Another Ending 6.求めた者よ、安らかに眠れ空間が揺れている。同時にキィインと耳の奥で悲鳴の様な音が響いた。視界は急に閉ざされ、女――ジールの輪郭がぼやけて消えた。立っていた筈の地面が消え、浮遊感が身体を包む。はっきりとしない意識の中、先程聞いた声が脳内に響き渡った。 『有り難く思うと良いぞ……』 生理的嫌悪を感じる、艶やかな声。魔王は居もしない女の姿を探して暗闇を仰ぐ。 『この船の一部になれることを! この私の一部になれることを!! ラヴォス様の一部になれることを!!!』 黙れ――――そう叫んだのと、視界が青で染まるのはほぼ同じだった。 「ここは……」 軽い頭痛を感じながらも身体を起こす。見覚えのある青く渦巻く空間。そう、これは、次元の歪み。何処ともしれぬ場所。そして自分が中世へ飛ばされる前、ラヴォスの元で――――いや、今更思い起こすことでは無いな。 辺りには誰も居ない。共に戦っていた筈のクロノ、ルッカの姿も見当たらなかった。 「よもや……やられたのではあるまいな」 自然と声が漏れた。若干の不安を抱きつつ、一歩を踏み出した――――その時。 「…………いいえ、あの方達はきっと無事ですわ。尤も魔神器の力に取り込まれていなければ、の話ですが……」 背後から声が聞こえた。とても懐かしい声が。先ほどの幻聴とは違う、温かみを持った声。 「ッ!?」 咄嗟に振り向いたその視線の先、青に染まる青。どうしてここに、 「な、何故……貴女が―――――!?」 「お久しぶりですね」 声の主、サラは動揺する魔王を一瞥し、にこりと微笑んだ。その表情も古代で再会した時と何ら変わっていない。だが、しかし……。 それにしては辻褄が合わないことが多すぎる。第一こんなところにサラが居る筈はないのだ。海底神殿の事故に巻き込まれ、今はもうどこにも居ない筈なのだから。もし何らかの奇跡が起きサラが生存していたとしても、こんな状況を素直に受容しているのは奇妙しい。サラは決して愚かでは無いのだ。このような不可思議な空間に自分が在るとなればどうにかしてでも抜け出そうとするだろう。それが出来る力も更には有るのだ。 考えていくうちに一つの結論が見えてきた。これは全て……自分の幻覚、或いは幻想、若しくはジールが見せている幻惑なのではないか、と。 「そんな難しい顔をしないで下さい。私は幻でも虚像でもありませんわ」 思考を読まれ、一瞬言葉に詰まる。サラも勘は良かった――等とくだらない記憶が不意に呼び覚まされた。 「しかし……っ!」 「信じられないのも当然です。私と貴方は、このような所で再会する筈がないのですから」 「では、やはりこれは現実では無い」 鎌を構えようとした魔王をサラは少し手を挙げて押し留めた。 「いいえ。これは現実。そして私は貴方の姉で貴方は私の弟。これは紛れもない事実……」 「!」 どうしてサラが知っている。古代に居る間中、その事実だけは隠してきた。別れのあの瞬間まで気付いた様子は無かった。それなのに、一体何故。 「驚いていますか? 私がこの事を知っていることに」 「……」 「それも当たり前かもしれませんね。貴方は私と共に居る時、全くその事を教えてくれませんでしたし、気付かせない様に振る舞っていた……違いますか?」 その通りだったが、問は黙殺した。だがサラはそれを肯定と受け取ったようで、更に言葉を続ける。 「……予言者と呼ばれた貴方、魔王と呼ばれた貴方、そして私の弟だった貴方。私は全てを知っています。どういう経緯で魔王と成り予言者と身を偽り私と会い今此処に居るのかも、若干の憶測を含むとしても把握しているつもりです」 「何故」 拳を強く握った。くそ、状況が理解出来ない。予言者であった自分が弟だということは感づけたとしても、以前魔王と名乗っていたことまでどうやって知ると言うのだ。そのようなこと、時間を超えぬ限り……。 ――まさか。 ハッと顔を上げた魔王に、サラは淡々と語る。それこそが唯一の真実だと信じ込せるように。 「もうお気づきでしょう? 黒の夢は何時の時代も見通せる――――」 「サラ……」 「私は全ての時代の貴方を見ました。中世と呼ばれる時代に落ち、また時空の歪みに吸い込まれて古代へ戻った貴方の苦しみや悲しみ、苦難の全て……」 やめろ。そのような慈愛に満ちた声で俺の生きてきた道を辿るな……! 酷く、惨めになるだろう……? 魔王が無意識の内に顔を歪めると、サラはそっとその肩に自らの手を置いた。その瞳が悲しげに揺れている。 「その上で貴方に問いたいのです。貴方は一体誰なのですか? 本当の貴方は一体何で、何処にいるのですか?」 「……」 誰……か。名を棄て、仲間を裏切った挙句身を偽った自分にはもう正しい姿は無いのかもしれない。強いて言うなら今までに重ねた罪と偽りが今の自分を作っているのかもしれない。 答えない魔王に、サラはそっと囁く。金色のイヤリングがちりんと揺れた。 「……そうでしょう。数々の時代に歪められた貴方はもう本当の自分を失っているのです。もう誰でもない存在、それが貴方。私も同じ……」 「サラ……?」 冷たいサラの手が首に触れた。ひやりとした感覚が身体を伝う。反射的にその手を振り払った。何かが違う。何処か奇妙しいのだ。 「私もそう。歪んでいる。だから此処に居ればきっと……」 「……何を……言っている? サラ、いや……姉上……っ」 逼迫した声が空間を震わせる。サラは一瞬――ほんの一瞬だけ目を見開いて、それから楽しそうに笑った。目もどこか虚空を彷徨っているようだ。それを目視した途端、身体から力が抜けた。これでは、まるで……。 「あら、そう呼ばれたのは何時以来だったかしら? 懐かしいわ。……でももう貴方は『ジャキ』では無い。歪んでしまっている。これは……悲しいこと」 それ以上言うな。この疑惑を疑惑のままで終わらせたい。咄嗟にサラの肩を掴み、強く揺さぶる。冷たい身体。 「それがなんだと言う!? 歪みは……正せば良い!」 いや、歪みなど正されなくても良い。貴女さえ救えれば。そう思って此処まで来たと言うのに、何故貴女が……。 「……『魔王』と呼ばれた貴方の口からそのような言葉を聞くこともまた歪み。……でも、そうね、歪みは正さなくてはならない。それは正しいこと……」 この期に及んで善悪を語り合っている事実が酷く疎ましく感じられた。このままサラを連れ、出口を探し、ラヴォスを倒す――――何の問題が有る? 共に此処を出よう、そう口にしようとした。しかしそれより早く……。 「だから私は此処にいるのです。歪みを正す為に。民が皆幸せになる為に。ラヴォス神の力を借りて――――」 サラが魔王の手を振り払った。その目は強く、魔王を見据えていて。 「ラヴォス、神…………?」 「此処には永遠がある。安らぎも平和も、未来さえある。そして、誰も私を縛らない!」 無邪気に両手を広げ、天を仰ぐ。まるでそこに青空が広がっているかのように。 「サラ……っ!」 「私は皆をしあわせに出来る――――してみせる……!」 疑惑が確信へと変わる。サラはきっと、海底神殿が崩壊したあの時からずっと此処に居たのだ。 ラヴォスがジールよりも力のあるサラを放っておく筈がない。自らの一部にと欲しがったに違いない。力の誘惑に耐えきれるほどの強さを果たしてサラが持っていただろうか? 願いを叶えられる程の力を目の前にぶら下げられたら、誰だって飛びつくだろう。それにその時サラは独り、己の力不足を嘆いていたに違いないのだから。 「私が弱かったのは私に力が無かったから。それが今はこんな大いなる力の中でみんなの未来を見守っていられる……。これ以上のしあわせは無いわ。これが私の求めていたもの……っ」 ……心臓の音が、早く聞こえる……。 「きっと貴方ともここでならやり直せるわ。此処には永遠があるのだから、時間の壁に悩むことも、過去を変えたいと願う事もなくなる……」 未来を夢見るかのように語るサラ。楽しそうだが、とても、とても……痛々しい。魔王は目を瞑って、 「幻想だ。目を覚ませ……サラ。俺と共に帰ろう……ッ!」 「え……どこへ?」 「サラ!」 「私の帰る場所は此処……。貴方こそ私と一緒に母様のところへ帰りましょう? また家族三人で暮らせたら良いのに」 「……ラヴォスの力に溺れたのか?」 「そんなことは無いわ。私はラヴォス神の力を借りているだけ。ラヴォス神の御力は素晴らしいの。その力を奪おうと言うのなら、誰だって許さないわ――――」 そこから先、サラが何を言っているのかはよく聞き取れなかった。 サラ……貴女は、そこまで……。 「貴女の望む世界はこんな馬鹿げた場所に在るのか? 貴女が幸せにしたいと望む民は此処に居るのか? 周りを見ればわかる。何もない。此処は全て偽りの世界だ。貴女は俺に誰にも縛られていないと言った。それは違う。俺には貴女がラヴォスに縛られているようにしか見えん……!」 「? 何を言っているの、やめて……」 「姉上、貴女は永遠の力などを欲しがるような人だったか?」 「やめて。やめ……うっ」 サラが頭を押さえてその場に座り込んだ。苦しそうに喘ぐその背中に手をあてがいつつ、そっと尋ねる。 「ラヴォスが幸せを貴女に与えていると言うのなら、貴女は今何故苦しんでいる……?」 「私は……私……ッ。あ、ジャキ……?」 サラが茫然と魔王を見据えた。硝子玉のように大きな目を更に大きく見開いて、魔王の名を呼んだ。その瞬間、その双眸にかつての輝きが戻った気がした――――それなのに。 「私は――苦しんでなんか…………ない……ッ」 サラは激しく魔王の手を払った。そしてふらつきながらも立ち上がると、凛とした表情で声高に言い放った。 「此処は永遠の安らぎの世界! 私はその一部と成り、みんなを……しあわせに出来る……ッ!」 「――――――サラ……」 貴女は狂ってまでも人の事を想うのか……。最後まで自分ではなく他人を厭うて果てるのか。 軽い眩暈を感じ、魔王はそっとこめかみを押さえる。何かが奇妙しい。否、全てが奇妙しいのだ。 「だから私は貴方にもしあわせに成って……私と共に生きてもらいたいのです。かつてそうしていたように私は貴方を守り貴方は私の支えとなって生きていく――――そうすれば、きっとあの頃は戻ってくる、いいえ、あの時を作り替えられるでしょう?」 サラはまるで子供の様に語る。花冠を作った思い出、父が生きていた時の話、母が狂っていなかった時の話、そのまま在る筈だった未来の話。サラの口から紡がれるそれらの物語は白々しく、その偽りに心酔したサラの姿はただ悲しく目に映った。 「だから、一緒に行きましょう。ジャキ……」 笑顔と共に伸ばされた手を取ることが出来ない。この手はずっと求めていた者だというのに、だ。 「ジャキ…………?」 ――――その顔、仕草、声でその名を呼んでくれるな。錯覚しそうになるだろう? 貴女があの時のまま、何も変わっていないと。過去にさかのぼり全ての過ちを正せると。そして今度こそ……二人で生きていけると。 だが、そう錯覚するにはあまりにも……。 「さあ…………」 更に伸ばされた手。その手が腕に触れる。刹那、おぞましい程の嫌悪感が身体を駆け巡った。これは違う。違う! 全てが奇妙しい。全てが――――狂っている! 狂った貴女を見るくらいなら、いっそ、この手で眠らせてやりたい。 ――――…………気付いた時、視界に赤いものが飛び散っていた。それが血だと分かるまでにそう時間はかからなかった。 深々と突き刺さった短剣は左胸部を深々と刺し貫いている。それなのにサラは倒れない。一瞬だけ息を呑み、魔王の手を掴んだだけ。短剣を抜いた時、溢れ出す筈の血は微かに滲むだけ。 驚愕に目を見開いた魔王にサラは怒りもせず淡々と告げる。憤って泣いてくれたならどれほど良かったか。そこにかつてのサラを思い描く事も出来たのに……。 「此処はラヴォス神の御力に溢れた世界。私は此処では死なないわ」 「……その事を、奇妙しいとは思わないのか」 ナイフに付いた血を拭う。その手元は知らず知らずに震えている。 「どうして?」 魔王の声と正反対なサラの凛とした声が辺りに響き渡る。サラは今の状況を微塵も疑っていないようだった。その上で、笑うのだ。 魔王は目を眇め、薄く笑って、 「いや、それならもう…………もう良い」 きっと、サラはもう元に戻ることは無いのだろう。 ラヴォスの一部となったサラは、ラヴォスを倒せばその力と共に消滅してしまうのだろう。もう二度と心から笑うことも無ければ、かつての様に自然を見て美しいと思う事も無いに違いない。 それは果たして、サラにとっての幸せだと言えるのだろうか。生きていると言えるのだろうか。もしサラが本当にこの状況を幸せだと思っているなら、それこそがサラの作り出してしまった最大の虚構なのではないだろうか。だとしたら……それに甘んじて、いや、それを信じ切っているサラはどれほど嘘に塗れてしまったのか。疑問は多々浮かんでくる。しかし、一つだけ分かるのは今自分の元にかつてのサラは居ないと言う事。 サラ、今貴女は幸せなのか? 答が返ってくることは無かった。ああ、口に出していないのだから当たり前か……。 自分が求め続けた人はもう戻ってこないのだ。サラは変わってしまった。 サラは追いかけてこない。一度だけ振り向くと、こめかみを押さえて立ちつくしている。だがその胸元からは既に血の跡は消えていて、サラがもう生身の人間でない事をまざまざと思い知らされた。 向き直った眼前にはまた時の歪みが迫る。此処を潜れば幻は消え、戦いが戻ってくるに違いない。だが、その方が壊れてしまったサラを見続けるよりは楽なのかもしれない。 そう思い、魔王はまた一歩を踏み出した。もう、特に悲しみは感じない――――。 …………どうしてこうなってしまったのだろうか。 歪みを抜けた先でクロノ達と合流した魔王は、鎌を新たに構えながら自らに問うた。そして頭を小さく振る。残像を打ち消し、これから待ち受ける戦いに集中する。 そんな魔王の目の前で、サラと同じ表情をして笑う母だったもの。 嗚呼――――なんと悍ましい。 「愚かな……。全ての存在は、滅びの宿命から逃れる事は出来ぬ……」 サラを刺した時の感覚がまだ残っている。その刃を今度はかつての母親に向ける。サラを刺した時とは違い、その目は殺意を帯びていた。 「ジールよ。ラヴォスに魅入られた悲しき女。せめてもの情けだ……」 ラヴォスを倒し、我が復讐を果たす為。そして――――、 「この手で、全てを終わらせてくれる!」 大切な人に、安らかな眠りを与える為に。 The end. *あとがき* こんばんは、月城です。企画小説6作目、どうにかこうにか更新致しました。 今回は予告通りバッドエンド。ちょっと悲惨な感じに仕上がっております。 サラだって海底神殿で取り残されたときにラヴォスの力を浴びてしまったら、その虜になってしまうのではないかと思ったところから考え付いた話です。 独りで自分の罪に苛まれながら時を海底神殿の崩落をただ待っていたとして、その間にラヴォスに誘惑されてしまっていてもおかしくないと思うのですよね。 それがDSの追加EDの夢喰いとかともつながって来るんじゃないかとも思うのですが、 とりあえず創作してみました!! さて――――次でラストです。ここまで読んで下さった方、本当に有難うございます。 ラストは純粋なハッピーエンドを目指して書く予定です。 次の更新は出来るだけ早くしたいと思います! 2012.6.1 ←Back┃←Top |