Another Ending 4.遠すぎた希望




 貴女が居ない世界等、何の意味もない。
 貴女を助ける。せめて俺が死んで貴女が生きれば良い、そんな世界と結末を望んだ。その為に生き、何もかもを犠牲にしてきた。
 では――――何故貴女は此処に居ない?
 何故、俺は生きている?


 物事が始まる前と終わった後には静寂が訪れるという。
 岬から見渡す海はとても穏やかだ。黒々とした海にも陽光が煌めき、まるで雲海の光に劣らぬ色を見せている。時折垣間見える白波も、自然の荒々しさが見せる美しさの一つだろう。
 吹雪は止んだ。地の民と光の民は最早その区別を失くし、今では単なる人として生きている。それが有るべき姿なのだろう。歪めたのは紛れもない我が母だ。ある意味ここは正常な場所であると言える。
 今までの魔王ならばあの女の事を考えただけで内側から何かが湧き上がり、ラヴォスの幻影を見ただけで身体の奥底に冷たい物が宿っていた。しかし、今はもうそんな気は起きない。
 叶いようもない事だが、もし今ラヴォスとジールを葬ったとして、何の意味が有るというのだ。
 自分の欲しかったものは既に失われた。永遠に、もう二度と逢うことは無いだろう。いや、無い。断言できる。それは――サラは――ラヴォスの力に飲み込まれてしまったのだから。
 願わくば息絶えていて欲しいと願う。ラヴォスの力に惑わされ苦しむサラの姿など見たくはないから。死後の世界で安らかに眠って欲しい。ラヴォスの力に呑まれた魂は死後も天には行けないと聞く。神など信じたことも無いが、サラにだけは微笑んでいて欲しい。今まで散々暗い笑みを湛えていたのだ。もう、もう十分だろう。せめてあの世では笑っていてくれ。頼む。魔王はそう懇願した。
 風を感じ、そっと空を仰いだ。もう影も形もない永遠のジールを思う。ジールを守ろうとした筈の女はラヴォスの魔力に憑りつかれ、自らが最も尊んだ物を失った。そしてその事にすら気付いていない。民の全てに永遠の命を与えるのではなかったのか。愚かな女……。
 だが自分も似た様なものだ。こんなところで母子の繋がりを感じるなど、憎悪と吐き気が込み上げるだけだがそう思わずにいられない。魔王も結局、最も守りたいものを守れなかったのだから。
 あの王国でサラと語った日々は偽りだった。自らを偽って偽って得たものは何だった。涙を目に溢れんばかりと溜めたサラからの謝罪か?
 国の為に此処までしてくれて、ゴメンなさい――――と?
 そんな言葉が聞きたかった訳じゃない。ただ貴女の為にやっただけの事。国など滅んでも良いのだ、貴女さえ助かれば。貴女さえ呪縛から解き放たれるならば全てを投げ打った。幼き日々に誓った。全てを復讐に捧げようと。涙も人としての感情や姿も、部下や仲間という名の他人も、全て要らないと。ただこの復讐心と紅い瞳だけ有れば良いと。そうしてきた。その結末がこれか。自分は今まで、何のために生きてきた!
 何千年も時を超えてこの世の地獄も、腐りきった完全も、自分の無力さも、すべてこの目でしかと見届けた。それにも拘らず過去を変えることが出来ずにただ歴史をそのまま繰り返した。
 そして今、生きている意味を誰かに問いたい。出来れば貴女に。
 そうしたらきっと貴女は笑って言うだろう。そんなこと言わなくても分かる、と。貴女の口からきいた言葉なら、信用できたかもしれなかった。

 だが、貴女は此処に居ない。

 そんな世界は要らない。全てが終わった真白な世界等空しいだけだ。世界が壊れず、ラヴォスが滅びないのなら、いっそ自分を滅してしまおうか。生きてきた意味さえ分からず、死んでいこうか。そうすればサラはこの世で最も悲嘆な人間にはならないだろうから。
 サラより惨い人生を送ってこられただろうか。サラの慰めになるような人生を送れただろうか……。
 そんなことを考えている間、魔王は心の奥底で囁く声をずっと聴いていた。それは違う、サラは魔王が苦しんだところで慰められることは無いと。寧ろ泣いて謝罪の言葉を繰り返すのみだと。
 きっとこれは驕りではないだろう。サラは痛いほどに優しいから。人の痛みと自分の痛みを混同してしまうような人だから。それが肉親なら尚更だ。
 嗚呼――――それでも、消えてしまいたいという感情が消えない。願望と言っても良いかもしれない。もう、疲れたのだ。それを躊躇わせるのはサラの優しさという呪縛のみ。きっと自分が死んだらサラは泣くのだろう。その涙を自分の為に流したことは有るのだろうか。サラは自分の無力さを嘆き、他人の不幸を嘆き、肉親の行いを嘆いたのに、己の運命を嘆くことは一度とて無かった。
 魔王は立ち上がる。このまま海を眺めていたら、本当に飛び込んでしまいそうだった。何の意味も持たずに死ぬことはサラへの冒涜だ。生きていること自体がサラを守れなかった自分への罰。
 食事を摂る気持ちにはなれなかった。頑強な魔族の身体は一週くらいなら何も食べなくても大した支障はないと思われた。今はただ眠りたかった。動いた拍子に腰の鎖がしゃらりと揺れてその存在を示した。これはもう自分には身に着ける資格も必要もないように思えた。丁寧に外し、薄く雪が覆う大地にそっと落とす。
 岬の先端から退き、少し離れた位置にある立ち枯れた木に凭れた。沈黙が耳に刺さり、直ぐにという訳にはいかなかったがやがて意識は闇に呑まれていった。


 これは夢だ。分かっている。分かっている。
 しかし何故これ程までに鮮明なのだろうか。これも自分に課せられた罰の一環なのだろうか。
 過去の記憶が脚色されて断片的に流れてくる。ジャキだった頃、魔王だった頃、予言者を語っていた頃、そして今。どれが本当の自分なのかは分からない。全てが本物だというにはその全てがあまりにも違い過ぎた。きっとどれも偽りの姿なのだろう。
 サラの幻影が浮かんでは消える。夢の中でさえサラは笑っていない。ぎゅっと唇を引き結び、涙を目に溜めて……。そこで気付いた、自分の記憶の中のサラは殆ど苦しみに満ちた表情をしていたのだと。そう思うと、幼き日々に向けられたあの笑顔はきっと表面だけの仮面だったのではとまで疑ってしまう。嘘を吐けないサラが、優しさから吐いた優しい嘘として。
 やがて画面が切り替わり。安定しなかった足場が突然固まったかと思うと、両手が血に染まっていた。これは今までに殺してきた人間の血だ。濃く赤く染まって死の香りをまき散らす。思わずマントで手をこするが、血は拭えない。辺りに散乱する死体の中に一人ふらふらと立ち上がる者があった。炯々と目を光らせ、折れた剣を突きつけてくる。それが自分が殺した騎士の姿だと分かるのにそう時間はかからなかった。
『俺……は……守りきっ……た。お前は……守れな……』
『――――――――戯れるなッ』
 思わず魔法を詠唱した。しかし、何故か力が集まらない。鎌を手に取ろうとするが見当たらない。騎士は、サイラスはゆっくりと魔王の方へ近づくと、最後に笑って、
『お前は、守れなかった』
 はっきりと言い放った。魔王はその時初めて素手で人を殴った。
 また、場面は切り替わる。あの敗北の瞬間へと。
 あの時と同じようにナイフを手にとり、ラヴォスへと突き刺し、そして――――。
 視界が真白に染まった。


「…………ッ」
 目覚めると、自分の荒い息だけが辺りに響いていた。
「っはぁ……」
 溜まっていた息を吐き出す。夢など見たくなかった。全てを忘れていたかった。
 ごつごつとした幹に身体を預けていた所為か眠りが浅かったらしい。まだ夜が明けて直ぐだ。もう一眠りする気には更々なれず、ただ無為に時を過ごす。それは苦痛でしかなかった。今までは何かやるべきことが決まっていて、ただそれだけを見据えていれば良かったが、今はもうそうはいかない。この寿命が尽きる時まで、自分はこのままここに在らねばならないのか。そう思うと気が遠くなるような無力感と寂寥が込み上げた。
 いつかきっと自分は狂う。その前に命を絶った方が良いのではないか……。
 償いの為に生きると決めたが、今はその決意さえ簡単に揺らいでしまう。それほどまでに魔王の中は空白だった。
「此処も探しておきましょうよ」
 突然だった。風に乗ってそんな声が聞こえてきたのは。続いて幾つかのやり取りが交わされる。これは、この音は、あ奴等の…………? 馬鹿な。
 何かを思っていた訳では無い。何かを期待したわけでもない。ただあ奴等が生きて此処に居るということ自体が奇妙しく思えた。クロノはもう居ないのに、その面影だけを追っている。まるで……いや、何でもない。
 視界の端に奴等の姿が映った。紫と金の髪をした少女が二人と呪われたカエルの姿。彼等は真っ直ぐに岬の先へと歩いていく。そこからは何も見えないと言うのに、だ。
 そこでふと、お守りを岬に置いてきたことを思い出す。あれを自分が持つ資格もないが、人に触れられるのは何となく厭だった。後で海にでも放ろうか。この海にはサラの残滓が漂っている筈だから。全てを消すには調度良いかもしれない。魔王は気怠げに身体を擡げる。そしてカエルが触れる前にそれを拾い上げて無意識の内に腰に付ける。カエル達が驚愕して飛びずさった。
「お前達か……」
「ま、魔王!」
 剣を構えるカエル共を尻目に、魔王は敵に背を向けた。別に切られても良かった。だがその気配はない。
「見るがいい。全ては海の底だ……」
 俺の守りたかった人も、貴様等が慕っていた奴も――――全て。
 カエル達は何も話さない。ただ剣を持つ手を緩め、項垂れているようだった。
「永遠なる夢の王国ジール……」
 永遠等存在しない。その事に誰も気づかず、ただ夢に流されていた。愚かな国。愚かな女王。愚かな民。すべては夢の産物に過ぎなかった。
「かつて私はそこにいた。もうひとりの自分としてな……」
 そう、もう全て終わったのだ。ならば懺悔をしようかと思い立った。実際は、聴がいなくても何ら問題は無かった。過去の追憶が今更のように流れ出る。まるで昨夜の夢の様に。
 これこそ永遠ではないかと思う程の長い沈黙の後、カエルが漸く口を開いた。
「そうかお前……あの時のガキ……!」
「私はヤツを倒すことだけ考え生きてきた……。ヤツが作り出した渦に飲み込まれ中世に落ちて以来な……」
 そう、それだけが生きる意味だった。
「我が城でラヴォスを呼び出すことをお前達に邪魔され……再び次元の渦に飲み込まれ辿りついた先がこの時代とはな……」
 可笑しい程の、偶然。
「皮肉なものだ……」
 自嘲。
「歴史を知る私は、予言者として女王に近づきラヴォスとの対決を待った……」
 その間に見たサラの姿は記憶の中に有るものそのもので。偽りの中に真実を見つけた気がしていた。愚かなものだ。
「しかし結果は……」
 言うまでもない。無様な姿を晒しただけだ。波の音が空間を鳴らす。自分の声がそれに重なって、遠く聞こえた。同時に意識まで何処かに消えていきそうな錯覚に陥る。嗚呼、嗚呼、このまま死んでしまえれば、と。ラヴォスへの怒りはもうない。しかし、何か別の感情が湧いてくる。久々の感覚を味わった。
「ラヴォスの力は強大だ。ヤツの前では、全ての者に黒き死の風が吹き荒ぶ……。このままではお前達も同じ運命だぞ。あのクロノとかいうヤツとな!」
 クロノ、そう発した時背後の気配が変わった。ピリピリとした殺気が静かに辺りを包んでいく。その殺気が高まるにつれて高揚感が内側から込み上げてきた。案の定、
「……! あいつを侮辱する気か……!」
 虚ろだったカエルの目に何かが宿った。魔王はこの光を知っている。これは――――復讐の光。サイラスと同じ目だ。悪寒にも似た何かが背中を走る。言葉が口をついて出た。
「ヤツは死んだ! 弱き者は虫ケラのように死ぬ。ただそれだけだ……」
「魔王ッ!!」
 カエルが剣を構える。それで良い。
 魔力はラヴォスに吸い取られ、そのまま回復していない。習得していた最大魔法もこの魔力では使うことは不可能だろう。出来て中程度の魔法が数回。体もボロボロで、とても戦える状態では無かった。そんなこと分かりきっている。
 …………だからどうしたと言うのだ。
 自ら命を絶つ事が許されないのなら、最後まで足掻こう。向かってくる敵がいるならば、その首を取ることに全てを費やそう。その果てで敗れたならば、きっとそれは意味ある死だ。自分にとっても、その相手にとっても。無意味な生より、意味ある死を望む。だからこそ、
「今ここでやるか……?」
 お前に刃を向けよう。この時代で、全てを終わらせる為に。
「来い……!」


 血に塗れた身体。偽りの身体だ、どうでもいい。もう痛みは感じなかった。朦朧としていく意識を酔ったようにさえ感じた。罪の香りが立ち上って虚空へと消えていく。
 最後に言わねばならぬことがあった。この言葉をこ奴等がどう取るかは知らない。託すのではない、終わるのだ。終わる為には己の生に意味を持たせたかった。自分の死によって何かが始まるのならばそれも良い。ゆるゆると紡いだ言葉が声になったかどうかは定かではないが、精々足掻けばいいさ。
 今更涙など流しはしない。悲しみは無いのだから。ただ欲を言えば最期に貴女の微笑みが見たかった。どうせ今もサラは何処かで泣いているのだろう。その姿がありありと目の前に浮かんだ。
 泣くな、泣くな。俺は今こんなにも安らかだ。貴女が悲しむことなど何一つ無い。
 貴女の元へ笑って逝こう。今はただ冥府に貴女の笑顔が有る事を祈るばかり。
 霞んだ視界の先に光が見えた気がした。雷に打たれた瞬間、誰かが懐かしい名を呼んだ。
 俺は今、上手く笑えているだろうか――――――?


Good luck…

*あとがき*
こんばんは、月城です。ちょっと前から間が空いてしまったのは案の定新学期が始まったからです。次の更新はGW辺りを予定しています。
今回は本作に沿ってみました。あんまり捻じ曲げたりしないようにしています。
とりあえず「魔王が北の岬で息絶える」という設定でやってみました。予告通りバッドエンドです。でも味方によってはハッピー……までは行かなくても、それに近い風にはなるかもしれません。
魔王はきっと自分がカエルに殺されるってことを分かって誘ったんだと思うんですよね。身体が弱っていてもあの場で回復に努めようとはしなかったでしょうし。
だからその選択をした事実に――たとえそれが死でも――意味を持たせてあげたかったんです。
……余談ですが、これを書いている時に参考で魔王VSカエルの動画を何回か見ていたのですが、もうそれだけで感極まってしまいました(笑)魔王なんであんなに格好良いの。
さて、これで企画も折り返し地点!!これから後半に突入していきます。次のネタはまだ確定してないのですが、ハッピーエンド目指します^^*
それでは、ここまで読んで下さった方、有難うございました!!☆


2012.4.16


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