黒い風が吹き荒ぶ「サイラス。あそこに魔王が……!」 「ああ、遂に追い詰めたな」 俺は腰に提げたグランドリオンの塚にそっと触れる。決戦を前にしている為か剣が微かに発熱しているように感じられた。 この剣で奴の息の根を止めるのだ。それが俺の願いであり、隣で戦うグレンの為、城で待つ王や王妃様の為、そして何より数多の国民の望んでいることなのだ。 「大丈夫、サイラスならやれるさ」 グレンの力強い言葉が胸に響いて聞こえた。それと同時にふと昔のことが思い起こされた。 今思えば、これまで日々を過ごした中で何度自分が期待されていると感じただろうか。 昔からそうだった。だからいつもその期待に応えようと……否、期待された以上のことをしてやろうと必死だったような気がする。そうすることで周りが喜んでくれるのが嬉しかった。同じくして、自分が自分の望む高みへと進んでいけることが快感だった。 ただ、心の片隅で孤独を感じることはあった。今考えれば、それは多分常に上を目指さなければならないというプレッシャーの裏返しだったのだろうが。その時は虚無感を感じることも多々あった。 そんな日常の中で魔王の存在を知ったのは何時だっただろうか。辿りきれない程昔だったような気がするが、実際さほど時は流れていないのかもしれない。 しかし初めて魔王を知った時、民を苦しめて森を焼き、ガルディアを攻め落とさんとする奴の姿に激しい怒りと憎しみを覚えた。その感情の高ぶりは今でもよく覚えている。 普段なら周囲の望みが先に立つのにも関わらず、今回だけは自分の意志で奴を倒したいと思った。奴を倒す為に強くなりたいと思う程に奴の首を自らの手で取りたかった。あの時からずっと俺は力を追い求めていたのだ。 だが、そんな俺が孤独に成りきらなかったのはきっと友であるグレンのお陰だろう。共に同じ志を持って切磋琢磨し、時に笑い、時に泣けるような相手がいなければ今頃俺は孤独に潰されて、歪んでいたかもしれない。自分が力を欲する理由を履き違えて愚かな真似をしたかもしれない。 だから――グレンだけは死なせたく無い。例え自分の命と引き換えでも。 無論、グレン程の剣の腕なら心配することもなかろうが。 「サイラス?」 回想の終わりと同時に声が響き、ハッとする。黙りこくった俺を心配したのかグレンが怪訝な顔をしていた。 「いや、なんでもない。……それよりグレン。魔王を倒すのは俺ではなく“俺達”だろう?」 グレンは一瞬虚を突かれたように目を見開いた。だがすぐさまニッと笑う。 「……ああ、そうだったな!」 「当たり前だ」 どちらともなく強く拳を合わせ、魔王が居る山の頂を見据えた。風が闘志で火照った身体を冷ますように吹き付ける。 恐怖や不安が無いと言えば嘘となるが、希望と自信がそれに勝っていた。 険しい岩肌が目の前に聳えている。これを登れば奴と一戦交えることとなる。 そう思った途端ゾクリと背筋が冷たくなった。今までに感じたことの無い感覚。これは戦い前の高揚感だろうか、それとも……いや、何も考えるまい。 一瞬だけ怯みそうになった己を叱咤し、天を仰ぐ。そこには蒼穹が有るばかり。そういえばガルディア城を発った時も同じような青空だった。 ――今更恐れる必要は無い。 俺なら、いや俺達なら必ず勝てる筈だ。 「では……行くぞ、グレン。覚悟は良いか?」 「ああ」 力強い返事に頷き返し、岩肌に手をかけて登り始める。グレンもそれに続いた。 ――戦いは、すぐそこだ。 ◇+----*†*----+◇ 今日もまた黒い風が泣いている。 唸り声とも泣き声ともつかぬ悍ましい音が、今日は何時もよりもはっきりと聞こえる。 ひゅう……ひゅう……。 何かの予感を感じさせる冷たい風が耳元で鳴っている。今日もまた死がすぐそこに迫っているということか。 ゆっくりと開眼する。青過ぎる空が目に痛い。いっそ黒に染まってしまえば良いのにと思う。昔の自分に重なる色など過去と共に塗り潰して仕舞いたい。気が滅入り俺が溜め息をついたのと同時に崖下を凝視していたビネガーがハッとして振り向いた。 「魔王様、奴らです。小賢しく回復薬等を使っておるようですが直に登ってくるかと……」 「フッ……勇者気取りの奢れる騎士を葬るのもまた一興だろう」 言うと、それまでどこと無く自信なさ気だったビネガーの表情が一変した。他人の言葉で己の気を高めるようでは主君には向かないが、手下としては居ても悪くない。 「――私は剣を折る。お前は部下でも始末しておけ」 「聖剣を……ですか?あれは魔族であれば触ることすら……」 「ならば魔法を放ち、剣に触れずに破壊すれば良い。あの騎士も我等の邪魔になるようならば……殺すまでだ」 別に戦いを好む訳ではないが、奴らをここで逃がせばまた向かって来る。ならばいっそ消してしまった方が良い。同時に聖剣を折ってしまえば、俺に刃向かって来る者はいなくなる。 ――愚かなものだ。 刃向かおう等と考えなければ命を絶つこともないというのに。俺が消すのは眼前に現れる邪魔者だけなのだから。 「おっしゃる通りに致します」 目を輝かせたビネガーが低頭するのを見、そのまま切り立った崖を見遣る。聴力を研ぎ澄ませれば、微かに耳障りな金属音が聞こえた。これはきっと剣が岩に当たる音。 「……来る」 風で纏わり付くマントを跳ね退け、気を研ぎ澄ませた。内に滾る魔族の血の所為か戦いを前にする度に高揚感と何か残虐な感情が湧いて出る。そしてその感情が高ぶる程に強く風の音が聞こえるのだ。 ひゅう……ひゅう……。 嗚呼――黒い風が泣いている……。 ◇+----*†*----+◇ 水の中に落ちたにも関わらず身体が燃えるように熱い。目が開けられない。声も出せない。そして何かが、根本的な何かが内側から変わっていく気がした。 そんな状況の中で、思い出すのは何故か過去のこと。ガルディアに居た頃の友の姿。 ――サイラスは俺の友であり、越えられない高い高い壁だった。それでいて自分を律し、周囲を鼓舞し続けていた。それが何時如何なる時も変わらないガルディアの勇者の姿……。 俺はそんなサイラスが友であること、そしてその勇者の隣で戦えることが誇りだった。サイラスを越える為ではなく、助ける為に剣の腕を必死で磨いた。 俺の目標には必ずサイラスが居た。事実この国にサイラスより強い者等居なかった。 だから、勇者が敗れることなんて有り得ない――そう信じて疑わなかった。 大体今まで勇者の負ける物語なんて知らなかった。魔王といえどもサイラスなら絶対倒せると思い込んでいた。 そんな甘さが、今のこの現実を引き起こしたのだろうか。 “逃げろ……グレン……” 不意にそんな声が蘇る。逃げろ、サイラスは俺にそう言った。それは俺が弱かったから。俺が強ければサイラスは死ななかった。事実俺を庇ってサイラスは剣を折ったのだ。 俺があの時、魔王に向かっていくことが出来なかったのは俺の力が足りなかったからだろう。 魔王の嘲笑するような表情と、紅く冷たい光を湛えた眼が何度も頭の中に浮かんでは消える。 憎悪と共に己の不甲斐なさを重い知らされた。同時に思う、強く、強くなりたいと。 だが葛藤があった。復讐を望む感情とどうにもならないという絶望の心……。 いつの間にか、身体から熱が抜けていた。代わりに感じるのは痛み。身体の節々が悲鳴を挙げている。 「……う、あ……!?」 自分の発した声に驚愕した。掠れてしゃがれた声。水面に映る姿はまるで――否、カエルそのものだった。 ――嗚呼、そうか。 これが俺にお似合いの姿ってわけか――。 自嘲気味に笑う。共に流れ落ちたらしいグランドリオンの剣の柄を虚しく掴んだままで。 俺のような奴がグランドリオンを手にしたところで何になる。例え剣が直されたとしても、もう使い手は居ないのに。 全てを諦めて剣を地に置いた時、何かが手の先に触れた。ふと水面を見遣ってから目を丸くする。 「バッチ……勇者の……」 グランドリオンの力を高めるバッチ。言わずと知れた勇者の証……。 水の中からバッチを掬い上げる。何度も目にしていたそのバッチも今では輝きを鈍らせている気がした。 だがこんな小さな物ならば水流に呑まれて流されたとしても奇妙しくない。それなのにこのバッチは自分の元へ流れ着いた。 静かに剣をまた手に取る。今の俺にはこの剣を持つ資格も、操れるだけの力も無い。 ならばせめて友の最期の頼みを聞くべきだ。そして何時かこの剣を使える程の力が備わった時、剣を直し魔王に挑む。……例え姿形がカエルであったとしても。 リーネ様や国をお守りすること。それが今の俺に出来る唯一の償いだ――。 ◇+----*†*----+◇ 今日も黒い風は吹き荒ぶ。 空に大地に空間に、死の予感が立ち込める。 ――ただ、その後に。 多くの絶望と恍惚、そして微かな希望を残して。 Fin. *あとがき* 5000Hitお礼企画のリクエストで「グレン+サイラス+魔王のデナドロ山での三者三様」というお題を頂きましたっ!! このシーンは好きで、魔王とサイラス視点からは今まで書いたことあったので(魔王20題中・短編)、今回は三人の心情をそれぞれの場面に分けて書いてみました。 戦いの前にサイラスや魔王が考えていたこと、そして友であったサイラスを失ったときにグレンが何を思うのか――などなど考えながらキーボードを叩いてました。 此処からは個人的な見解ですがやはりサイラスは自分が勇者と言われる理由も分かっているわけですから、自分の中に勝てるという気持ちがあると思うんです。それはグレンも同じなのですがグレンの思いというのはサイラスならば勝てるというものですので、自分の中で絶対的な存在であったサイラスが敗れたときに何も出来なくなってしまったのではないか……と思います。 だからそんな自分を変える為にサイラスの願いを聞きつつもこれから己を磨いていったんじゃないかと。 魔王の場合その目的が邪魔者を排除するというだけになっていますので、向かってきたサイラスを葬るのには何の躊躇いもなかったのでは無いのでしょうか。その迷いのなさと元からの魔力の強さがサイラスの剣の腕に勝ったと私は考えています。 ――そして最後にリクエストして下さった桜様。申し上げた期限より遅くなってしまって申し訳ありませんっ(><) このような拙い作品ですがもしも楽しんで頂けたら幸いです☆ どうかこれからもよろしくお願いいたしますm(_ _)m 2011.7.9 ←章一覧┃←Menu┃←Top |