9.執着、あるいは希望




「…予言者。じゃと?」
冷たく、威圧的な視線が迷うかの様に揺らいだ。
「はい…。ジール王国の過去も未来も、全てを見通す事ができます」
「それは真か…?」
疑わしげにジールが俺を見た。
「貴様、偽りを言えばただでは済まないぞ!」
…ダルトンと言ったか?
確か、女王の側近。
祭事等の取り決めも任されていた。
「偽り等、申しておりませんが」
「未来を見通す?そんな事出来るわけ…」
「まあ、良い」
ジールがひらひらと手を振った。
「城への滞在を許可しよう。部屋を用意させる。…功績次第で位を与えてやってもいい。…わらわの為に尽力するのだな」
「…有難うございます」
俺は立ち上がり、女王の間を後にした。
…ラヴォスに近付く機会は、海底神殿完成の時しかないだろう。
その為にはジールの信頼を得る事が一番手早い。
俺は、奴を母親だとは思わない。
人の躯を持った悪魔だ。
殺す事に躊躇いは…無い。
仄暗い感情を胸に女王の間を出て、用意された部屋へ戻ろうとしていた時。
「アルファド!どうしたの?」
声が耳に届いた途端、無意識に身体が硬直した。
足に、柔らかい物が纏わり付く。
足音が俺の後ろで止まった。
「…誰?」
ゆっくりと振り返る。
立っていたのは、自分だった。
ジャキと呼ばれていた頃の。
「聞いてる?」
俺は、淡々と答えた。
「私は予言者だ」
「予言者?名前は無いの?」
名前。
…考えた事など無かったな。
魔王と呼ばれていたあの時代も、予言者と名乗っている今も。
必要すら、無い。
今の俺は魔王であり、偽りの予言者なのだから。
「名前は…無い」
ジャキは一瞬考え込む様に目を伏せた。
「珍しいね。……予言者って事は…女王の手伝い?」
ジャキの目が鋭くなる。
だが、目の奥にはジールとラヴォスに対する恐怖が垣間見える。
「…ああ」
「…そうなんだ。やっぱりラヴォスに関係あるの?」
「まぁ、そのような物だ」
ついつい幼き自分を凝視してしまう。
…これ程までに、無垢だったのか。
あの頃の自分は。
「…何、見てるの?」
「いや…」
大袈裟に目を逸らす。
先程から足元にじゃれついていたアルファドを持ち上げる。
「うにゃあっ」
手足をばたつかせ、嬉しそうに見えた。
ジャキが頬を膨らませる。
「…なんでアルファドが懐いてるの?」
「…」
黙ってアルファドをジャキに渡す。
「何故、だろうな…」
フ、と笑みを浮かべる。
笑顔が引き攣る。
まるで笑い方を忘れたように。
…最後に自然に笑ったのは、遠い昔だ。
ふと、ある人の事が気になった。
「…サラは、海底神殿を手伝っている…のだろう?」
ジャキについ、声をかけてしまった。
ジャキが振り返る。
「なんで知ってるの?…まあ、みんな知ってるけどね。それとも予言の力?」
「そのような物だ」
ジャキがじっと俺の目を見つめた。
何かを探るような目。
「…ふぅん。じゃあ母様の未来を視てよ」
唐突に投げ掛けられた質問に戸惑いつつ理由を尋ねる。
「…それを知って、どうしたい」
「別に…ただあいつの行く末を知りたかっただけ」
答えるつもりは無かった。
しかし、吐き捨てるように言うジャキに、つい、言葉が漏れた。
「…狂ってゆくだけだ」
刃の一瞬の煌めきのような、細く、鋭利な声。
「え?何?」
…あまりに小さな声だったので聞き取れなかったようだ。
俺は我に返り、解らない、と言い直した。
ジャキは納得していないようだったが、俺はローブをはためかせ、幼き自分に背を向けた。
…前を見据えた俺の前に、サラの姿はあった。
余りにも唐突に、余りにも自然に。
そこに存在していた。
身体が震えた。
此処に来た時から、何時かは会うと思っていた。
会いたい。この思いを自分でも解らない程に封じ込めていたのに。
今、目の前に、居る。
「姉上っ!」
ジャキがサラの元に駆け寄った。
「あら、ジャキ。…そちらの方は…?」
視線が交わりそうになり、フードを深く被る。
「えっと…『予言者』だって。未来を視れるんだって」
「まあ、未来を?そんな事が?」
驚いたようにその双眸が見開かれた。
自分の真紅の瞳を、一瞬だけ、捨てたいと思った。
尖った耳を隠したいと。
何故だ?
「予言者…さん?と、お呼びすれば?」
「…ああ」
「何時から此処に?」
「暫く前に」
「宮殿内でもフードをお取りにならないのですか?」
「…癖だ」
「そうなんですか」
淡く、サラが笑った。目が逸らせない。
……一度失った大切なものが目の前で息づいていたとしたら、どうすればいい?
もう二度と失いたくないと思うのは、間違ってはいないだろうか……。
回想の最中、アルファドが急に駆け出した。
「アルファド!?」
ジャキが後を追いかける。
二人の間を沈黙が流れる。
そしてサラが何か言おうと口を開いた時…不意に、サラがよろけた。
無意識の内に手を伸ばし、身体を支える。
「ごめんなさい…少し具合が悪くて」
「…顔色が良くない。暫く休めばどうなんだ?」
サラは静かに頭を振った。
「休む訳にはいきません。私は……」
サラはぐっと言葉を飲み込んで、フラリと立ち上がる。
「……貴女程の力が有れば…変える事も、可能だと言うのに」
そう呟くと、サラは儚げに微笑んだ。
「それでも、私は……ごめんなさい」
何故、サラは一歩を踏み出さないのだろう。
…サラが、やらないと言うのなら。
「…やらないと言うのなら、俺は無理強いしない。…俺がやる」
最後の言葉は吹き抜けた風に掻き消された。
「え…?」
サラが聞き返してきたが、俺はサラに背を向け、その場を去った。


◇+----*†*----+◇


「…なかなかの功績ぶりじゃな。予言者よ。海底神殿建設により起きる事故。魔神器の欠陥による力の暴走。全てお前の予言通りじゃ…」
満足そうな女王の声。
「私は、視たままを申しているだけです」
「それでもじゃ。先に約束した通りに望む位を与えよう。…何を望む?」
一瞬考え込んだ。
顔を上げた途端、憎らしげに俺を一瞥したダルトンの姿が目に入る。
その瞬間、妙案を思い付いた。
「では…女王の側近の立場を頂きたく」
「んなっ!」
黙って聞いていたダルトンが声をあげる。
「ちょ、待て、それは我が一族が継いできた崇高なる位だぞ。それを何処の馬の骨とも解らん奴に…!」
継いできた崇高なる位、か。
…笑わせる。
血筋だけでは、何も変わらない。
「今、女王が必要とされているのはラヴォス神復活の為、役に立つ者。ならば私の方が側近に相応しい」
その言葉を聞いたダルトンが憤った。
「お前は俺が役立たずだと言いたいのかッ!!」
「…言いたくは無いがな」
「―ッ!」
今にも掴み掛からんばかりの風体のダルトンから視線を外し、女王を見据える。
女王の瞳が一瞬陰る。
…今の女王なら元からの位などのようなくだらない物より、自分の役に立つ者を取る筈。
そう踏んだのだ。
案の定、女王はむぅ、と考えた後ゆっくりと口を開いた。
「…良かろう。本日より、わらわの側近を申し付ける」
「! 女王!」
ダルトンが目を見張る。
欝陶しいとでも言うかのようにジールはダルトンを一瞥した。
「…わらわの決定に異を唱えると言うのか?」
「いや、そんな滅相も、私はただこのような輩を」
「黙らぬか」
ダルトンが言葉を飲み込む。
一呼吸置いた後、ダルトンは懲りずに声を絞り出した。
「畏れながら…私の位はどうなるのですか?」
「…側近という位が一人とは決まっておらぬ。予言者と同じ、という事にしておくとしよう」
明らかに異論があるようだがそれ以上口出しをすることはしなかった。
「よいか。未来を視たとしたら真っ先にわらわに伝えよ」
「…ならば、先日視た物もお伝えしたほうがよろしいのですか?」
女王が身を乗り出す。
「何故もっと早く言わんのじゃ。早く申せ」
「……三賢者、と呼ばれし者達は何やら良からぬ事を企てております。このまま放っておけば、女王の邪魔となる事でしょう」
「三賢者が?あ奴等は我がジール王国を導いて来た者であるぞ。俄(にわか)には信じられぬな」
「…特に、命の賢者。『赤きナイフ』と称した魔神器を破壊する物を作っております。…昨夜、その憧憬が浮かんだのです」
「……念には念じゃ。早速、ボッシュの部屋をさらわせよう」
「…それが得策かと。もう一つ…」
もう一つ。
何を言おうというのだ。俺は。
心とは裏腹に言葉は滔々と流れ出す。
「サラ王女の力は今、消耗されています…。暫くの休息が無ければラヴォス神を呼び出す際に、力不足となるやも知れません」
「そうか…。ならば暫く…一週の間は魔神器からの力の収集を諦め、海底神殿建築のみに力を費やそう」
女王の言葉に何故安堵しているのだろう。
「……では、私はこれで」
返事を待たず、部屋を出る。
背後からダルトンの忌ま忌ましげな言葉が聞こえたが、気にもならなかった。
考えていたのは…。
失った筈の、取り戻せた物の事。
三賢者は、俺の邪魔となる。
ラヴォスを呼び出す事が、出来なくなるやもしれんからな。
だから、動きを封じようとした。
まだジャキがボッシュに相談を受けて居ない時に行動を起こせばジャキがあの…魔神器の間に居る事は無くなる筈。
…何かが、変わると。
俺の力で変えて見せると。
…何かが滅んでも良い。
誰かが死んでも良い。
『ラヴォスを葬り去る』
それだけの為に、俺は生きてきた。
名を捨てて、感情を捨てて、人を捨てて。
力だけを追い求めて。
必ず、必ず叶えてみせる。
そして。
姿を見る事が叶わなくても良い。
声を聞く事が叶わなくても良い。
違う時間軸でも、生きて、微笑んでいれば。
我が唯一の守るべき対象。
全てを失っても、一人を救ってみせる。

……サラ。
それだけを。


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