12.決断




広すぎる海の中、まるで世界に取り残されたかの如く浮かぶ小さな陸。
あまりにも小さなこの地に流れ着いたのは必然か、偶然か。
そして、目を開けて最初に見た海が幼き頃姉と見た海に似ていたのは必然か、偶然か…。
「…ぐ…っ」
身を起こそうと瞬間、激痛が走った。
あまりの痛みに声が漏れる。
だが…それ以上に痛みを訴えているのは、心。
…いくら時が経ったのだろう。
あの敗北の記憶は、まるで数分前の出来事の様でもあり、数年前の記憶の様でもあった。
だがそれは鮮明で、時が経てば経つほど濃くなっていく。
――嗚呼。
俺は……。
何故此処にいる?
何故生きている?
……解らない…。
今まで一度とて感じた事等無かった、惑いという感情。
…また、全てを奪われた。
希望等、残っている筈も無い。
…否、元から無かったのか。
俺のしてきた事は全て無駄。
歴史は変わること無くその針を刻む。
―痛い―
―哀しい―
―虚しい―
辺りの寒さを感じぬ程身体に冷たく染み渡った絶望。
哀しみ、憎み、戦い…最後、俺の中に満ちたのは、深い絶望のみだった。
不意に、手が腰の銀鎖に触れた。
肌よりも冷たいその感覚に、ハッと我に還り、低く小さく声を搾り出す。
「―――姉上…」
ゆっくり、激痛を感じながらも、身体を起こす。腰から外したそれを目の高さに掲げる。
所々傷付き、捻れてはいるが蒼い石はその輝きを失ってはいなかった。
蒼い石に、紅い双眸がぼやけて映る。
刹那。
ゴメンなさい……!
遠い虚空から蘇る声。
涙に濡れたその表情。
「……っ」
何を失っても守りたかった。例え命と引き換えでも良かったのに。
もう、叶わない。
…だが、ラヴォスに対する感情は昔の其れとは違った。
何も、感じない。
復讐。
それだけの為に生きてきた筈だった。
……無。
それが今の俺を示す唯一の言葉だ。
瞬間。煌り、一筋の日の光に照らされて輝いた石は、鈍く美しく光った。
それは全く、サラの双眸の色と違わなかった。
お守り。そう言って渡された一つの力。
だがそれは俺にとって、唯一と言える程の姉との記憶の結晶―――思い出、だった。
…だが、今。
孤独と成り果てた俺に、その輝きは余りにも哀しく映った。
目を背け、そっと地面に置く。
地で儚く輝いたそれは、彼女そのものを表す様であった。
無意識に天を仰ぐ。
舞堕ちる雪が孤独を包む。
―――サラ。
貴女は俺を許すだろうか。
貴女を守れなかった俺を…。
…きっと、貴女は許してしまう。
あの母さえも憎めない貴女だから。
ならば―――俺は。
自然なる死が訪れるまで、此の世に在りつづけよう。
それは、貴女に対する何の免罪符にも成りはしないが…。
それが…俺が出来る唯一の償いだ。
…闇に浮かんだ黒い影は、静かにとその場から姿を消した―――


◇+----*†*----+◇


どれ程の時が経ったのかは解らない。
…取り残されたこの地では、時という物は意味を成さない。
だが、そこに人が居るという事だけは解った。
―――そう。
呪われたカエル。金の髪の娘。毛皮の様な物を纏った娘。
死んだ、クロノという少年の仲間である。
彼らは雪に埋もれかけた石に近付いた。
それを眺めていた俺は静かに、呟いた。
「お前達か……」
自分でも解る程に覇気が無く、まるで溜息の様な言葉。
「ま、魔王!!」
カエルが驚いた様に飛びずさる。娘達が目を見開く。
だが、俺はその全てを虚無な目で見、語った。
全てが終わった今、真実を知る者が居ても良いと思った。
「見るがいい。すべては海の底だ……。永遠なる夢の王国ジール……」
まるでそこに誰も居ない様に、水平線を見据え話し続ける。
「かつて私はそこにいた。もう一人の自分としてな……」
遥か彼方昔の、忘却の果てに在った記憶が一瞬にして蘇る。
ジャキ、という名。
魔王、という呼び名。
そして、呼び名すら無い、今―――
長い…長い沈黙の後。カエルが掠れた声で呟いた。
「そうか、お前……あの時のガキ……!」
だがその声も俺には届かない。
過去を追憶し、淡々と語り続けた。
「……。私は奴を倒すことだけ考え生きてきた……奴が作り出した渦に飲み込まれ中世に落ちて以来な……」
一つの決意を胸に、全てを犠牲にして来た。
「我が城でラヴォスを呼びだす事をお前達に邪魔され……再び次元の渦に飲み込まれ 辿り付いた先がこの時だとはな……。皮肉な物だ……」
再会し、守ろうと決めた。
「歴史を知る私は、予言者として女王に近付きラヴォスとの対決を待った……。しかし結果は……」
俺の力では…救えなかった。
俺の力では…足りなかった。
過去を追憶し、記憶が俺が今生きているこの時間の物に近づくに連れて感情が高ぶり始めた。
「…ラヴォスの力は強大だ。奴の前では、全ての者に黒き死の風が吹き荒ぶ……。このままではお前達も同じ運命だぞ。あのクロノとかいう奴とな!」
吐き捨てる様に言った俺に、カエルが激昂した。
「……!あいつを侮辱する気か……!」
「奴は死んだ!弱き者は虫ケラのように死ぬ。唯それだけだ……」
「魔王ッ!!」
耐え兼ねたかの様にカエルが剣を抜き払った。
…その眼はまだ、憎しみを忘れていなかった。
目的の有る者の眼。
―――この者達は。
まだ諦めずにやれるのか?
無謀だと、解っていた。しかし、試したくなった。
その為に、心の臓を奴の剣で突かれても良いとまで思った。
じっとカエルを見据え、ゆっくりと言い放つ。
「今ここでやるか……?」
嘲笑するかの様に嗤い、誘う様に手を伸ばす。
奴は一瞬…何故か戸惑ったかの様に怯んだが、次の瞬間には周りの空気が研ぎ澄まされた。
戦いの前の、緊張感。
刃が虚空に煌めいた。
―――来る。そう思った。
…だが、予想とは裏腹に、フッと辺りの殺気は消滅した。
カエルは剣を鞘に納め、呟く様に言った。
そして、憂いを帯びた眼でぽつり、呪われし者は言葉を発した。
「今貴様を倒したところでクロノは戻って来ん……。サイラスもな……」
だが、それは俺の様な全てを諦め、放棄した様な眼では無かった。
後ろに居る娘達も、眼の奥の光は失われていない。
何が…何がお前達を強くするのか。
全てを失ったというのに。
「……」
唯、気になった。
カエル達が俺に背を向ける。
金髪の娘の声が、微かに聞こえた。
「…クロノを……探…」
首を振ったカエルに、金髪の娘は涙ぐむ。
慰め合う様にして歩き始めた娘達から一歩遅れた所で。
一瞬振り返ったカエルと視線が交錯する。真っ直ぐな迷い無き眼。
…この強き心はどこから来るのだろう。
もしクロノとかいう奴が鍵だとすれば、こいつらと行けば、何かが、変わるのか?


◇+----*†*----+◇


心を決め、静かに雪の中から銀鎖を取り出す。
ゆっくりとそれを腰に付け、前を見据える。
「待て。私も行ってやる」
驚いた様に、信じられないという様に、彼等は振り向いた。
カエルは、真っ先に反論した。
「ふ、ふざけるな!!」
しかし。
「奴を……クロノを生き返らせる手。無い訳では無い……」
そう言った途端、金髪の娘がハッと息を呑む音が響き、カエルが目を剥いた。
「何!?」
俺は吶々と語った。
「時の賢者ハッシュなら 失った時を戻す方法を知っている筈だ……」
……こいつ等と共に居て、ラヴォスが倒せるとは限らない。思わない。
だが、俺の力だけではラヴォスは倒せない。
否。今の俺には何も無い。
生すらも償いでしかない。
――。
…償いが…生ならば…。
我が血と身体で贖おうか。
唯何もせず死を待つより、一縷の望みを糧に死に急ごうか。
今の俺は、強大な力の前に身を投げ出すも厭わない。
―――ならば。
最後の希望を……。
賭けてみようか。
この者達に。
例え。
待っている物に、救いが無くても。

…そうして奇しくも俺は。
一人の大切な者と引き換えに、多くの仲間を手に入れた―――


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