13.距離、再び


天空大陸崩壊から、数日後。
雲海は、前の吹雪が嘘のように立ち消えていた。見慣れぬ空の眩しさに人々は目を細めている。
そんな村を出た魔王、カエル、マールはシルバードへ向かって歩いていた。
その機体を前にした魔王は軽く目を見開く。
……こ奴らが時間移動を容易に出来るということは予測できた。そうでなければあの時古代へ戻ってくることは叶わなかった筈なのだから。
しかしその現物を見ると、こんな物が存在したのかと戸惑いの心情を隠せなかった。
そんな魔王にマールが吶々と語った。
「これはシルバードっていう…時を渡る翼なの」
「時を渡る翼?」
「ええ。理の賢者の作ったもので、未来で見つけたのよ」
理の賢者……ガッシュか。
そういえば昔、何やら時間移動の研究をしていたような記憶がある。
実現に至るまでの成果を挙げていたとは思わなかったが、途方もない時間が彼を研究に駆り立てたと思えば納得出来た。
暫くの間を置いて、
「……そういえば、魔王。時の賢者って、どこにいるのか分かる?」
マールが若干の期待に満ちた眼を魔王に向けた。ずっと押し黙っていたカエルも耳をピクリと動かして、次の言葉を待っているようだった。
だが魔王は首を横に振った。表情を暗くしたマールに、ただ、と付け加えるようにぽつりと呟いた。
「……貴様らの話を聞く限りではガッシュが未来、ボッシュが現代にいた事になる。ならばそれと異なる時間軸に居る可能性が高いと思うが」
仮説ではあるが、自信はあった。同時代の異なる場所にゲートが開いた例は――自らが調べた記録に限れば――存在しなかったからだ。
マールが一縷の希望を見出だして顔を上げる。
「そっか!じゃあ、他の時代…中世か原始にいるのかな?」
「なら、エイラにも聞いてみるのが良さそうだな」
カエルが言うと、マールはこくこくと頷いた。
それを見たカエルがシルバードの昇降機に乗り込む。マールもそれに続いた。
だが魔王は振り返り、おもむろに空を見遣った。
ほんの数日前まで天空の楽園が浮いていた場所をじっと凝視する。だが今では青があるばかり。
――呆気ないものだ。
そんな言葉が浮かんだ。
あれ程戻りたいと焦がれていた場所は、一瞬で堕ちて消えた。
今では、元から何も無かったようにすら見える。
そう思うと口の端に笑みが浮かんだ。嬉々としている訳でも、自嘲している訳でも無い。ただ複雑な感情が歪んだ笑みとなって現れただけのこと。
全ては無に還った。不意に、天空大陸の崩壊と共に同時に幼き日々の記憶との距離が途方もなく開いてしまったような気がした。一抹の哀愁が漂う。
愁いに身を任せて、魔王が追憶するように瞼を閉じた。同時に中世に飛ばされて、忘れた筈の、封じ込めた筈のこの時代で過ごした時の記憶が蘇る。
ただ連綿と、流れて行く。その中では、サラが微笑みを浮かべている。刹那、胸の奥が抉られたように痛んだ。
無くしたものの大きさゆえだった。
「――……魔王!」
マールの声にゆっくりと目を開く。途端に情景は掻き消えた。感傷に浸りかけていた意識が浮上する。もう未練はなかった。
「乗って」
マールが昇降機から手招きする。
「……ああ」
昇降機に乗ると、カエルが操縦席で出発の準備をしていた。
「……機械の操縦が出来るカエル、というのも珍しいな」
「黙ってろ」
魔王の皮肉に不平を垂れながら、カエルがシルバードを発進させる。思った以上の衝撃は無く、静かに上昇していく。
空がどんどん近くなる。
――しかし。
その刹那、蒼穹の中に夾雑物が浮かんで消えた。
幻か、と目をしばたかせる。だがそれが頭上に浮かぶことによって、機体にまでゆらゆらとした影が降りた。
「何、あれ――!?」
マールが驚愕してそれを指差した。
やがてそれは存在する時間が長くなり、輪郭が蒼と黒の境界線をはっきりと示す。
黒光りする甲冑を思い起こさせるさま。何か大切なものを守る様に堅固な要塞。そして恐ろしいことに、その要塞に見覚えがあった。
――海底神殿……?バカな……!
言葉が口をついて出た。マールとカエルが目を見開く。
完全にそれが太陽を遮った瞬間、悟った。そこには計り知れぬ程の力が有るのだと。
……今の俺には太刀打ち出来ぬ力。魔神器の――否、あの女…若しくはラヴォスの力だ。
魔王はきつく自らの拳を握った。これ程までの怒りと己に対する嫌悪感は初めてだった。
今まで、俺は何をしてきたんだ……。
「私達を呼んでるみたい……」
隣で声が聞こえた。事実、それは確かだと感じる。まるで全てを飲み込んでしまおうとするかの如くそれはその口を大きく開いていた。
「し、死者の船か?お迎えに来たってのか?」
死者の船……か。永遠の命を手にした女の乗る船がそう呼ばれるとは、皮肉だな。
「――入るか?」
カエルが闘志を剥き出しにして、それを見据える。
無論、魔王にも乗り込みたいという気はあった。しかし、今はその時ではない。漠然としながらも本能でそう悟った。
魔王が異論を唱えようと口を開きかけた時、マールがふるふると首を振った。
「今はやめておかない……?クロノを探さなきゃいけないし……それに、なんだか怖い」
カエルがマールの言葉にはっと我に返る。目の中の炎が消えていく。
「……ああ、悪かった。先走るとこだった」
カエルが一人ごちて、機体を旋回させる。機体を覆っていた影が消え、突如陽光が降り注いだ。太陽を避けて無意識に俯く。
カエルがパチパチと何やら弄っている。どうやら時間移動をするようだ、と思い当たった時一つの疑問に行き着いた。
「……どの時代に行くつもりだ?」
カエルがぴたりと手を止めた。ゆっくりと振り向き、問い掛けるようにマールを見遣る。
「とりあえず……最果てに行ってみんなと話してみない?」
「最果て?」
聞き慣れない単語を反芻する。
するとマールが少し考え込むように腕を組んだ。
「えっとね……なんて言えばいいのかな、どの時代でも無い時代…じゃなくて」
「時間軸から外れた場所だ」
支離滅裂になりかけたマールの言葉の後をカエルが引き取った。単語の意味を理解した魔王は軽く頷く。
視界のすみでそれを捉えたカエルは前に向き直り、小さく呟いた。
「……じゃあ、行くぜ」
声の余韻に被って、無機質な音が機内に響いた。普段感じることの無い奇妙な浮遊感の後、視界が滲む。
――二度目の古代との別れで、最後に見たものは、不気味に浮かぶ黒い影。
「ラヴォス……」
魔王は小さくその名を漏らした。先日倒すはずだった悪夢の名前だ。ようやく辿り着いたというのに、今また魔王はラヴォスから遠ざかろうとしている。それは己の力不足が原因だ。
だがしかし。
かならず、奴を葬る為に戻ってくる。必ずだ――!


◇+----*†*----+◇


「…ここが、最果てか」
機体の揺れが収まり、外に出ると、そこには見たこともないような空間が広がっていた。
何かが混沌と渦巻いているようなそんな場所にぽつりと浮かぶ忘れ去られた場所。そこに人が居るなどと誰が予想しただろうか。
しかし、四角形に切り取られた大地に伸びる街頭の下。まるで千年も生きたと言わんばかりの老人が静かに佇んでいた。ゆっくりと視線を老人に向ける。何故だか胸がざわついた。この感覚は古代に行ったとき、初めて女王やサラを見た時に似ている。
カエルとマールがしずしずと老人に近づいた。待機中だったのだろうか、ほかの仲間たちはそんな二人を凝視していた。一人の女――中世でラヴォス呼び出しを邪魔した紫の髪の女だ――がしきりに辺りを見渡している。何かが足りない、というように。老人は奇妙な沈黙には気付かず、淡々とした口調で言った。
「おや、あの元気のいいお兄ちゃんは、どうしたね?」
「……」
カエルとマールが俯く。老人も、周囲もそれだけで察したようだった。
「……。そうか……。大したことは出来ないが、この曲を贈らせてもらうよ。題して……『クロノ・リメンバー』」
 どこから流れているかもわからないこの曲を、切ない曲だ。そう魔王は感じた。音楽を耳にするのはいつ以来だろう。思い出せない。それもその筈だ。魔王が今まで聞いてきたのは、絶望の声と悲鳴、そして黒い風の泣く音だけだったのだから。
「私に出来ることがあれば、手伝ってあげたいのだが……」
「時の賢者を探してるの」
「時の賢者か……」
老人はすっと目を細めた。その表情をどこかで見たことがある気がする。
「はてさて、聞いたことがある気もするがその時の賢者に何用だね?」
「クロノを生き返らせる方法を知っているらしいの……」
マールの言葉に老人は一つ息を吐いた。ゆっくりと、諭すように語る。
「死んだ者を生き返らせる……。今まで何人の人が望んだことだろうね。幸せですな、クロノさんは……。こんなにも思ってくれる人たちがいる……」
しん、と静まった空間の中で老人は目を閉じた。もう口を開く気はないようだ。マールのすすり泣きと、ルッカの「嘘よ……」という呟き。それ以外の者はじっと床を見つめるだけだった。
――場違いだな。
魔王はそう感じながらも、目の前の老人のことが気にかかっていた。確かにどこかであった気がするのだが……と。
やがてカエルがシルバードに向かって歩き出した。マールもそれに続く。きっとクロノを探すつもりなのだろう。……当てもないというのに。だがカエル達がシルバードに乗り込もうとした瞬間、
「おーい」
声が響いた。先ほどの訥々とした語り口調とは違う張りのある声だ。二人が石段を上り、戻ってくる。
「これを持っていきなさい」
そう言って、老人が差し出したのは卵だった。きらりと輝く小さな卵――。流石の魔王でも、これが何かまでは把握できなかった。
「何だい?こりゃ?何かの卵か?」
「それは、クロノ・トリガー……。時の卵だ。その卵を孵す方法はあの時の翼を作った男に聞きな……。ただし上手くいくとは限らない。だが結果の為に行動するわけじゃあるまい?行動するから結果がついてくる……。そのはずじゃ。そいつを忘れんことじゃな。お前さんたちのクロノを思う気持ちがあれば、あるいは……」
……結果の為に行動するわけではない。
思い出した。この言葉を口にする者のことを。
「そうか、お前か……」
――時の賢者、ハッシュ。
随分と変わってしまったから分からなかったが、確かにその人だった。魔王の言葉に誘発されるようにマールも声をあげる。
「じゃあ……。もしかして、あなたが時の賢者……ハッシュ?」
老人は薄く笑った、そして古ぼけた帽子のずれを直すと、小さく笑った。
「そう言われた事あるような気もするよ……」
一瞬、老人……ハッシュの瞳が寂しげに輝いた。
「そう……遥か昔、な」
他の者は事情が上手く呑み込めて居ないようだったが、魔王は直ぐに理解した。あの日あの場所で三賢者もタイムゲートに飲み込まれていた筈なのだ。だがそうすると、ハッシュはそれからずっとこの空間で過ごしてきたことになる。
……よく、壊れなかったものだ。
魔王は淡々と思った。こんなところで長い時を過ごせば、狂ってしまっても奇妙しくない。俺とて――。
流石は時の賢者ということか。魔王はハッシュから視線を背けた。今は過去を思い出している時ではないし、思い出したくもない。
ふと隣を見ると、カエル達が時の卵を孵すため未来に行く準備をしていた。カエルとマールは休めば良い、とルッカに勧められたが、二人ともがんとして首を縦に振らなかった。
「俺がもっと強けりゃあいつを救えたかもしれねえ。最後まで俺に行かせてくれ」
「私はクロノを助けたい……。傷なんてもう治ったの。お願い、行かせて――」
懇願する二人を無碍にすることなど出来なかった。そして、ルッカが魔王の方をちらりと見る。すぐさまカエルが説明した。ルッカ達は腑に落ちないようだったが、カエルが大丈夫というのだから仕方ないとそのことを追及するのを止めた。
「魔王……行く?」
不意に、マールが声をかけてきた。憮然として言い放つ。
「……今の状態のお前らでは危険を呼ぶだけだ。奴を生き返らせるとしても、何が有るかわからん。私がついていってやろう」
「偉そうに……」
カエルとルッカが愚痴を漏らすが、魔王は何も言わず身を翻した。馴れ合う気は無い。
今回未来に行くと決めたのは奴らの警護いうこともあるが、本当は自らの目で見極めたかったのだ。
――本当に奴が生き返るのか?生き返ったとして、こいつらは強くなるのか?もし目的が達せなかったら、絶望してしまうのか?
答えは出ない。だが答えはきっと――この先にある。



*あとがき*
久々……と言うより、最早凍結したんじゃないかと疑われても仕方ないぐらい間を置いて、魔王20題更新です……。
本当に、こんなに更新が滞るとは思ってもみませんでした……ごめんなさいっ!!
そして滞っていると言えば長編も……いや、なんでもありませんっ><
そして長すぎる間の所為で文章の書き方が変わってしまいました。前の方が良かった、と思う方いらっしゃるかもしれませんが、今の書き方はこんな感じですので、どうかこちらも楽しんで頂ければ幸いです。
さて今回は「距離、再び」とのことで、一応古代の思い出やラヴォスとまた距離が開いてしまう――という意味合いで書きました。前の「距離」はサラとの距離でしたが。
ストーリー性を持たせているので、どうしてもお題と内容がこじつけっぽい部分が出てきちゃうのが残念ですが、そうならないようにこれからも頑張っていきたいと思います!!

2011.8.1

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