Another Ending 3.たったひとつ例えば――――。 全てを終わらせたとして、命を懸けて叶えようとした目的を達したとして。 最も欲しかったものに触れる手を失っていたら。 その時は、どうすれば良いだろうか。 その答えを俺は知らない。知っているのはたったひとりだけ。 道徳的な答えなど要らない。他人の価値観で決められた正義も悪も関係ない。俺は貴女の答えだけあればいい。 「やったか――――――――――――!」 赤いナイフに確かな手ごたえを感じたのだ。ラヴォスの咆哮も聞いた。しかと聞いた。 「見て! ラヴォスが……!」 マールがラヴォスを指さした。その巨大な身体を蠢かせ、奴が叫び――視界がぼやける。地面が……否、空間が揺れていた。空間は所々で近付く者を吸い込もうと渦を巻いていた。恐らくあれはかつて飲み込まれたタイムゲート。ラヴォスの気配が段々と薄れていき、やがて感知出来ない程にまでなった。奴が死んだのか、若しくはまた眠りについただけなのかははっきりとしない。恐らく確かめる術は無いだろう。しかしそれでも良いと思えた。この時代から奴が消え去るならば……。 「クロノ! マール! 離れないで!」 危機迫った声に魔王ははっとして辺りを見渡した。侵入者どもは離れまいとお互いの手やら服やらを握りしめている。暫くは目視出来た奴等の姿も直ぐに揺らぎの向こうへと消えて行った。空間が不安定な証拠だ。 サラはその三人から少し離れた位置に苦しそうに胸を押さえていた。その近くにあるのは、何処へ繋がるかも知れぬタイムゲート。 「サラ!」 手を伸ばした。あの時と真逆だ。タイムゲートの中にサラが落ちてしまったら、そう考えただけでゾッとした。あの先は中世? それとも違う時代? どちらにせよ同じことだ。どちらも危険に満ち、そして二度と帰れない。気付いた時には、自制が効かぬ程の強い力でサラの細い手首を握りしめていた。それを認識した途端、目を焼く様な閃光が空間の中で弾けて消えた。 薄れゆく意識の中で魔王は思った。この手だけは離さない、と。 皆が寝静まった頃、その部屋には二つの影が有った。寝台に横たわる者と、それを見下ろす者。後者の視線は何とも言えぬ苦しみを持っていた。 「――――元凶、その罪も償わず、貴女は眠るのか……?」 白で統一された部屋の中で、昏々と眠る者が居た。もう一週になる。その間何も口にしていないのにも関わらず全く衰弱した様子を見せていない。元来彼女が持つ魔力がそうさせるのか、それとも一瞬でもラヴォスの力を取り入れた所為なのかははっきりとしない。 彼女……ジールはあの日以来ずっと眠り続けている。海底神殿が崩落した時、彼女の意識までも闇に閉ざされた様だった。 あの日――魔神器の間の床で気付いた魔王は同じく倒れていたサラとジールを認めた。何故ジールまでこちらに戻されたかは定かではないが、あの時はそれどころではなかった。暴走した魔神器の影響か、海底神殿そのものが崩壊しようとしていたのだ。同じくして目覚めたサラと力を合わせ、説明は後として地上まで上った。その際サラはジールも連れて行くと聞かなかった。 『あの人は私の母です。例え、何があっても!』 俺の母でもある、とは言えなかった。母であろうと何であろうとサラを救うためなら捨てられた。どうやらサラは顔を隠していない魔王を見ても、その正体には気付かなかったようだ。それで良かったのかもしれないが……。 そしてジールを連れ地上に戻った今、サラは女王の代行として王族の務めを果たしている。魔王自身は予言の力はラヴォスの毒気にあてられて消失したと説明し、今ではサラの補佐を務めている。ダルトンが忌々し気に此方を気にしているが特に問題はない。 ジャキはジールが眠り続けていても特に気にしていない様だった。どうでもいい、そう言って今もアルファドと何処かへ出かけている。そんな昔の自分を見て、自分らしいと思った。当たり前か。 「此処にいらしたのですね」 「――――何か用か……?」 「母を見舞うのに用も何もありませんわ」 「こんなに遅くにか?」 開いた扉から入ってきたのはサラだった。フードを外している魔王と目が合うと、一瞬たじろいでから何かの考えを打ち消す様に首を振る。顔を合わす度のことである。 「母は――まだ目を覚ましませんか?」 話題を打ち切ってサラが尋ねてきた。鷹揚に頷く。 「ああ」 「そうですか……」 項垂れたサラの横顔をちらりと盗み見る。その双眸にはジールに対する怒りなどは微塵も無く、ただ母に対する愛情から来る悲しみが湛えられていた。 嗚呼――貴女は何故そうまで――――。 魔神器を操る為の道具の様に使われていた日々をよもや忘れている訳ではあるまい。ラヴォスの前で邪魔をするなら消すと吐き捨てられた事を忘れている訳ではあるまい。それでもまだ貴女はその女を慈しむと云うのか――! 昔も、今も、俺には、そんなこと、出来ない。 当たり前だ。自分達を利用して永遠の命という紛い物を手に入れようとしていた女。ましてやそんな母親等慈しむに値しない。挙句、俺は時空の果てに落とされた。サラは利用され尽くされあのまま歪みの中で果てたに違いない。それを変える為に生きていたのだ、障害となるのであらば俺は――あの女を迷いなく切った。 『母親』だから――? 理由になるか、そんなもの。 強く拳を握った。此処で押さえなければそのまま短刀をジールの胸に突き刺しそうだった。 「予言者……さん。どうかしましたか――?」 様子が奇妙しいと気付いたのだろう。サラが怪訝な顔でこちらを見つめて来た。何も……そう答えようとサラの瞳を見、愕然とした。手に込めていた力が抜けた。 其処には復讐に駆られた瞳が紅く鈍く浮いていた。全ての復讐は終えた筈なのに、だ。 その時悟ったのだ。俺はまだ『足りない』のだと。血が、憎しみを埋める何かが。俺は今まで許すということをしなかった。その者を滅ぼすまで終わらない遊戯をしてきたのだから。 だがサラは違う。サラは誰も憎んでいない。穢れの一つもない。 そんなサラに、自分は触れることが許されるだろうか――――。 自らの瞳は今までに殺した者が流した血の如く紅い。魔族の象徴である。自分はもう、人を殺すことに何の躊躇いもないのだ。 黙りこくった魔王にサラはそっと手を伸ばした。サラを守るという目的以外でこの手に触れる事は許されない気がした。無意識の内に一歩を引く。 また沈黙が降りた。ジールの静かな息遣いだけが部屋に響く。暫くして、サラは寝台に腰かけると、 「そういえば……先日は本当に有難うございました。危ない所を救って頂いて――力の暴走を受けて以来記憶が朧気なのですが、貴方に助けて頂いたことは覚えています」 「……」 サラはただ前を見据えていた。その視線は魔王の胸を深く抉る。純粋で真っ直ぐなもの程穢れきったこの胸に刺さる物はない。 「何かお礼をしたいのです。ありませんか?欲しいもの……とか、してみたいこと……とか、行ってみたい場所……とか」 「無い。……強いて言うなら貴女がこの女の様に道を踏み外さない事を祈るだけだ」 つい吐き捨てる様な口調になってしまった。こんなことを言いたい訳ではないのに。 サラは傷ついた顔をした。嗚呼、ほら、またそんな顔をさせてしまう。 「貴方は本当に……母が憎いのですね」 一瞬ドキリとした。誰の母か、と問いそうになって慌てて辞めた。 「この女が居たから貴女はあのような辛い目に遭わされた。それとも貴女はあのままこの女がラヴォスを復活させた方が良かったとでも言いたいのか?」 「いいえ」 「ならば何故――――」 そこまで言って魔王はハッと口を噤んだ。サラが曖昧に微笑んでいたからだ。困ったような、泣きそうな笑顔だった。 サラの本当の笑顔等俺は見たことが無いのだと、その時悟った。幼い時は姉としての立場があり、予言者として現れた時も同じだった。今は女王の代行として、サラは何時も何かを背負い、それによって偽りの笑みを浮かべている。 「わかりませんわ」 サラは微笑った。それはもう美しく。しかし陰りを持って。 「――でも、そんな私にも分かることがあります」 「……何だ」 「貴方が嘘を付いているということ」 「何を?」 「それを聞きたいのです。そのためにまずは……貴方の名前、貴方は何故此処に居るのか、とか」 「…………」 答えを待つようにサラが窓の外を仰ぎ見る。猫の爪で引っ掻いた様な月が闇を切り裂いていた。その月光はこの部屋にある静寂さえもありありと映し出しているかのようだった。 「……やはり……貴方は答えてくれないのですね」 たっぷりの間を置いて、サラが落胆して――というよりは、切なげに――溜息を吐いた。 違う。そうではない。ただ、俺は、貴女とはもう『違う』のだ。外見、内面、全て! もう俺は貴女に触れることが出来ない。貴女を守るための手は血に汚れてしまった。そんな自分を晒け出したところで何になるというのだ。結局、優しいサラの事だ、自分が守りきれなかった弟の成れの果ての姿を見せつけられてまた苦しむのだろう。そんなことはあってはならない。自分に出来る事はもう、この時代で女王としてのサラを予言者として支えていくことしか出来ないのだ。 復讐を終えた後、こうして見ると、彼女は純粋過ぎた。 その手を取れない。その手を握れない。あれほど守りたいと思い、守り抜いた物が此処にあるのに、気付いた時にはそれに触れることが出来ない程自分は汚れてしまった。 「――――答える事など何もない……」 拒絶の言葉。これで離れていってしまえばいい。良い君主となり彼女の目指した国が造られていくのを間近でただ眺められればいいと思ったのだ。直ぐにでも宮殿を後にしたい、そこまで思った。 サラは小さく息を呑み、黙って目を伏せ――否、強く此方を凝視した。 「それも嘘でしょう?」 「……」 「何時も貴方は私に何かを言いたそうにしている気がします。……違っていますか……?」 「……」 魔王はサラの目から視線を外した。青の瞳に映る紅い影を許せなかったのかもしれない。サラは尚も言い募った。まるで独白の様に、 「私は、貴方を知りません。名前、どこから来たのか、今まで何をしていたのか、そもそも貴方は一体何者なのか、何の為に此処に居て、何故私を何時も庇ってくれるのか――何一つ、知りません」 サラが一歩近づく。同じ距離だけ退いた。それでも彼女はまた言葉を続ける。 「だけど同じくして私は貴方を知っているような気もするのです。知っている、というのが奇妙しいのなら元々知っていた、と言い換えても良い。ただ私は今私の目の前にいる貴方の事をもっと知りたい。私は貴方がどんな人でもきっと――」 サラが息を吸った。また視線が合った。 「受け入れられると思います。だって、私が知っているのは私に……いえ、私と猫に優しい貴方だから」 光の具合で、青の中から紅が消えた。その事に酷く安堵した。今自分の瞳を映したら本当に青く染まっているのではないかと、その一瞬は本気で信じた。 ――だがサラがどんなに言っても、もし自分の正体を明かしたならそれを受け入れないかもしれない……が、それでも良いと、サラが望むことをしたいと思った。此処まで来て馬鹿らしい気もするが、最後に何かに縋りたかったのかもしれない。穢れを浄化することは出来なくても、それを上回る何かが欲しかったのかもしれない。そしてそれが出来るのはサラだけだった。 久々に込み上げた静かな激情を自制することが出来なかった。 「俺は――……」 言葉より一つの形の方が思いを伝えやすい時もある。魔王が腰の鎖を外す音が室内に大きく響いた。その瞬間、眠っていた筈のジールの瞼が痙攣したように動いたのは気のせいだろうか。しかし不思議と殺意は湧かなかった。 サラの双眸が大きく開かれる。その後、幾つかの言葉を足す内に涙が溢れていく。貴女が許すのなら、その涙を拭いたい。俺が唯一欲しいのは貴方の笑顔だけなのだから。 Yes or No...? *あとがき* 数日後には更新しますと言っておいて、一週間程間が空くのが私クオリティです☆ ……すみませんでしたーーm(_ _)m この話、オチが見つからなくて…ちょっと迷子になってました。迷子になった結果長くなりました。一応ハッピーエンドになっております……サラが魔王を受け入れる前提で……。 とりあえずこの話は「魔王が海底神殿でラヴォスを倒せたら」っていうテーマで頑張りました。失敗続きの魔王さんですが、成功してたら――!?と突き詰めて行った結果です。 魔王の計画って何時も「復讐」までで全てが完結している気がするのですよね。「その先」は考えていない、っていうか、考えにすらない、という感じ。 だからいきなりすべてが終わった時の彼の戸惑いを書きたかったのです。 事実関係など色々大変なことになっておりますが、そこは創作ということで見逃してやって下さいませ。 お次はバッドエンドになる予定。これから新学期が始まるのでちょっと更新遅れるかもです…っ(汗) それでは、ここまで読んで下さった方有難うございました。次作でもお会い出来たら幸いです☆ 2012.4.5 ←Back┃←Top |