紅と蒼



 まっか――。
 赤い光。この光に包まれるととても気持ち良いけど、時折耳元で聞こえる低い声は私を惑わす。それはとてもゾッとすること。
 だから私は赤がキライなの。
 ……だけど。
 あの人の“紅”は――とても、とても美しい。見ていて安心出来る。温かい。
 ずっと見ていると吸い込まれそうな程深くて暗いのに、それでいてその深みに何か強い光を持っていると感じるの。
 でも私がその“紅”を見詰めていられるのはほんの少しの間だけ。何故ならその“紅”は滅多に私を見ないから……。
 ――もし今一つだけ願いが叶うなら。
 一度で良い。温かくて綺麗な“紅”を近くで見詰めてみたい。
 この願いは罪なのでしょうか……?


  ◇+----*†*----+◇

 
 ふわぁっ、と身体が浮き上がる様な感覚。一瞬感じる恍惚がサラの頭をくらりとさせた。しかし此処で力に呑まれてはならない。飽くまでも冷静に力を操らなくては。
 身体全体が赤に包まれたとき、何時も一抹の恐怖を感じる。自分が自分でなくなってしまうような気がするのだ。
 しかしその一瞬が過ぎれば動機は収まる。そしてサラの意志に従って胸元に提げたペンダントが青色に発光していく。するとその光と共に回りの赤が青に変わって吸収された。煌々と光を放つペンダントをサラは優しく手に包み込む。もう怖くない、というように。
「いや、サラ様。何時もながら素晴らしいですな。ラヴォス様の力を簡単に操れる方など、サラ様以外にはおりませぬ」
 力の吸収を終え、魔神器の間から立ち去ろうとしたサラに声をかけてきたのは宮殿の高官だった。白い髭を蓄えたこの老人は先の王の時代から官職に付いている言わば老公だ。サラも昔はよく遊んで貰ったり、相談に乗って貰ったりしたものだった。当時はサラが何でも話せると思っていた優しい老人だった……。
「……有難う」
 無理に笑顔を作って小さく礼を述べると、老人はなんのなんのと朗らかに笑った。この表情は昔から変わらない。
「サラ様が居るからこそこんな老いぼれがのうのうと暮らせるのでございますよ」
「のうのうとだなんて……そんなこと無いわ。いつも高官として女王の間にいらっしゃるじゃない」
「……サラ様は昔と変わらずお優しいですな。それに何時もお元気で、笑みを絶やさない」
 その言葉を聞いた時、褒められている筈なのに胸が締め付けられるような息苦しさを覚えた。
 この無理矢理作った笑顔を見て元気とは――……昔は幾ら具合が悪いのを隠していても一瞬で見破られてしまったのに。今ではちらとも疑われない。
 ……それはきっと――もうだれも“私”を見てくれなくなったから。
 唯一私に気付いてくれたのは……あの人だけ。
「……でも、私だって疲れることもあるのよ……現に今だって少し疲れてるわ」
 サラが何気なくそう弱音を吐くと、老人の目付きが変わった。柔和だった目元がキリリと吊り上がる。
「それはいけませぬな。ジールの王女ともあろう方がそのように脆くては」
 ――脆い。
 その言葉は意外にもサラの胸を刔った。自分が実際は脆くて弱いという自覚は有ったが、そう人から言われるのはとても辛いものだった。何せ自分を殺して作り上げてきた虚構がその一言であっさりと否定されるのだから。
「そうね……ごめんなさい。私は自室に――いえ、女王の間に行くわ。それではね」
 返事を聞く前にそそくさと部屋を飛び出す。しかし回廊の途中でぴたりと足を止めた。女王の間に行く用は無かったし、自室に行きたい気分でもなかったからだ。ちょうど今は空いた時間だった。
 どうしましょうか、と考えあぐねている間にも擦れ違った侍女や貴族の令嬢達に挨拶をされた。サラ様、お疲れ様です。サラ様、ご機嫌うるわしゅう――息が詰まって仕方なかった。
 不意に、あの人の事が思い出された。今は女王の間にでもいるのだろうか。側近としてラヴォス復活の為に女王に尽くしているのだろうか。
 考える程に気持ちは重くなる。考えるのを止めたとき、急に胸いっぱいに空気を吸って呼吸がしたくなった。自然と足は外へと繋がる扉に向く。地上に行く訳では無いのだから、咎められはしないだろう……そう思ったのだ。
 外に出ると太陽は既に雲海に沈んでいた。空は闇に覆われはじめ、太陽に代わって星が輝き始める。群青色の空に瞬く星はサラの心を澄み切ったものにさせてくれた。
 山を降り、幼い頃から好きだった花畑に足を向けた。少々込み入った道だが迷うことは無い。
 昔その花畑ではジャキが花冠を作って遊んでいて父様も母様もみんな笑っていた、なんてこともあったっけ――と幸せな記憶を呼び覚ましながら歩みを進める。
 既に花の盛りは過ぎていたが、青々と繁った草の中にはちらほらと白い花が付いていた。可憐というより雄々しく咲く花は暗闇の中でもとても強く見えた。
 はしたないと分かっていたけれど、サラは草の上に座り込んだ。草の爽やかな香りが鼻孔をつく。何とも心地好い。宮殿から一歩外に出るだけで、世界はこんなにも平和なのだ。
 そんな時、ふと目の前を見遣ると白い花が踏み付けられているのが見えた。サラは可哀相、と思うのと同時に少し驚く。此処は大陸の裏の方で、滅多に訪れる人など居ないのだ。風で折れたのならまだしも踏み付けられるのは奇妙しい。それに花がまだ萎れていないのを見ると踏まれたのはつい少し前の様だった。
 ――だれか、いるのかしら?
 サラは訝しんで立ち上がった。宮殿の人間なら厄介なことになる前に立ち去るのが無難だと思われたが、そうではないと感じた。第一宮殿の者がこんな場所に来る筈が無い。今は誰もが美しい景色を見て美しいと思う心を失っているのだから……。
 その“だれか”を探してサラは辺りを見渡した。そして奥の方ではないかと思いそちらに数歩進んだとき、足元に違和感を覚えた。何か固いものを踏み付けた様だった。
 何だろう、と疑問に思って拾い上げるとそれは銀色のピアスだった。逆三角形をしたそのピアスにサラは見覚えがあると思った。そしてその持ち主を考えた途端――心臓が煩いくらいに暴れだした。無意識に頬が熱くなった。
「……まさか……」
 思わず呟く。次の瞬間、サラはピアスを握りしめ足早に花畑の奥へと向かっていった――。


◇+----*†*----+◇


 風が冷たかった。
 何故此処に来たのかは分からない。ただあの息の詰まる宮殿から抜け出したい一心で外に出た。白い花が咲き、小川の流れるこの場所は――幼い頃、皆が笑っていた場所だった。それだけは覚えている。
 ならば自分は過去の幻想に縋りに来たのだろうか。――いや、違う。ただ来たかった……それだけが理由だ。我ながらなんと下らない。
 魔王は眼前を見晴るかす。群青色の闇が空を覆っていた。雄大な空だ。完璧と云われる王国、ジールですらこの空の中ではただの漂流物に過ぎない。そう思うと不思議と晴れ晴れとした気持ちにさせられた。それと同時に自分が疲れていたことを知る。
 身を偽る生活にはもう慣れたが、疲れは溜まっていたようだ。それはこの時代が過去の自分の居る場所だからかもしれない。
 あの頃の自分が如何に愚直で、何も知らずにサラに庇護されていたかと思うと憤りを通り越して呆れすら感じる。これで自分はサラの力になっているつもりなのだから、とんだ笑い者だ。実際は足手纏いになっているだけではないか。
 ――だから決めたのだ。
 サラがジャキを庇護するならば、俺はサラを守ろうと。愚直な自分を必死に守る姉を放ってなどおけない。
 無論ラヴォスを倒すと云う計画の妨げにならない程度に、という縛りはあるが。
 一際強い風が吹く。魔王は数歩身を引いた。魔王の見詰める先は断崖だったからだ。万に一つでも落ちたら命はない。隣の見えない滝壺に向かって流れ落ちる滝のように消え行くだけだ。
 ――そろそろ戻るか。
 充分に夜風は浴びた。宮殿にはやるべき事が山積している。此処に来たのはほんの少しの気晴らしの筈だったのだ。
 そう、筈だった。
 踵を返した魔王の視界に飛び込んで来たのは“蒼”だった。それがサラだと理解するのに少々の時間を要した。
 ――何故、此処にいる!?
 それは率直な疑問だった。焦りと言っても良いかもしれない。人に見付かると面倒だという理由でこんな奥にまで来たというのに、これでは意味がない。
 とは言えサラも驚いているようだった。あの目を見れば分かる。丸く大きく見開かれたあの澄んだ目を――。
「……あ、あの……どうして此処に?」
 サラが怖ず怖ずと近寄ってきた。だが魔王との間に流れる小川の前まで来て足を止める。魔王なら一歩で越えられる小さな流れだ。サラとて越えられない深さではないのだろうが、衣の裾が濡れるのを気にしたようだ。魔王は心底この川の存在に感謝した。
「……そういう貴女はどうなのですか?」
 咄嗟に、予言者の仮面を被った。
「質問に質問で返すのは……ずるいですよ」
「……私にこれといった用が無かったから尋ねたまでです」
「そんな……奇妙しいです。此処は宮殿の裏側です。用も無いのにわざわざ此処に来るはずありません。それに此処に花畑があるということを何故知っておられるのですか?」
 魔王はぐっ、と言葉に詰まった。サラは真っ直ぐに魔王を見据えていた。魔王は目を伏せたままだ。直視することなど出来なかった。
「貴方は……この国を元から知っていた……? もしかして、この国の……」
「違う!」
 魔王は言い放った。仮面は――脆かった。
 突然のことにサラがビクッと身を強張らせる。しかし怯むことはなかった。
「な、ならばどうしてです?私は貴方を知りたいのです。此処を知っていた理由だけではありません。貴方がどこから来てこの国で何をしたいのか、そして貴方が私に優しくしてくれる理由は何なのか――知りたくて、知りたくて堪らない……っ」
 サラは言葉を詰まらせた。涙は流れていなかった。
「私がこの国を知っているということは有り得ない。この国に――こんな色の瞳の者は生まれない」
 サラがはっと魔王を見る。そして破顔した。憂いに満ちた微笑みだ。
「そう……ですね。では、一つだけ答えてくれますか?」
「……答えられることなら」
 サラは一呼吸置いて、言った。
「先程の最後の問いです。何故貴方は――私に優しくしてくれるのですか?」
「………………」
 沈黙が降りた。答えられない問いだった。
 サラは静かに答えを待っていた。だが充分過ぎる程の時間が経ったとき――サラが小川に足を踏み入れた。衣と靴は水に浸された。
「な――」
「落とし物、です。近寄らないと渡せません」
 サラの手の平に乗っていたのは片方のピアスだった。反射的に右耳に触れるとそこに何時もある筈のピアスがなくなっていた。
 こちらに来てくれと頼めば良かっただろう――という言葉を喉元で飲み込んだ。無言でピアスを受け取り、耳に付け直す。
「お似合いですね」
 サラが薄く笑う。儚げな微笑みだ。
「……悪かった。だが」
「良いんです。だから……一つお願いを聞いて下さい。何も聞きませんから……」
 サラが魔王の言葉を遮った。そして潤んだ“蒼”が魔王の“紅”を捉えた。魔王は頷く事しか出来なかった。
 瞬間、眼前が蒼に染まった。温かいものが身体に触れていた。

「すこしだけ……このままでいさせてください。ほんのすこし……」

 サラは泣いていた。ここに来て何度サラの涙を見ただろう。守るのではなかったのか――。そんな葛藤が魔王の中で生まれていた。
 サラの孤独、痛み、苦しみ。その中の一割でも自分は理解出来ていたのだろうか。否、きっと出来ていない。そう思うともどかしかった。少しでもサラの痛みを取り除いてやりたかった。
 魔王はゆっくりとサラを抱き寄せた。破壊する為に作られた頑強な身体で、繊細な硝子細工を傷付けまいとするかの如く優しく、丁寧に。
 そのまま幾許かの時が流れる。気付くとサラがじっと自分を見詰めていた。
 ――綺麗な“蒼”だ。澄み切っていて、汚れない……。
「綺麗な“紅”ですね。強くて、優しい……」
 そう思ったのと、サラが言葉を発するのは同時だった。頬を紅潮させたサラの笑顔は本物のように見えた。その汚れなき温もりを感じながら、魔王は思う。
 姉上――貴女を必ず守ってみせると。
 この温もりを、消させはしない……例え相手が誰であろうとも。

 ゆるゆると魔王は腕の束縛――と云うには縛りが弱すぎたかもしれないが――を解く。そしてサラを残し、何も言わずその場を去った。
 翌日、海底神殿は完成しその後魔王はラヴォスと対峙する事になる――。


◇+----*†*----+◇


 ……私は、あの人を好きだった?
 ……分からない。でももしあの時あの人から離れたら、どこかへ行ってしまう気がした。だからすこしでも触れて居たかった。どこへ行くのかはわからないけど、あの人を引き止めたかった。
 そしてただ……一緒に居たかったの。あの紅い瞳を見ていたかった。
 出来れば、すこしじゃなくて、ずっと――。



*あとがき*
……キャラ崩壊、してます、よね??皆様大丈夫ですか??どうしても書きたかったネタだったので敢行しましたが、もしご気分を害されたかたがいらしたらすみませんっ!!
最近小説の自己満足率が高まってる気がします……反省orz
一応これは……『夢幻の恋情』の続編的なそういう感じで見て頂ければわかりやすいかと思います。これ1つだとちょっとわかり難いかもしれないので(汗)
とりあえず、サラと魔王を甘くしてみたかった――これにつきます。ハイ。
いつもシリアスだから……って、これもシリアスがんがん入ってますが←
まあ簡単に言うと、砂糖が沈殿しててあとから甘味の来るブレンドコーヒー的な感じです(←どんなだw)
とりあえず夏の終わりに1本仕上げたくなってやってみました。ちなみに休み明けのテスト勉強はしていません(泣)
……次はジール視点のをまた書きたいな……なんて。
あ、ジャキも良いかも←

2011.8.31

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