夢幻の恋情「――サラ。お前はわらわの娘。勿論海底神殿完成の為に働いてくれるな?」 妖艶な笑顔から出されるお決まりの台詞。何回聞かれただろう。サラは何時ものように口を開いた。 ――ええ、母様。 こう言葉を紡ぐつもりで。だがサラの口から音が発されることは無かった。どうして、と自分のことながら驚いて目を見開くと、ジールは形の良い眉をぴくりと上げた。笑顔の仮面が剥がれ落ちたようにそこには何の表情も浮かんでいない。 「サラ?何故黙っている?……まさか」 ――違う。違うの。 サラはどうにかして声を出そうと喉に手を当てるが声は出ないままだった。でも声が出せないことをジールに分かってもらえない。サラがゆっくりと顔を上げると、そこには恐れていた表情があった。即ち、失望と拒絶の入り混じった顔。 「そうか……お前も、わらわを裏切るのだな……」 もうよい、とジールが身を翻す。その声には悲しみが滲んでいた。待って、とその後ろ姿を追いかける。けれどジールは歩みを止めてはくれなかった。必死で衣の裾を掴もうとするが、ふり払われ侮蔑の視線を送られた。無意識のうちに蛇に睨まれた蛙の如くサラの身体は硬直した。 「……お前等居なくとも、わらわはラヴォス様を復活させる。もう……」 ――やめて! 叫んだつもりだった。だがそれは『つもり』でしか無かった。次の瞬間、一番聞きたくない言葉がサラの胸を容赦なく抉った。 「お前は、要らぬ」 ◇+----*†*----+◇ 「姉上!」 「――ッ」 重く静かな声と鬼気迫る声が同時に頭の中で鳴り響き、サラは息を詰まらせて勢いよく身を起こした。身体が燃える様に熱いにも拘らず、歯の根が合わないほどに震えていた。 「ゆ、め……」 小さく息を吐いた。あれは夢だった――と自分に言い聞かせながら。 小鳥の囀りが聞こえてくる。今は朝だ。悪夢は終わったのだ。 「大丈夫?」 ジャキの問いかけにサラは無理に笑顔を作りながら微笑んだ。「大丈夫」とお決まりの台詞を返してからジャキの頭をそっと撫でる。その手はまだ小刻みに震えていた。震える手で円卓の上に置かれたペンダントを身につけようとするが上手くいかず、後でつけようと同じ場所に戻した。 「久しぶりに外に出ようと思って姉上も誘いに来たんだけど……。もう少し休んだ方がいいよ。僕はアルファドと二人で行くから」 「……有難う。まだ具合が良くないからもう少し休むわ。そうしたら女王の間に行かないといけないもの」 途端にジャキの表情が曇った。そしてサラから身体を離すと、寂しそうに目を伏せた。 「休んでくれるなら良いけど、姉上は今日も僕と一緒に外に行くんじゃなくて……女王とラヴォスの為に海底神殿に行くんだね……」 「……」 「……いっそ、居なくなっちゃえば良いのに」 サラは息を呑んだ。ジャキの表情があまりにも悲しそうで、少し仄暗かったから。ジャキのこんな表情は見たく無かったし、それをさせてしまっているのは自分だと思うと胸が痛んだ。 「……ゴメンなさい、ジャキ。もう少ししたら暇な時が出来るから、そうしたら花摘みにでも行きましょうか」 「……うん。でも、花摘みも良いけど姉上はもっと休んでて欲しいな……」 ジャキの表情は晴れなかった。何かを探すようにきょろきょろと辺りを見渡している。やがてその手が不自然に動いたかと思うと、そのままアルファドを抱えて何処かに行ってしまった。 一人取り残されたサラは暫し茫然とジャキの出ていった扉を見ていた。頬を冷や汗とも涙ともつかぬものがつつーっと流れ落ちる。今のサラにとって一人きりのこの部屋は広すぎた。まるで誰もがみんな自分を置いて何処かへ行ってしまったようだ。何時も聞こえる鳥の囀りさえ聴こえてこない。押し潰されそうな静寂の中でついさっき聞いた言葉が遠くから響いてくる。 ――お前は、要らぬ。 ――いっそ、居なくなっちゃえば良いのに。 ぐわんぐわんと反響し合いながら大きくなっていく声。耳を塞いでも声は頭の中で鳴り続けるだけで消えてはくれない。敬愛する母と愛しい弟の声の筈なのに、そこからは冷たい音色しか聞こえてこない。どうして、どうして――。 ◇+----*†*----+◇ どのくらい眠っていたのだろうか。はっと気が付くと窓の外から眩い光が射し込んでいた。太陽の位置から考えてとっくに昼を過ぎた頃だろう。そろそろ女王の間に行かなくては、とサラは割れるように痛む頭を押さえながら立ち上がった。 鏡台に置かれた髪留めの中から適当に一つを選び、乱れた髪を纏めて高い位置で結わく。ふと鏡の中に映った自分の顔が見えたが、正視しないように気を付けながら身支度を整えた。今の自分の顔はきっと酷い顔に違いないから。 重い扉を押して女王の間に向かう。真っ直ぐ続く回廊を曲がろうとしたとき、数人の侍女が集まって小声で話し込んでいるのが見えた。ふと足を止め、耳を傾ける。 「そういえば、前に来た予言者が側近に取り立てられたんだって」 「知ってるわ。それでダルトン様……ダルトンがすごくご機嫌斜めなのよね」 「でも仕方ないんじゃないかしら?あの人仕事は早いっていうじゃない」 「それにしてもやり方が問題よ。自分の意に沿わない人は誰でも女王に進言して切り捨ててるって噂も聞いたわ。何よりあの目!視線はあんなに冷たいくせして、どうして色だけは深紅なの?あれじゃあまるで血――」 シッ、とサラに気付いた侍女の一人が指を立てる。侍女達は慌てて散って行った。万が一でもサラの口からこの話がジールに洩れたら大変と考えたのだろう。サラは一つ溜息をつき、陰鬱な気持ちでまた歩き始めた。 予言者は冷酷で残酷。それが最近耳にするようになった噂だった。確かに女王の隣で側近としての役目を忠実に熟す彼を見ていればそう思うかもしれない。しかし、サラは血の色の瞳に時折垣間見える慟哭の様な物がとても気になっていた。それに、あの色は血というよりはもっと綺麗な物だ――とも。 サラが女王の間に入ったとき既に諸侯は揃っていて、サラの到着を待つばかりとなっていた。 「遅いぞ。サラ。皆待ちくたびれておる」 何時もと変わらぬジールの声。「すみません」と断ってから輪の中に加わると、すぐに会議が始まった。内容は専ら海底神殿とラヴォスの復活の事に絞られている。昔のように税や政について話すようなことはもうないのかもしれない。そんな日々が続く内にサラはラヴォスの存在が既に国民に広く知れ渡り、皆がジールと同じようにその力を求めているのだから自分が口出しする様なことでは無いのかも――という気持ちを抱いてしまうようになっていた。だがサラは心の奥底で分かっていた。これが国の為にならない行いだということを。それを口に出せないのは、きっと残されたささやかな幸せさえも砕け散ってしまうと思っているから。 結局、今の自分は今が壊れてしまうことが嫌で、弟を失ってしまうことが嫌で、母が元に戻ってくれるという微かな希望にすがっているだけの何もできない人形みたいなもの。 分かっている。分かっているけど、そう簡単に恐怖心は拭い去れない。 「……だ。それで良いな、サラ……?」 「え、あ……はい」 ぼうっとしていて話を聞いていなかった。無意識の内に口から出たのは肯定の言葉だ。するりと漏れた言葉に安堵する。夢はどうやら正夢にはならなかった様だ。 「ならば良い。これが終わったら直ぐに魔神器の間に行き力を集めるのだ」 「はい……」 ゆっくりと礼をし、喉元にそっと手を当てた。刹那、ドクンと心臓が跳ねた。 ……無い。 其処にあるはずの物、ペンダントが失くなっていた。眠るときは外すけれどそれ以外の時は肌身離さず持っていたのに。昨日だって小さな円卓の上にペンダントを置いて眠った。しかも朝それを見た記憶も有る。そしてぴんときた。朝ジャキがやって来たときまで確かにペンダントは円卓の上に有ったのだ。だがそれが無くなったということは――。 ジャキを探さないと、力を引き出す事が出来ない。サラ自身の魔力も強大だが媒体となる物がなければ力を受け止められないのだ。 だがそんな時間は無いと思われた。きっとこの話し合いが終われば直ぐ力の抽出は始まる。それまでにジャキがペンダントを持ってきてくれるとは到底思えなかった。 「――しかし」 今日一度も聞かなかったトーン。張り上げている訳では無いのにざわめきの中でもよく通る声だ。静かで、何処となく悲愴で、意志があって、そして――少し仄暗い。そんな声。それは混乱していたサラの精神を魔法のように鎮めてくれた。 「海底神殿の建設は順調に進んでおります故、急ぐ必要は無いでしょう。慎重に事を進めなければ全てが水泡に帰す事も有り得る……。ラヴォス神の力を引き出すのは留めて置き、海底神殿の中に魔神器の力に耐えられる程強力な広間を造るのが先決かと」 「だがラヴォス様の御力は引き出せるだけ引き出しておいた方が良いだろう?」 「宮殿からでは効率が悪い。ならば海底神殿完成後、一度に大量の力を得るべきです。例えばそう……民全員が永遠の命を得られる程大量に」 広間に集まった全ての者の視線を一身に受けながら予言者は淀みなく意見を述べた。それは誰もが納得できる物で、自らの決定に口を出されるのを嫌う女王も『永遠の命』という単語を聞いた途端フッと微笑んだ。一部の者はそんな予言者を忌々しげに睨みつけているが当の本人は気にしているそぶりも見せない。 「そなたの忠言を聞き入れよう」 「……有難うございます」 予言者は手を身体の前に添え、浅く一礼した。 「さあ、各々自らの仕事に戻るが良い」 ジールのその言葉を合図に大半の人間が女王の間を出て行った。普通ならサラは此処から魔神器の間に急がなければならないところだが、今日は免れた。そう――あの人の助言のおかげで。 ジールに露わになった首筋を見られてはいけないと気を付けながらサラも退出した。動悸を鎮めようと廊下の壁に凭れ掛かる。 もしあのまま事が進んでいて、ペンダントをジャキが持って行ってしまったとジールが知ったらその後どうしただろうか。昔なら……悪戯は子供の仕事、等と言ってくれたに違いないが今は事情が違う。きっとジャキを探し出してペンダントを……。 悪い考えが胸を圧迫し始めた時、隣をスッと予言者が通り過ぎて行った。 ――それは、失くして良いものではないでしょう。 ……? 目を見開いた。確かに今、声が聞こえたのだ。あの落ち着きあるトーンで。 前を行く予言者は歩みを止めることなく進んでいく。サラはその後ろ姿をじっと見つめているだけだ。そこに既視感を覚え、瞼の裏が熱くなるのを感じた。 ――何時もそう。みんな私に背を向けて何処かに行ってしまう。 だが、今は少し違った。擦れ違い様にほんの一言だったけれど予言者は言葉を残していった。気のせいでは無い筈だ。予言者の影が廊下の向こうに消えそうになった時、サラは咄嗟に、 「――待って!」 悲鳴にも近い叫び声を挙げていた。予言者はぴたりと足を止めたが、振り返りはしなかった。言葉を待つかのようにただ静かに佇んでいた。言いたいことや聞きたいことは沢山有った筈なのに、いざとなると何を言っていいのか分からなくなる。しかし呼び止めた理由まで有耶無耶にしたくなかった。 「今、なんと仰いました……?」 「何も」 予言者は抑揚のない声で答えた。そこから嘘は汲み取れない。だがサラには確信があった。 「貴方は今私に……失くして良いものではない、と仰いました」 指摘したのにも拘らず予言者は振り向かない。しかし、一瞬だけ身体が硬直したのを目で見るというよりは肌で感じた。それはまるで心の声を聞かれてしまったかのような反応だった。 「貴方は私がペンダントを持っていないことに気付いていたのでしょう?だからあんな風に女王を説得して――」 「そのようなことはありません。私は私の意見を述べただけの事で、貴女には関係ない」 予言者は早口でそう言った。それはただの心の篭っていない文字の羅列だった。しかしサラの視界はまた滲んだ。それはジールやジャキの声とは違う種類の悲しさだった。目の前にいるこの人に関わりが無いと言われたと思うと、心臓を掴まれたように胸が苦しかった。目の淵に溜まったそれが零れ落ちないように顔を上げる。もし一雫でも零れてしまったらもう二度と泣き止めない気がしたから。 「関係なく、ないわ……っ」 ずっと背を向けていた予言者がハッと振り向いた。嗚咽が混じってしまったのを感づかれてしまっただろうか。 「何故……泣いている?」 冷淡な表情を装いながらも、動揺が感じ取れた。まるで被っていた仮面を脱いだように、そこから発されるのは先ほどの敬語とは全く違った響きを持つ音だった。自分も少なからず動揺しているのだろう。サラはこの口調の方がこの人には合っているのではないか、と関係ないことを考えていた。やがて声を絞り出す。 「泣いていないわ。だって……涙は零れていないもの」 屁理屈だとは分かっていたが、何故か泣いていることを認めたくなかった。弱い人間だと思われたくなかったのかもしれない。フードに隠れて予言者の表情がよく見えない。 「いや……心が」 「え?」 涙を堪えるのに必死で上手く聞き取れなかった。尋ね返すと予言者は首を振って答える事を拒んだ。そして懐からある物を取り出し、ゆっくりと手を伸ばす。 「後で部屋に届けようと思っていた」 予言者が差し出したのは失くしたペンダント。 「どうして貴方が……?」 「先程、子供が本棚に隠しているのを見かけてな」 ジャキはどうやらあの後ペンダントを隠してしまおうとしたらしい。悪戯、と言ってしまえばそれまでだが、悪意のあるものではないと分かっていたのでサラは何も言わずにペンダントを受け取った。 「不注意に子供に取られるような場所に置かないことだ」 「ええ……」 「これがなくては困るのだろう?いくら強大な力を持っていたとしても器は必要だ。そうでなくとも貴女は必要な人間なのだからもっと身体を休めなくては」 淡々とした語り口調だったが、その言葉はサラの胸の奥にじんわりと浸透していった。ラヴォスの力を抽出する為の道具ではなく、ジールという国に王女としてでもなく、ただ必要だと言ってもらえたのが嬉しかった。予言者が何にとってサラを必要とするのかは分からなかったが、ただそれだけで満足だった。 「扨……私はこれで失礼しよう」 サラがペンダントを受け取るのを見た予言者は身を翻す。しかし、サラは瞬間的にその衣を掴んでいた。 「……何か?」 「か、関係なく……なかったです、よね……?」 まだ涙の名残が残っていて、それを消すために瞬きを繰り返す。自然と衣を握る手に力が入った。関係ないと言われたのは確かに悲しかったがこんな揚げ足を取るようなことをしたかった訳では無かった。実際のところ本当はもう少しだけ話をしていたいと思っただけかもしれない。見上げるような形だから、ここからならフードの中の予言者の顔までよく見て取れた。 予言者は困惑したようにたじろぎ、その後フッと身体の力を抜いた。そして……小さく――それはそれは些細な表情の変化ではあったが――微笑んだ。 「……すまなかった」 初めて聞いた優しげな声。綺麗な紅い瞳。何故だか分からないが、一粒だけ涙が零れ落ちた。何かが少しだけ報われた気がした。そして悪夢を見た時とは全く違う火照りを感じずにはいられなかった。 「あ、あの」 急いで涙を拭い次の言葉を言おうとするが、 「では――私はそろそろ失礼します。海底神殿での作業がまだ残っております故」 その前に予言者が丁寧に礼を取った。既に雰囲気も口調も元に戻っている。予言者が歩き出すと同時に、最早力を込めていない右手からするりと衣が抜けていく。その事を寂しいと思っている自分がいることにサラは気づいていない。 廊下の奥に消えた予言者の瞳の色が忘れられなかった。まるで――紅玉のようだった。 サラはペンダントをそっと手で包み込む。何時か、あの人の瞳の奥の真実の心を知りたい――――そう願いながら。 *あとがき* ……よくよく考えれば、魔王20題の「守り」以外で私がサラ視点の話を書いたことって一回もないんだ――!?!? 書き終わってから気づいても遅いですよね……道理で書くのが難しいと思いました。きっと書きなれしてなかったんですね。 さて、この作品はいわばノリで出来上がった作品です。本当はこれを書く予定ではなかったのですが……良いことがありまして、なんだか創作意欲が昂ぶってきまして、1日で仕上げてしまいましたv なので誤字脱字あったらごめんなさい……← 扨ここで作品の説明を。 この話は「ジャキ」でも「魔王」でもない「予言者」をサラがどう思っているかとか、予言者に抱く自分でも気づかない程小さな恋情とかを書きたかったものです。 魔王(予言者)が弟だとサラが気づくまでの間は、恋愛感情が芽生えるのも有りだ……というか芽生えさせていってしまう私なのですが、この設定がもし気に入っていただけたら幸いですv うーん、もっと心情描写とか上手になれると良いな☆ 2011.8.4 ←章一覧┃←Menu┃←Top |