夜が明けるまで




――ある冬の夜。
キンと冷えた漆黒の空間に、青白い月光が雲の切れ目からうっすらと降り注いでいた。
クロノ達が泊まっている宿から少し離れた場所、その黒に溶け込むように、立ち枯れた木を背にして佇む人影があった。
月光が彼――魔王の銀の髪を妖しく照らしている。
…月光を浴びると安堵するのは、体質からだろうか。魔王は思案する。
答えは出ないが、どこの世でも、魔の者は夜を好むのだろう。
時折吹く身を切るような風が吹き、白い息が立ち上る。マントが風に揺れてはためいた。
冬の夜だ。多少冷えるが、先程日が落ちる前に居た山の頂より、数段温かい。それに元来魔族の身体は強いものである。我慢できない程ではなかった。
…まぁ、例え凍てつく様な寒さであったとしても、魔王に一行が泊まる宿に戻る気は無かったのだが。
――喧噪は、好ましくない。
ただでさえ口数が減らない奴らだというのに、今日はそれに輪を掛けて騒がしかった。
理由は明解だが、その場に自分がいる意味は無い筈だった。奴らの仲間になったのは、偶然のような損得感情の一致なのだから。
…仲間が蘇ったことへの祝いは、奴らの内でやるのが良いだろう。
そう思い、目を閉じた。瞼の裏側に一瞬月の燐光が煌めく。
まだ、夜は長い。だが、幾許かの時が経った時、
「――魔王?」
背後から声が響いた。警戒心を解いていた魔王は、ハッと後ろを見遣る。そしてその姿を捉え、すぐ力を抜いた。
「……貴様か…」
「あら、誰だと思ったの?」
ルッカが含み笑いを浮かべる。
魔王はフン、と視線を反らす。そして然も機嫌が悪いというように尋ねた。
「…何か用があるのか?」
「魔王が居なかったから、何処行ってんのか気になっただけよ。それと…一口お酒を飲んだから、その酔い醒まし」
魔王の頭に嫌なイメージが浮かんだ。
「貴様は…一口で酔うのか?」
ルッカが酒に酔った状態を、一度目にした事があったが、もしそうならば共に居ることは得策では無いと断言出来た。
「少し、火照っただけよ」
確かに頬が少々赤くなっていること以外は酔っている様子もない。軽く安堵しながらも魔王は皮肉を飛ばした。
「…酔い醒ましなら宿でも出来るだろう。わざわざ、暇なことだ」
「魔王だって暇そうにぼんやりしてるだけじゃない。宿に戻らないの?」
「フン。大体…仲間の復活は、仲間内で祝えば良いだろう?私には関係ない」
「関係なくはないわよ。魔王がクロノを助ける手助けをしてくれたんだもの。もう仲間の一員でしょ?」
「…あ奴を救う助けをしたのは、別に貴様らの為ではない。それに私に仲間などというものは似合わぬ」
そう漏らすと、ルッカが意外だと言うように魔王を見遣った。
何となく居心地が悪く、魔王はすっと天を仰ぐ。その視線をルッカの声が追ってきた。
「魔王はもっと人と関わんなくちゃ駄目よ」
ルッカが一拍置いて、付け足すようにぽつりと呟いた。
「だって、一人は辛いじゃない」
それを聞いて、魔王は自嘲気味に笑う。そして冷たく言い放った。
「余計な世話だ」
「私はお節介なのよ」
直ぐさま切り返され、一瞬言葉につまった魔王に、ルッカが得意げに鼻を鳴らした。
「…宿に戻らないのか」
小さくため息を尽きながら魔王はそう漏らす。
「居てほしくないの?」
「できればな」
「全く、可愛くないんだから。…あ、でも不器用な人私は嫌いじゃないわよ?」
魔王がたじろぐ。その様子にルッカはけらけらと声をたてて笑った。
「真に受けないでよ、ほんとにもう」
「……宿に戻らないのか」
再度繰り返す。ルッカは笑うのを止め、魔王を見上げる。
「実は…魔王の事心配だったー、ってのもあるけど、実際宿に居たくないってのがあったりするのよね」
少し、寂しさを孕んだ声。この娘にしては珍しい。
――それに今日はクロノとか言う奴が蘇った日だ。何を居づらい事が有るというのか?
ちらと見遣った眼にその意を感じ取ったのか、ルッカは訥々と喋り始めた。
「クロノが生き返ったのは嬉しいけど…。死の山での二人の姿見て、クロノはまぁ…弟?みたいなモンだったのに、ちょっとの間に凄く変わっちゃったなぁって思ったのね」
「……」
魔王は腕を組み、沈黙を保つ。
ルッカも返答を期待した様子ではなく、ただ独り言の如く朗々と言葉が流れ出ていた。
まるで、溜め込んでいたものが掃き出されるように。
「みんなでまた旅を続けられる事は嬉しいの。でも、クロノもマールも成長してるのに私は何も変わってないから、少し寂しくなって」
ルッカはそこで言葉を切った。
静寂が重く纏わり付く。静寂には慣れきった筈だったが、何故か気まずさを覚えた。
たっぷりの間を置いて、
「……貴様は…変わることがそれ程までに重要なのか?」
魔王は絞り出すように呟いた。
俯いていたルッカがハッと顔を上げる。
「え?」
「無論、変わらなければ……否、変えなくてはならぬものも有る。しかし、そうでないものも有る…。まぁ、貴様の言うものがそれとは限らぬが」
変えなくては、の部分で魔王はすっと目を細めた。
魔王はまるで何かを思い描くように、虚空を見据えた。
ルッカはその視線の鋭さに、魔王が背負っているものの片鱗を垣間見た気がした。
だが、ルッカの表情は晴れない。
「でも…仲間ばっかり変わってっちゃうのは寂しいものよ」
「――そういうものなのか」
ルッカが頷く。
「自分だけ…なんて、嫌よ」
どう答えれば良いのか分からずに、魔王は小さく溜め息をついて、
「…複雑なのだな」
そう漏らした。
突然向けられた言葉に、ルッカが怪訝な顔を浮かべる。
「その者が敵ならば倒せば良い。庇護の対象ならば護れば良い。だが、そういう訳にもいかぬのだろう?」
「そうね…もうちょっとややこしいわ」
小さく唸って、ルッカが目を細める。何かを考え込んでいるようだ。
魔王はそこで饒舌に喋り過ぎた、と後悔する。そしてごまかすように一言付け足した。
「…私には、理解し難いことだがな」
するとずっと浮かない顔をしていたルッカが顔を上げた。
「……でも、魔王にもきっと分かるわ――もう少し、私達と居れば」
その言葉に魔王は虚を突かれ、一瞬息を止める。続いて口の端を吊り上げて笑う。
「私が?――まさか」
「そんな事無いわよ。魔王に“仲間”が居て何が悪いの?」
ルッカが真っ直ぐ魔王を見据える。
「ま、きっと自動的に分かるわ。ここに居れば」
「そうだろうか」
愁いを帯びた瞳をして、魔王が呟く。
「ええ」
返事をして、ルッカがにっこりと笑う。
「……まあ、そういうことにしておこう」
その言葉を聞いたルッカが大仰に手を広げ、はぁ、と大きく溜め息をつく。
「その一言がいっつも余計なんだから。…でも……まぁ、なんだかすっきりしたわ。…ありがと」
例の如く文句を垂れた後、ルッカは小さく小さく礼を述べた。
「…別に貴様の」
「為じゃない、でしょ?分かってるわよ、もう」
台詞を先に言われ魔王は眉をひそめた。
ルッカは吹き出しそうになりながら、
「人間もっと素直じゃなくちゃ…って、魔王は捻くれてるのよね。忘れてたわ」
そう時の賢者に言われた台詞をまぜ返した。魔王は憮然として腕を組み直す。
「…煩い」
「悪かったわね」
「全くだ」
「はいはい」
口の端に微笑を浮かべ、ルッカは鷹揚に頷く。
少しの間を置いて、ルッカが、
「それにしても、なんだか眠いわね…」
ふわぁ、と声を出して欠伸をした。そして眦に滲んだ涙を服の袖で拭き、そっと目を閉じる。
ただそれだけかと思ったが、時間がいくら経っても身じろぎ一つしない。
「おい」
「……」
まさか、と何やら嫌な予感を感じつつ魔王はしゃがみ込んだ。
案の定、規則的な寝息が聞こえてくる。
「……おい。起きろ」
――何故俺がこんな事…。
納得出来ない心情に取り敢えず蓋をして、魔王はルッカを起こしにかかった。
「ん…うるさいわねぇ…今ルッカ様は眠いんだからぁ…」
「…元から眠かったのか、それともやはり酔っていたのか…」
まぁ、酒を口にしたと言っていたから後者だろう。
そう思えば通常と違って少々感情の起伏があったのにも頷けた。
「せめて宿まで歩け」
「んん〜…」
聞く耳持たず、ルッカは顔を背ける。肩を貸そうと手を伸ばしても、その場から動こうとしなかった。
「全く……」
これだから他人は面倒だ、と悪態をつく。木を挟んでルッカの後ろに回ると、それに寄り掛かり自らもまた目を閉じた。
また、冷たい風が吹く。すると後ろから小さく身震いするような気配が伝わってきた。
魔王は思案するように月を見上げる。月の位置から見て、夜明けまでざっと2時間程だろうか。
「……」
魔王は立ち上がり、纏っていたマントを脱いだ。それをそっとルッカの肩にかける。
「ん…」
マントに包まったルッカを見下ろしながら、魔王の中でふと先程の言葉が思い返された。
…奴らと居れば、仲間というものが、分かるのだろうか――?
答えは出ない。
ただ天には蒼白い月が浮かぶばかり。
また辺りは静寂に包まれた。静かなる夜更け。
――ただ、何時もと違うのは。
魔王の足元で、ルッカが微かな寝息と共に息衝いている事だろう……。



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