一夜の夢俺は、守られていた。否、守られている。 あの温かい青き光に。 貴女は俺をいつも守っている。 幼い俺が、それに気付いていないだけで。 「―――ジャキ」 そう呼ぶ声には、慈しみが感じ取れた。 その声を聞く度に思う。失いたくない、と。 絶やしてはならないのだ。俺の…たった一つの美しい物だけは。 消してはならないのだ。俺のたった一つの救いだけは。 ……貴女がいなければ、俺は狂ってしまうだろう。 力に恋焦がれているのはジールと何ら変わらないのだから。 此処に来てから一層強く思う。 俺とジールは、限りなく似ていると。 異なっているのは、守りたいものが有るか、無いか…それだけだ。 だから俺は貴女を守ろう。俺を守る貴女を守ってみせる…。 それだけは、この身に誓おう。 …魔王と呼ばれた者が誓うには、余りにも人らしい誓いではあるが…な。 ◇+----*†*----+◇ 此処はジール宮殿。 真夜中の回廊に、一つの影が揺らめいてすぐに姿を消した。 その影が俺の視界の隅で舞った時、俺は目を疑った。 何をしようとしているのかが分からなかったからだ。 気付かれない様に後を追う。 すると、鍵が開く音がした。 「…何をしているのです」 自らの低い声が静かに響く。 その影は後ろから見ても分かる程、肩を震わせ、恐る恐るこちらを見た。 「あ…予言者さん」 影…サラが何故か安堵した様に息をついた。 「…こんな夜更けにそんな姿で、一体何処へ行こうと言うのですか?」 サラは毛皮があしらわれた外套を纏っていた。 手に持った籠の中には果実が積まれ、扉の取ってにはもう片方の手がかかっている。 「果実…?」 血の様に赤いそれは、魔力をたっぷりと含んだ、ジール宮殿でしか取れない物だった。 「あ…それは…」 黙りこんだサラに俺は思い浮かんだ事をゆっくりと問うた。 「地の民の元へ、行くのですか……?」 案の定、予想は当たりサラは首肯した。 そしておもむろに口を開く。 「ええ…。…どうか、この事は女王にはご内密にお願いできませんか…?」 サラが懇願するようにこちらを見た。 暗闇の中でもはっきりと見えた、蒼い双眸。 無意識の内に目を合わせない様にフードを引いてしまう。 そして、暫くの間の後。俺は呟く様に告げた。 「…女王に報告するまでの事でもないでしょう」 それを聞いたサラが一瞬だけ顔を綻ばせた。 「有難うございます。…では、早く行かねば夜明けまでに帰って来られませんので…」 そそくさと俺に背を向けたサラが、重い扉を開く。 そして外の寒さに身震いした。 地とは比べものにならないが、天空の夜も寒い。 このような寒空の下、地へ降りようと言うのか。 貴女は強大な魔力を持ってはいるが…器となる身体は強くない筈だ。 思い巡らせていると、不意に風に煽られて籠から果実が幾つか落ちた。 俺はそれを拾い上げ、籠へと戻した。そしてゆっくりと口を開く。 「……共に」 「?」 サラが首を傾げる。 つい、抑え切れずに先を続けてしまった。 言葉は滔々と流れ出て、偽りを言う事を許さなかった。 「私も共に地へと降りましょう。…もしも貴女が良いというのなら」 「え…?」 ぱちぱちとサラが瞬きを繰り返す。まるで何を言われているのか分からない、と言うように。 そして一瞬後…サラは笑った。儚い百合が花開く様に。 「本当ですか?…是非、お願いします。なら…道中の話し相手になって下さいますね?」 「……私には話す事等ありませんが」 「では、私の話を聞いて下さい。ただ相槌を打って下さるだけで良いですから」 そう言って微笑むサラを視界に入れながら、俺は空を仰いだ。 満月である。 一瞬後、思った。心から一途に、月に問うた。 ―――一夜だけ。 眠れぬ夜に、夢を見ても良いだろう……? ◇+----*†*----+◇ 月は、ただただ輝いていた。 雪の大地をただ黙って歩く。 自然な、全く息苦しくない沈黙がおりていた。 暫くすると、サラが静かに語りかけてきた。 「貴方は何処か懐かしい雰囲気を感じます…。何故でしょうね?」 「……さあ」 素っ気ない俺の返事にも気分を害した様子を見せる事無くサラは続けた。 「きっと、貴方の髪の色や立ち振る舞いが私達と似ているからなのでしょうが」 そう言われて、少しだけ驚いた。 髪の色はともかく、まだ幼い頃の癖が抜けていなかったのか、と純粋に思った。 「…ですが、私は光の民ではありませんよ」 「勿論、わかっています。だって光の民は、そんな…」 こちらを見たサラと目が合う。サラが自分の瞳を見ているのが分かった。 瞬間的に悟る。 ……嗚呼、そうか。 光の民はこんな、血の様に紅く禍々しい瞳をしていない。 だから俺は、光の民では無いと言うのか。 しかし、嫌悪の眼差しを向けるかと思われたサラは不意に、呟いた。 「紅玉の様に綺麗な瞳をしていませんから。皆同じ青の色で」 「……紅玉…?」 鸚鵡返しに反復するとサラは微笑みながら頷いた。 「ええ。紅と言っても、魔神器のような禍々しい光ではなくて…とても綺麗な紅い宝石みたいですよ」 サラが真っすぐ俺の目を見て笑った。その目に嘘は無い。 …綺麗…か。 この魔に満ち、力の象徴ともいえる瞳が。 そんな事を言うのは、サラだけだ。 軽く自嘲気味に笑う。 全く持って俺に似つかわしくない言葉。 「……世辞はいらん」 そう言うと案の定サラは慌てたように首を振った。 「世辞等では」 「分かっている。……っ」 弁解しようとしたサラに、つい思っていた事が口をついて出た。 顔を背けた俺にサラが吹き出す。 「…て…照れてますか…?」 「…………」 顔をあからさまに背けた俺に、サラは笑いを堪えきれない様子だった。 そんなサラを横目に、またも俺はフードを強く引っ張った。 刹那、一際強い風が吹いた。ローブの端が力を抜いていた手からもぎ取られる。 次の瞬間…ふわり、真っ暗だった視界に白がちらついた。 それを見てサラが呟いた。 「フードなんて被らない方が良いですよ?勿論寒いですが、それ以上に…ほら」 サラが上を示す。その指に釣られ、天を見た。 「地からでも、月がこんなに綺麗ですよ…」 そこには、大きな月。淡く碧く輝く、美しい月。 確かに天空から見るのとはまた違う。こちらの方が…自然で、儚く目に映る。 天空は全てが完全だから――― 暫し押し黙っていると、サラが俺を見て笑った。今までで一番美しく。 「…やっぱり、被り物をしない方が似合いますね」 「…っ」 そう言われ、直ぐに踵を返した。 ……俺はどうやら好意的な言葉をかけられるのに慣れていないらしい。 「早くしないと夜が明けます。急ぎましょう」 その所為か、思ってもいない言葉が口をついて出る。 「はい。…あっと。あと一つだけ良いですか…?」 その言葉に歩みを止め、振り返る。 「私の事はそのままサラ、とおよび下さい。そのほうが嬉しいです」 また、少しの間。 そして、おもむろに口を開く。 「……では、行きましょうか…サラ」 「…はい!」 ◇+----*†*----+◇ 「これはサラ様!またも果実を?」 初老の男が迎えた場所は、汚い洞窟だった。 しかしサラは物怖じすること無く出された椅子に腰掛け、ゆっくりと果実を差し出した。 「とりあえず、持ってこれるだけ持ってきました。…足りるとは思いませんが…」 「いえ…十分過ぎる程です。これで病気や怪我をした物が楽できる事でしょう。…っと、そちらの方は…?」 男が訝しげな目を向けてきた。するとすぐにサラが話し出した。 「最近宮殿にいらした予言者です。未来が視れるとか」 「ふぅむ…。未来か…。では、わしらの…」 そこまで言って、男は考えあぐねる様に腕を組んだ。そして静かに首を振る。 「いや、止めておこう。未来など知らない方が良い。…無論、希望を持たせるという意味でな」 視線を向けられた俺は、当たり障りの無い返事を返す。 「……それがよろしいかと」 ふと、サラを見遣ると何やら考え込んでいるようだった。 やがてハッとした様に首をもたげ、席を立つ。 「では…。大した事が出来ずに申し訳ありませんが、そろそろ宮殿に戻ります」 「本当に有難うございました。……くれぐれも、お気をつけて」 「…はい」 サラは少し、悲しそうに笑って部屋を後にした。 ◇+----*†*----+◇ 「今日は本当に…有難うございました」 「…気になさらず」 もう、夜は明けかけていた。雲海が黄金に染まっている。 「…予言者としての仕事も、忙しいのでしょう?眠らなくて大丈夫ですか…?」 サラが心配そうに顔を覗き込んできた。 「…私は眠らないので」 そう言うと、サラは曖昧に笑った。どうやら冗談と受けとった様だった。 ぼうっと虚空を見つめていたサラの表情が、突然真剣なものとなった。 そして視線を揺らがせて俺を見た。何か迷っているような、そんな目だった。 何かに縋りたい様な目ともいえた。 「…先程から考えていたのですが、未来という物は視えた方が良いものなのでしょうか…?」 きっと、先程の地の民の男の話を思い返しているのだろう。俺はそう思った。 「私はずっと…未来を知りたいと思っていました。私が何をすべきか分かると思っていたから。ずっと、貴方に聞こうと思っていたんです。私の未来を…でも」 そこでサラは息をついだ。そして恐る恐る尋ねてきた。 「知らない方が…幸せなのかもしれないと思った途端、怖くなったんです。…私は未来を知った方が良いのでしょうか…?」 …未来。 サラは未来を教えろとは言わなかった。ただ知った方が良いのかと聞いた。 未来を知るという事が良いものなのか等分からない。分かるはずも無い。 実際、俺は…未来など知りたかった訳ではない。 知った者が手にするのは……辛辣な現実と、余りにも小さな希望だけなのだから。 運命に身を任せている方が余程楽なのだ。 だから。 俺は…言わない。 貴方にだけは、決して告げない。 「知らなかったとしても。……未来は、変えることが出来ますから。力の…いえ、心の赴くままに」 「……そうですよね。まだ…まだ終わっていない…」 サラは静かに雲海の果てを見つめていた。 徐々に、太陽が昇っていく。 青みがかった銀の髪が金色に染まっていくのを見ていた俺は、静かに息を吐いた。 日が昇りきる。同時にサラが振り向いた。 何故か目には少しの哀しみを湛えて。 「……話を聞いていただいて有難うございます」 「この程度ならば…いつでも」 サラは微笑んだ。たった一夜でサラが笑うのを、何回見ただろう。 「では…私はこれで」 その声が耳に届いた時。何かを感じた。終わりの予感を。 サラが踵を返した。ローブの裾がふわりと広がる。 「…っ。サラ……!」 最後の夢に縋ろうと、最後に発した声は彼の人に届かず風に攫われた。 扉が閉まる音が聞こえた。重く響く。 嗚呼―――夢が終わった……。 綺麗な夢だった。 もう二度と見る事の出来ない――― この一夜は、忘れない。俺の命が絶えるまで。 そして、決して夢を失わせはしない。その為なら命を賭して戦おう。 例え勝ち目が無かったとしても。 貴女を失いたくない。 貴女を守りたい。貴女が俺にそうしたように。 そして――― 貴女の笑顔がまた見たい……。 ただ唯一の……。 大切な人……。 仰いだ空には、今宵最後の月が朧げに輝いていた―――。 ←章一覧┃←Menu┃←Top |