Another Ending 2.失くし物



 真白な世界。純白の世界。
 その白はまるで貴女を象徴しているようだ。
 掴めそうで掴めない。掴んだと思えば直ぐに無くなってしまう。視界いっぱいに広がった白の何処かに貴女はいるのだろうか。それとももう二度と会うことは叶わないのだろうか。地上の白とは対照的な、黒々とした海の底に貴女は居るのだろうか。それとももう――。
 この先は考えない事にしよう。一度ならず幾度となく失くしそうになったこの命。今更落としても惜しくは無い。その前に、一目貴女に逢えたらと願うのみ。
 この世界に『帰って』来てからまず最初に日にちの感覚が無くなった。当たり前だ、この世界は昼も夜も曇天に覆われていて、その上今日だの明日だのと騒ぐ者どもも居ないのだから。
 ――ラヴォスはもう存在しない。
 何処とも分からぬ時空の狭間で奴は逝った。仕留めたのは自分と、その『仲間』達。奴の本体に突き刺した鎌の感触も、闇の中でもがく奴の姿もまだ鮮明に記憶に残っている。最後の絶叫も、奴が消え去る様も全て――。
 かねてより願ってきたことが叶った筈だった。ラヴォスを倒す為だけに生き、強くなった。自らを偽り無様な姿を晒してまで生き永らえてきた。それが遂に終わったのだ。これ以上何を求める事が有る。何も無い筈だ。しかし、ならば……ならば、この喪失感は一体何だ……?
 奴に勝った。それで終わりだ。そこから先には何もない。しかし、自分は生きている。なんて皮肉なパラドクス。
 ラヴォスを倒した、その先、等。
 興味が無かった。全ての終着点はラヴォスの死。ならばいっそラヴォスと共に死ねば良かったのだろうか。或いは元からそれを望んでいたのではないのだろうか。
 俺の全ては、ラヴォスへの復讐心。そして過去の記憶だけだったと今になって悟った。
 それ故ラヴォス亡き今、サラの姿だけを探す。もし逢えたなら……等と考えたことは無い。逢えさえすればそれで良いのだ。そう思ったから微かな希望に縋ってここに来た。
 二度と会えないと思っていた、しかしまた逢えた。なら三度目も――。
「――戯れた事を……っ」
 そんな希望を一瞬でも信じた己が愚かしかった。ジールが落ちたのはもう随分と前のこと。サラは身体が弱いのだ。こんな状況で生きていられる筈がない。生きているならばどこかの陸地に居る筈だった。しかしどれ程探してもサラの姿は無い。もうほぼ全ての陸地を探し尽くした。二度、三度とその作業を繰り返した。――しかし。
 どれ程探しても、貴女は居ない。恐らく……時の狭間に飲み込まれたか。既にもう息絶えたか。
 魔王は腰に下がる銀鎖を強く握りしめた。お守り、そう言ってサラがくれた。唯一サラと自分を繋ぐ物。それは冷え切って鈍く輝いている。
 どれ程の時間を無為に過ごしただろう。巡り巡って、魔王は北の岬に戻ってきた。終わりと始まりが混在するこの場所へ。
 そして魔王は水平線を、ラヴォスの居ない世界を、サラの居ない世界を、じっと見据えていた。
「……サラ」
 名前を呟く。そうでもしないと全てを忘れてしまいそうだった。
 それほどの激しい喪失感。ラヴォスを葬った時に何かが欠落したのだ。欠落は仲間と別れ、サラを失ったと認識する度に酷くなっていく。この欠落を埋められるのはサラしか居ない。この瑕疵を癒せるのはサラしか居ない。
 自ら命を絶とうと思った事もある。しかし、その度にサラの事が脳裏を過った。幼い時の姿、予言者として側にいた頃の姿、最後に見た泣き顔。
 ――――サラは幸福ではなかった。
 そう思うと、未来の為と綺麗事を並べ立てて戦っていた日々が酷く無意味なものだったように思えた。
 未来? 平和?
 そんなことどうでも良かったのだ。俺はただ全てを壊したラヴォスを憎み……貴女を、サラを救いたかっただけだった。
 何時からか目的が知らぬ間にすり替わった。きっと奴等の毒気に当てられて。
 奴等は未来の人間だ。若しくは遥か昔。ラヴォスの存在を恐怖とも思わなかった時代の。そして未来の不安は取り払われた。しかし、この時代だけは救われなかった。
 不条理だ。俺は全てが滅んでも一人が助かれば良いと言うのに。
 ふつふつと身体の奥から何かが湧き上がってきた。黒くて粘り気のある何かが喉元までせり上がったような感覚。嗚呼、自分はこの味を知っている。これは……復讐と憎悪の味。
 ラヴォスを倒すことで未来が変わった。ならば、その変わった未来を変える事は不可能なのか?
 否。そうではない。俺はその方法を知っている――。
 最早世界にゲートと呼ばれる時空の歪みはどの時間軸にも存在しない。にも拘らず歴史が歪められたら。
 何が起きるか等、誰にも分からない。
 サラがどこにも居ないのならば、時空を歪めてでも探し出す。過去が未来になり未来が過去になるような歪みが起こればいい。そうすればサラはきっと――。
 虚ろだった紅の双眸が仄暗い光を帯びた。投げ出されていた鎌を改めて手に取る。まだその輝きは失せていない。寧ろ血を欲するように切っ先が陽光を照り返す。歩みを残された集落に向けた魔王はもう迷ってはいなかった。地平線の彼方に太陽が沈むのが雲を介しても分かった。長い夜が始まる。
 ……これから俺がする事は、全ての物に対する裏切りだろう。
 それでも良い。万に一つでも、貴女に逢える可能性があるなら。


 阿鼻叫喚が辺りを包んでいた。
 鎌は死者の血を吸って、まだ足りないと言うように魔王の手の内で仄かに熱を持っていた。
 一日と掛からなかった。生き残りたちは余りにも脆すぎた。魔王の魔力に抵抗する術を持たず、血の雨を降らせて逝った。
 その光景を魔王は淡々と見つめていた。一人として残してはならない。人が全て死ななければ意味が無いのだ。全てが死に絶えた世界を作れば『未来』は無くなる。この時代においてそれを遂行するのはとても簡単な事だった。夜が明ける前に全てが片付いた。
 命乞いをする者、逃げ惑う者、刃向う者、全て滅した。これでクロノが存在する未来はなくなった。ラヴォスはもう居ないのに、それを倒した筈のクロノが居ない。大きな矛盾が此処に生じた。
 波の音だけが響く静謐な空間。キンと張りつめた緊張感が辺りを包んでいた。
「……来たか」
 刹那、何かの圧力に耐え切れなくなったように空間が大きく揺らいだ。吸い込まれこそしないものの、魔王城での一件を思い出させるような巨大なゲートが目の前に姿を現した。青く歪んだ時空の波がここからでもよく見えた。
 予測は当たった。未来は歪められ変わったのだ。
 失笑が漏れた。これ程容易く未来は変わるのか――と。まるで初めて人を殺した時の様な恍惚感がこみ上げてくる。これでサラを探しに行ける。そう思い、一歩を踏み出そうとした瞬間。
 ――――!?
 猫の鳴き声が静寂を切り裂いた。昔と変わらない鳴き声。その影は血の海を走り抜け、迷わずに魔王の足元にすり寄った。
「アルファド……」
「んにゃ…ぁう」
 この血の匂いが分からないのか。この罪の香りが分からないのか。もう俺にはお前を抱く手を持たない。見えないのか、この血に塗れた手が――!
 しかしアルファドは何の不安もないと言うように安らいだ声を挙げる。毛並みは血で汚れてしまった。汚れを拭おうと毛並みをそっと撫でるが、血痕が広がっただけだった。
「……っ」
 魔王に触れられて嬉しいのかアルファドは身を捩って喜んだ。次を催促するように爪でブーツを引っ掻いてくる。
 人を殺したことに後悔はしていない。しかし、その瞬間魔王は初めて血に汚れた手を無かったことにしたいと望んだ。
 ――俺はもう、戻れない。
 ラヴォスより非道な魔族と成り果てても歪みの中へ進むしかないのだ。全ての罪を背負って、サラを見つける。貴女の笑顔をもう一度見る為に。
 魔王はもう躊躇わなかった。アルファドを抱き上げ、ゲートに吸い込まれてしまわぬよう少し遠くに置いた。置いていかれると悟ったのだろう。何度もついて来ようとするアルファドに、
「暫く待て、いつか――戻る」
 言うと、アルファドは直ぐに大人しくなった。待たなくていい、そう言ってやればよかったのかもしれない。
 血飛沫の散るマントを翻し、魔王はゲートに足を踏み入れた。久しぶりの浮遊感が身体を包む。意識が途切れる最後の最後までアルファドの鳴き声が聞こえていたが、やがてそれすらも聞こえなくなった。
 代わりに聞こえたのは―――――ラヴォスの鳴き声。矛盾の中に生きる、新たなラヴォスかもしれない。絶望と悲しみに縁どられた鳴き声は何故か懐かしく聞こえた。
 その時にはもう既に魔王の中から虚無感は消えていた。今まで自分を突き動かしてきた物が再び首を擡げた。胸には新たなる復讐の炎が灯り、前と全く同じ言葉が口を突いて出た。
「待っていろ。必ず――――」
 お前を倒す、と……。


 To be continued...
*あとがき*
奇跡の一日置き更新となりました。企画物第二弾です。今回はバッドエンド。創作入りまくりです。最早創作しかないです……汗
現実問題としてサラが見つからなかったらどうなるんだろう――――という妄想。
自殺も考えましたがそれじゃあらしくないなということで、あらゆる可能性を考えてみたらこういうこともあるかもしれない……と思いまして。
最後のラヴォス(仮)はDS版の夢喰いをイメージして書きました。暗に匂わせたつもりなのですが、少しでも伝わっていたら幸いに思います。
それでは、ここまで読んでくださった方、有難うございました!!まだまだ続くので、次作も目を通していただけたら幸いです☆

2012.3.28

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