せる。ズキズキと痛むこの頭は後遺症なのか。
 それにあの赤い光は……時折、瞬間的に破壊衝動を呼び起こす。あの魔神器、あの場所、寧ろこの王国を破壊してしまいたいと思う程の。
「……ん?」
 ふと見遣った寝台脇のサイドテーブルに置かれた銀製の盆。身を軽く起こし覗き込む。銀細工が網の目状に施されたゴブレットには白色の液体が注がれていた。それと、控えめに添えられている小さく折られた羊皮紙。
 摘み上げて広げると、薄くて細い、流れるようなサラの文字が記してあった。
『お忙しい様なので置いておきます。よろしければどうぞ』
 文字を爪先でそっとなぞる。わざわざ置きに来てくれたのだろうか……。
 ゴブレットを傾け、喉を潤す。まだほんのりと温かいが随分と冷めてしまっている。命の水とは違い、急速に身体に力が漲っていくことは無い。しかし自然な味は身体に沁み渡る。
「少々、いや――――大分、甘い……」
 砂糖の入れ過ぎだろう。甘味は疲れに聞くとはいうが、限度というものがあるだろう。
 半分程飲み干した所で一度杯を置く。続けては飲めそうもないが、残すつもりはない。最後まで飲み干すさ。何せサラがわざわざ――――。
 ピタリと動きを止める。サラがわざわざ? だからなんだと言う? 苦手なら残せばいい。邪魔になるのなら撥ねつければいい。だというのに自分は何故サラの好意を受け入れ、それに満足しているのだ? どうしてあの時――お守りを捨てられなかった?
 最近何かが奇妙しい。女王は『予言者』に見覚えがあると言い、サラは冷酷な筈の『予言者』を懐かしいと言う。そして自分は、その事に驚き、期待し、安堵し、喜びを感じている。
 何時から……こうなってしまった。
「俺は――狂ってしまったのか?」
 求めていたものはこんなことでは無い筈なのに。
 突き詰めず、杯を再度煽った。甘い、甘い――――――むせ返るほど。


 分からない。
 どうしてこんなに心乱されてしまうのか。
 どうしてあの場所に足が向いたのか。
 どうして忘れた筈の気持ちが胸の内を滾るのか……。


 空と雲と街が一望できるこの場所。沢山の白と青の花に囲まれた墓。
 今日は年に一度執り行う弔いの日。前王の弔いをするのはしきたりであり、その日は公務が休みとなる。
 予言者は式に出席しなかった。前王――――父の弔いを今更、とその時は思ったのだ。
 だが……何故か自分は此処に居る。
 先程までは人が溢れていたこの場所も、もう誰も居ない。あるのは……ぼうっと墓碑を見つめる女の姿のみ。予言者はジールに気付き、足を止めた。
「そなたはこの場所が好きだった……」
 唸るのは風の音。それに混じって聞こえた声は何処か悲しそうだ。遠くから大理石が光を反射し、眩しさに目を細める。
 先客がいるのなら仕方ないか……。そう思い、身を翻したその時、
「――――誰じゃ」
 瞬間的に身体が硬直した。ジールがゆっくりと振り返る。
「お前か……式には出ず、後からこうしてやって来るのは何故だ?」
「……私の様な者が出席するのは不謹慎かと思いまして」
 くるりと向きを変え、曖昧に笑む。その手に握られた百合にジールは皮肉気に微笑んだ。
「お前に供えられずとも、もう花は溢れんばかりだ。その中にお前の者を加えることに何の意味がある?」
「……それもそうですね。出過ぎた真似を致しました」
 ならば捨てて仕舞いましょうか……と予言者は花を目の高さに掲げた。ジールはそれを視線で制す。それからゆっくりと首を振った。
「いや……いい。好きにしろ……」
 おや、と予言者は眉を潜める。何時もの女王と何処か違う?
「それでは……失礼して」
 墓石に歩み寄り、花を落とす。成る程本当に一輪増えただけでは元と何も変わらない。それでも良い。自分が満足したかっただけなのだから。思えばこうして花を供えるのは初めてか――――。
 予言者が手を合わせた一瞬、ジールは軽く唇を噛み、
「お前にそんな顔が出来るとはな……」
 神妙な顔付きの予言者にジールが不可解な言葉を漏らす。予言者は小さく息を吐き、剣のある顔をジールに向け…………はっと息を呑んだ。
「どうされたのです」
「え……」
 ジールは眦を濡らしていた。止まらない、拭おうともしない、驚いた様に目を見開くばかり。混乱した様にこめかみに手をあて、
「お前がいるからか……いや違う。そんな筈はない」
「――――女王?」
 予言者は戦慄くその身体を支えようと手を伸ばす。だが、その手が方に触れるか否かと言うところで払われてしまった。
「触るな……!」
「女王、体調が優れないのなら城へお戻りに……」
「煩い! 具合等悪くはない。ただ……そう、ただ力が足りぬだけなのじゃ。今日はまだラヴォス様の御力に触れていない……」
 喘ぐように墓石に凭れ掛かり、そのまま体を沈める。縋る様に墓石の碑文を指でなぞるジールの姿に込み上げるどろりとした黒い気持ち。
「――――貴女はどうしてそこまでして力……永遠の命が欲しいのですか?」
 女王と間合いを詰め、予言者は低く囁く。
「分からぬ……分から…………いや、妾はただ……強い力が欲しいだけ……そう、国を守れる程に強い力が……そう、あの人の様に儚くなることのないように……・・」
 滴る雫は墓石を濡らす。ジールは泣きながら笑っていた。ふらりと立ち上がった彼女のマントが風にはためいて、その存在を主張する。
「それが貴女の言う『あの人』の望んでいたことだとでも?」
 父の生前、ジールが父を思っていたことは知っている。それなのに父の遺志を継ぐどころか反する政策を推し進めている理由がずっと気になっていた。
「勿論、そうだろう。あれは……悩み苦しんでいった。自分の弱さと脆さに。それを妾が克服しようというのじゃ。何が悪い……?」
 そこまで聞いて悟る。嗚呼、ジールは父を思っていたからこそ道を踏み外してしまったのか、と。
「時折不安に思う事も有る。だがそういった時、深く考えようとすると頭が酷く痛むのじゃ。今の有り様、妾の行ってきたことが正しいと思わなければ妾は……妾は……ッ」
「……ですが、今のやり方が正しいと貴女は胸を張って言えるのでしょうか?」
 詰め寄るとジールは乱暴に涙を拭い、きっと睨みつけた。
「黙れ……お前に妾の何が分かる!? お前は妾に仕え、妾の為にいるのだろう? お前はただ妾に従っていればいい。そのことがお前の喜びだろう?」
 予言者は笑った。呆れ、全てを諦めたような今にも泣きそうな顔で。
「そういう貴女こそ、私の何が分かるのですか…………?」
「――――――ッ!!」
 ジールは高く高く手を振り上げた。それを目でゆっくりと追いながら、待ち受ける痛みを思い描く。痛いのだろうな……。
 振り下ろされた手は恐ろしくゆっくりと感じられた。数秒後に痛みを覚悟し目をつぶった時、身体を押す強い力を感じた。ぐらついた身体に照準を合わせられなくなったジールの手は空しく空を切る。ふらついた予言者が振り返ると、そこにいたのは……。
「何故……何故お前が邪魔をする!」
「……もうやめましょう、母様。全部……」
 いつからここに来ていたのだろう、青の花束をそっと抱え、慈愛の笑みを湛えたサラが女王を懇々と諭し始める。目まぐるしく変わるジールの表情とは違い、サラはいたって穏やかだ。
「妾がやめる? 何をだ? お前は妾の今までを全て否定すると言うのか……」
「私はずっと色々なことを貴女に言いたかった。でも勇気がなかったり、『誰か』や『いつか』に期待したりしてしまった。でも私にはもう……貴女が間違っていると分かってしまったのです。
貴女以外の誰も永遠の命等求めてはいない。貴女に同調する人もただ貴女に植え付けられた『死』への恐怖心からそう思うようになっただけ。この国は今のままで十分美しい。父様が目指したように、もう何も変える必要はないのです。変わらなければならないのは私達だけ……」
 ――――サラ。
 ゆっくりとそう語るサラの表情は見た事が無い程大人びて見えた。
「何故そんなことを言う……共に良い国を作っていこうと約束したではないか。そなたの父が亡くなった日の事だ。覚えていないのか、サラ。最近のお前はどうも奇妙しい……」
 女王はふらりとよろめきそのまま地面に膝をついた。反射的にその背中に手をあてがう。何故だか知らないが今度は拒まれなかった。寧ろ縋る様に手の端を掴んでくる。
「……間違ってなどおらぬ…………」
 ジールは予言者にしか聞き取れない程の微かな声で何度もそう呟いた。目からはまた大粒の涙が零れ落ち、肩はわなわなとふるえている。そんなジールをサラはじっと見つめているだけ。
「――――女王。落ち着いてください」
「何を言う……妾は取り乱してなどいない。妾は、正しく国を治めてきた! なのに何故誰も妾を分かろうとしないのじゃ。妾は……妾は……ッ」
 顔色を失くし切々とそう訴える女王に胸の内が熱くなった。あれほど力があると信じていた女王はこんなにも脆い存在だったのだと改めて突きつけられた。強く見えたのはただ大きな力を取り込んでいたからに過ぎない。
 そう思ってしまうと、今までの自分の行いまでも馬鹿らしく思える。こんな弱い生き物を自分は恐れ、あわよくば倒そうとしていたのか――――と。
 予言者は俯くジールの肩を抱き、墓の先に広がる街並みを示した。自然豊かなジール。目を凝らせば子供のはしゃぐ姿を認めることが出来るかもしれない。
「……貴女と前王が治めてきた国はこんなにも美しい」
 永遠の国ジール。そう信じさせる美しさを、力を、この国は既に持っている。
「――――。嗚呼……」
 ジールが安心した様に微笑んで、もう居ない人の名前を呼んだ。瞬間一際強い風が予言者のフードをはぎ取り、加えてローブを閃かせた。サラが目を大きく見開く。
「妾は…………今からでもあ奴の様になれるだろうか……?」
「なれますわ、きっと。父様も応援してくださります……」
 サラはそう声を掛けると、墓石に花を供える。ジールはそんなサラを切なそうに見つめながら、さし延ばされた手を頼りにゆっくりと立ち上がった。まだ彼女の涙は枯れていないようだった。
 仏頂面の予言者と目が合うと、ジールはふっと破顔した。
「お前は……良くわからぬな。時折ハッとするほど妾を惑わせたかと思えば、こうして手を差し伸べる……お前は一体何なのじゃ?」
「……私は一介の臣下に過ぎませんよ」
「それもそうじゃ。……ふふ、妾もとぼけたことを聞いたものよ……」
 ジールはまだ覚束ないものの自分の足で城へ向かって歩き始めた。寄り添おうとしたサラを制し、代わりに、
「次の会議は二刻後より始める。双方遅れずに参れ」
 その後ろ姿は凛としてかつての母の姿を彷彿とさせた。先ほどまで強く吹き荒れていた風も今は落ち着いてただ丘の草を撫でるのみ。
 ジールはラヴォスの力から逃れる事が出来るだろうか。一度嵌まってしまったものから抜け出すことは容易ではない。きっとこれからも困難が待ち構えているだろう。もしかしたら今日のこの瞬間は二刻も経てば夢の様に掻き消えてしまう物なのかもしれない。
 だがそれでも、サラは満足そうな顔で空を見上げていた。それだけで自分の中で欠けていたものが満ちていく。
 その充足感を感じながら思い浮かぶ感情。
 もしかしたら自分は――――ラヴォスを葬らなくても、この関係が守られていけば満足なのではないか? と。
 サラが居て女王……母が居てかつて愛した国の繁栄を見届け、手助けできる。これ程の幸せがあろうか。ラヴォスを倒すのではなく、封印する。それでも良いではないか。
 ラヴォスを倒すことに失敗したら、国は滅びてしまうかもしれない。自分の復讐心を満たす為に国の行く末を危険にさらすにしては、先程のサラの言葉が胸に突き刺さる。
 そんなリスクを犯すくらいならば……今まで失っていたものを取り戻したい。そう思わせたのは間違いなく母の涙とサラの笑顔だ。
 ジールの後ろ姿がすっかり見えなくなった頃を見計らってサラは予言者の元へ駆け寄った。
「………予言者さん。きっと貴方はきっと私達と縁の深い方なのでしょうね」
「……」
「言いたくないのなら今は言わなくて結構です。でもいつか、私が貴方の素顔を見た時に感じた寂寥に理由を付けてくださいませ。それと……貴女の腰についているソレの説明も」
「どうして、それを……?」
「ふふ…………貴方は隠し事が苦手のようですね。でもまだ私にはソレが何を意味しているのかはっきりとは分かりません。だから……ね?」
 そう茶目っ気たっぷりに微笑まれては敵わない。一応予言者として身を偽ってきたわが身を思えば複雑な心境でもある。
 貴女は此方の気も知らないで……そんな風に無邪気に笑うのか。もういっそそのまま笑っていればいい。
 一しきり笑ったサラは急に真剣な面持ちになったかと思うと、予言者の身体にそっと凭れ掛かった。
「まだ此処には貴方が必要です。これからも私達を支えて下さいますね……?」
 ぐっと言葉に詰まる。サラは少し心配そうに微笑みながら此方を見据えていた。
 一度失くしたものは二度と戻らない。そう決めつけて生きてきた。
 だが――――――今からでも遅くないのかもしれない。懐かしい者達との関わりはお互いを徐々に変えていった。
「……ええ、必ず」
 今まで失くしていた物を取り戻す。そしてそれを守っていこう。そう、心に決めた……。
 気丈に振る舞っていたサラはふっと破顔し、ぽとり、一粒だけ涙を流した。思わず身を乗り出すと、サラはそれを制して、
「別に、悲しい訳ではないのですよ…………?」
 涙を指で拭った。ではどうして泣いたのか、尋ねるのはきっと無粋な真似なのだろう。サラが悲しくないと言っているのだから、それで満足できる。
「ならば良いのです。さあ――――――戻りましょうか」
 差し出した手をサラが掴んだとき、何かが満たされた気がした。



「――――白、青、紫……駄目だよ、父様が一番好きなのは……」
 赤い花束が墓石の真ん中に供えられた。サルビアの真っ赤な花々が彩りを添える。
「不謹慎とかどうでもいい。僕は父様の好きな花を供えるんだ……」
 用を済ませたジャキはううんと大きく伸びをして、息をいっぱい吸い込んだ。新鮮な空気を思い切り。そこに何時も感じる不快感は無い。ジャキはちょっと驚いて目をしばたたかせが、やがてその相好を崩してそっと呟く。
 …………風が、気持ちいいな……。



 Fin.
*あとがき*
8500Hitのリクエストで『ジール絡みの幸せなif話』を頂きました!!
まず最初に……小説の完成が遅くなってしまい、本当に申し訳ありませんでしたm(_ _)m
6月末に完成と言っておきながら2週間も遅れてしまいました…本当に申し訳ありません。
次回からは気を付けますので、どうかお許しください…ッ(><)
――――さて、今回の話ですが……だらだらと書いているうちになんだかすごく長くなってしまいました。幸せなIf話を目指したはずが、序盤ちょっと迷走してしまいました(^^;)
とりあえず魔王がやって来たことでサラとジールの気持ちとかが変わって、それにつられて魔王も段々とラヴォスに対する気持ちとかが変わっていく、っていうのが書きたかったのですが……視点ころころ切り替わって読み難かったかもです…汗
もしこの小説を少しでも気に入って下さったなら幸せですっ!!
それでは、8500Hit有難うございました☆

企画もあと一つもう少しで仕上げられると思いますので、頑張ります…ッ!!


※7/22に誤字・脱字を訂正いたしました。ご指摘されるまで気付かず、本当に恥ずかしいです……申し訳ありませんッ(><;)


2012.7.13

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