一瞬の躊躇古代に落ちてから大分と時間が経ったある日。女王のその日全ての公務が終わり女王の間を後にしようとした魔王の背後から低い声が降ってきた。 「予言者よ、そなたの働きぶりは素晴らしいものだ。お陰でラヴォス様復活の準備も滞り無く進んでいる。そこで褒美と言っては堅苦しいがラヴォス様復活の前祝いとして今宵は杯を共にしようではないか」 ぴたりと足を止め、たっぷりの間を置いてから、 「――……仰せのままに」 呟いて一礼する。女王が満足げに息をついた。女王の表情に下心の片鱗を探して目を走らせるが特に変わりはない。ただ憂いた鋭い瞳が青く輝いているだけだ。 「刻になればわらわが使いを出そう。それまで部屋で寛いでおれ」 「はい」 何の気まぐれかは知らないが断るのも不自然だ。もし裏があったとしても行く他無い。突然の誘いを訝しみながらも魔王は踵を返して女王の間を後にした。廊下を歩けばすれ違う人々が皆魔王に畏怖の視線を向けてくる。中には崇拝したかのように蕩けた目をしている者もいる。 永遠の国ジールの民といえどやはり強い力の前には平伏す。中世の魔族と何ら変わらない生きる者の性だ。魔王はそれをよく知っていた。 「待って下さい……待って!」 再び声が飛んで来る。最近やっと慣れてきた声だ。魔王は小さく息をついて振り返る。案の定そこに居たのは息を切らしたサラの姿。 「何でしょうか?」 「今宵母と会うと聞いたのですが……事実ですか?」 「ええ。だがそれは貴女に関係無いことでしょう?」 「勿論です、が……」 サラが視線を落とす。黙りこくったサラを尻目にその場を立ち去ろうとすると、 「私は、私は心配なのです!」 よく通る声が廊下に響いた。歩みを止めた瞬間サラの顔が目の前に迫る。たじろいだ魔王の肩をサラの細い指が遠慮がちに掴む。 「貴方が利用されているのでは、と……」 ――何だ、そんなことか。 魔王はフードの中で薄く笑った。分かりきったことを改めて言われても驚きは生まれない。 「そうでしょうね」 「なっ……!?」 あっさりと肯定した魔王にサラは困惑の表情を浮かべる。壁に取り付けられたランプの赤い光がちらちらとサラを照らしている。 「ならどうして」 「女王に従うのか、ですか?」 肩にかかる指をそっと外す。力をいれたら折れてしまいそうなほど細い指。これ以上サラに魔力を使わせるわけにはいかない。 辺りを見回して人が来ないことを確認してから、魔王は声を潜めてサラの耳元で囁いた。 「時が来れば分かります。ですからそれまでどうか私の邪魔だけはなさらぬよう」 サラが目を見開いて、そして微かに唇を噛む。そして身を離した魔王の身体を追ってきたのは微弱な音。 「貴方にとって私は、邪魔な存在なのですか……?」 「……時と場合によりですが、ね……」 そう言いのこして魔王は歩みを進めた。振り返らなかったのは多少突き放すぐらいが調度良いと思ったからだ。 サラはもう追い掛けて来なかった。自室に戻った魔王は長椅子に腰掛けてフードを取る。乱れた髪もそのままに静かに呟く。 「邪魔なのではなく、ただ……」 ――危害を加えたくないだけだ。 その言葉は発されること無く溶ける。決してサラには言えない台詞だ。 幾許かの時間が流れ、扉が数回叩かれる。扉ごしに控えめな女の声が聞こえた。 「女王様がお呼びでございます」 「……ああ」 深く息を吐き、気持ちを切り替える。乱れた衣服を整えてローブを羽織る。念のためナイフを懐に忍ばせる。 廊下に出ると侍女がそわそわと落ち着かない様子で立っていた。魔王の姿を見るや否や先立って歩く。 「予言者様、お忙ぎ下さい。じゃないと……」 「貴女が女王に咎めを受けると?」 侍女は息を呑んだが、宮殿の者なら誰でも知っている事実だ。予言者という地位が平凡なことを奇異に思わせているらしい。 足を早めた魔王に侍女は安心したようだった。部屋の前につくと、 「遅くなって申し訳ありません。お連れいたしました」 「通せ。お前は下がって良い」 侍女が魔王に軽く会釈して逃げるように立ち去る。その影が廊下の角に消えるのを見計らってから扉を開ける。 そこには自堕落的な様子で豪奢な椅子に腰掛ける女王の姿。円卓には酒肴の数々が並ぶ。 「遅かったな。待ち兼ねておった」 「申し訳ありません」 「まぁ掛けるがよい。良い酒を準備させた。日頃の疲れも溜まっておろう?今宵はわらわと飲み明かそう」 「それでは、失礼して」 勧められた椅子に腰掛ける。目の前に座る女の表情はどこと無く虚ろだ。 並々と黄金色の酒が杯に注がれた。女王に促され、魔王は杯を持ち上げる。 キン、と渇いた音が響いた。芳醇な香りが鼻孔をつく。しかし魔王は酒を口にするのを渋った。中に何か入っている可能性も否定できないからだ。 「……どうした?まさか酒が飲めないということはないであろう。さ、飲むが良い」 そう言って女王が酒を煽った。同じ瓶から注がれた酒だ。魔王も一口含んで飲み下す。キツい酒だが味は悪くない。そして薄く笑った。 「まさか。ですが女王より早く私が美味な酒を味わうのは失礼かと思ったもので」 「気兼ねせぬともいいぞ。わらわは今機嫌が良い。何しろもうすぐラヴォス様が復活なさるのだからな」 酒が効いてきたのだろうか。女王はとろりとした眼で虚空を見ている。かと思うと饒舌に語り始めた。 「……それにしても早いものだ。ラヴォス様の存在を知ってまだ十年、いやもっと前か……?よく覚えておらぬが、つい最近のようだというのに、今やもう求め続けた御力を享受できるとはな」 「……それ程までに焦がれたものが手に入る瞬間は、それは甘美なものでしょうね」 「当たり前だ。……そしてその為にそなたの力が大いに役立っていることは認めなくてはな」 「恐縮です」 女王が魔王のグラスにまた酒を注ぐ。グラスを受けようとした魔王の耳に低い声が響いた。 「今日こうして席を設けたのはそなたを労う為、そして――そなたの忠誠心を確認する為だ」 ぴたりと動きを止めた魔王に女王が冷やかな笑みを浮かべる。そして更に言葉を重ねた。 「わらわはそなたのことをよく知らぬ。だがお前の功績は評価に値し、わらわはそなたを優遇しようと言っている。これならばそなたはわらわを信じるか……?」 つい先程まで虚ろだった眼に確かに違う感情が映った。絶対的な権力を持った者が下の者を服従させようとする支配欲。だがその支配欲の間にちらちらと垣間見える孤独感も隠し切れてはいなかった。 瞬間、その弱い部分がラヴォスに取り憑かれる前の母にだぶった様な気がしたが、魔王はすぐさまその考えを否定した。 「褒美など……私には必要ありません。私はもう既に女王を敬服しております」 「つまり返事は――yesということか」 仄暗い眼をひたと見据え、魔王は静かに言った。 「ええ」 一言に力を込める。ここでちらとでも疑われて仕舞えば全てが水の泡だ。 暫く魔王の目を見据えていた女王は不意に身体の力を抜き、大きく息を吐いた。そして淡く微笑む。 「それで良い……」 口の端から漏れた声に安堵が混じっていた。力で服従させてきた者が、他人から拒絶されることに恐怖を覚えている。そのことに魔王は軽い衝撃を受けた。 「わらわに仕え、ラヴォス様に仕えよ。さすればそなたにも永遠の命をラヴォス様が与えて下さるやもしれない」 「……そうなれば……光栄です」 答えながら、魔王は自分の内に黒い感情が溢れていくのを感じていた。 ――永遠の命?何の為にそれが必要なんだ? この時代からしてみれば“永遠”にも等しい時を過ごした魔王にとって長く生きることが救いで無いことは分かっていた。第一、今まで与えられた寿命の中で足掻きながら生きてきた者が、今更永遠に生きたいと思う筈も無い。 「どうかしたか?予言者よ」 「……いえ、何でもありません。さぁ次は私がお注ぎしましょう」 些か乱暴に酒瓶を持ち上げた魔王を女王は訝しげに見る。数秒の気まずい沈黙の後、女王はとても冷淡に微笑んだ。 「貰おうか……」 魔王は何故か、背筋が冷たくなるのを感じた。 ◇+----*†*----+◇ 一刻も経つと、女王がうとうととし始めた。ラヴォスに憑かれたと言っても身体はただの女だ。酔いも眠気も感じるのだろう。 「私はそろそろ部屋に下がります。女王も身体を休めるべきかと」 「……ん、そのようだな……。わらわはこのまま休む……」 女王が身体を引きずるようにして奥の寝台へと倒れ込む。ちらと円卓を見遣れば凝った装飾がされた酒瓶が数本転がっていた。 魔王の身体には異変は無いが、やはり女王には多すぎる量だったようだ。 魔王が退室するのを待たずに、静かな寝息が聞こえてきた。どうやら完全に寝入ったようだ。 魔王は椅子から立ち上がり、女王に背を向けた。だが数歩進んでふと振り向く。 ――今なら、この女を殺せるのでは? 胸に隠した短刀が急に重くなった気がした。同時に身体がカッと熱を持つ。 女王を殺しさえすればラヴォスが復活することもない。そうすればきっとこの古代の王国は滅びず栄え続けるだろう。唯一サラだけは初めは悲しむかもしれないが、直に忘れる筈だ。 魔王は短刀を鞘から抜いた。銀色の刃はいつでも魔王の理性を奪おうとするように輝く。 静かに女王に近寄るが、女王はぴくりともしない。今なら確実に仕留められる。 だが――短刀を振り上げたその瞬間。女王が突然身をよじった。寝台に広がった髪の毛が生を受けたように蠢く。気付かれたかと身構えた魔王だったがどうやら違うようだ。 それまで安らかに眠っていた女王の息遣いが荒くなった。 そして、二つの単語が口の端から漏れる。 「……サラ、ジャキ……。……わ、わらわが悪かった……」 魔王の心臓が跳ねる。女王……貴女はラヴォスのこと以外何も省みなかった。寧ろ利用さえしてきたのに、何故、何故今更――!? もう一度手に力を込めようとしたが、女王の目の端に雫を捉えた瞬間にその感情も消え失せた。逆に魔王の胸の奥が引き攣れたように痛んでいる。 振り上げていた短刀を下ろす。心臓に向けて、ではなく鞘の中へと。 ――殺しておけば良かったと、思う日が来るだろう。 魔王は苦笑した。酔い潰れた女の一人さえ殺せないとは自分も落ちたものだと思いながら。 踵を返し、今度こそ部屋を出る。魔王の胸の内に残ったのは、多少の後悔とラヴォスに対する激しい闘志。 女王を殺しても、ラヴォスが死ぬ訳ではない。果てしなく遠い未来だったとしても、奴が地上にまた姿を現すことを想像するだけで虫酸が走った。それ程までに魔王はラヴォスを憎んでいた。 ――……そうして自らが女王を殺さなかったことを理由付け、魔王は一人冷たい廊下を歩き始めた。 *あとがき* またもやジールが出てくる話です。今回は魔王視点。 かなり前に魔王20題として考えて没にしたネタを再構成してみました。 古代にいる間に、こういうことがあってもいいんじゃないかなあと思って突っ走って書きました。とりあえず、魔王の迷いとか葛藤とかと女王の本音(寝ている間くらい本音が出るんじゃないかな、という勝手な解釈ですが)を表現できていれば良いな、と思ってます★ なんだか最近は調子が良いです。そろそろCTだけじゃなくてDQとかも書き始めてみようかな……。 2011.7.21 ←章一覧┃←Menu┃←Top |