8.時の闇響く足音と地の底をはいずるような声が重なる。 「ダ・ズマ・ラフア・ロウ・ライラ……」 背後で青い火が灯る。 「紡がれよ、天と地の狭間に……」 すらり、剣の抜かれる音がした。 「この大地の命と引き替えに……!」 まばゆい輝きが身を包む。 …術は完成した。 だがまずは侵入者を排除しなくては。 魔法陣に保護術をかけ、炎の光を受けながらゆっくりと振り返る。 「魔王ッ!」 そこには、赤い髪をした少年と短い紫の髪の少女、そして殺し損ねたカエルが武器の標的を定めながら俺を睨み付けていた。 カエルの眼は憎しみに満ちている。 ああ、やはり失った物が大きい程それを失わせた相手を憎む気持ちも大きいのか。 こいつは俺を本気で殺そうとしている。 …そうで無くては。 「いつかのカエルか……。どうだ、その後の人生は」 俺は皮肉をカエルに浴びせた。 「感謝しているぜ。こんな姿だからこそ……手に入れた物もある!」 その刹那、耳元で一際強く風が鳴った。 「黒い風が、また泣きはじめた……。よかろう、かかってこい……」 俺はそこで言葉を切った。 赤い双眸をかっと見開く。 「死の覚悟が出来たのならな!」 何故、何故だ。 何故グランドリオンが…! カエルの憎しみの視線ばかりに気を取られていてその手に握られていた剣に目が行かなかった。 俺とした事が、何という失態だ。 ―在るはずがない。 剣は治す事が出来ようと、力を宿す事は出来ない筈。 俺の持つナイフは確かに力を持っている。 …何故…。 聖剣が身を切り裂く度に激痛が走る。 憎しみに縁取られた力は強い。 失う物が何も無いなら尚更だ。 それは俺が一番よく知っている。 防壁を張る。 完全な魔力を俺が誇っていれば全ての攻撃を防ぐ事はたやすかっただろう。 しかし、今の俺は一日程術を唱え続けた事で魔力に欠陥が現れた。 そして、目を疑った。 防壁の弱点をつき、赤い髪の少年が放った雷が身体を包む。 …魔法!? カエルまで魔法を使っていた。 何故古代の力をこいつらが? 失われた力を…。 防壁を変える際に放出される力を利用し、俺の放った炎の魔法が奴等を襲った。 「クロノ!ルッカ!」 カエルが膝をついた二人の名を叫ぶ。 クロノと呼ばれた少年は剣を支えにして立ち上がった。 そして回復道具を使い自らの傷を癒した。 ルッカと呼ばれた少女もそれに習う。 …小癪な。 何故人間というものは身体の傷を癒す為に攻撃の手を緩めてまで道具というものを使うのだろう。 立ちはだかる敵を全て倒してしまえばそのような事をする必要も無いと言うのに。 連続的に攻撃を仕掛け、相手の体力を奪う。 その刹那、暗がりがキラリと光った。 ハッと息を飲み、身体を捻る。 一寸先の虚空を聖剣が切り裂いた。 翻したマントが聖剣に纏わりつき、威力を弱める。 だが、マントを切り裂いた剣の切っ先が俺の左腕をえぐった。 深傷を与えられなかったカエルがチッと舌打ちをし、飛び図去る。 滴を右手で押さえながら俺は不意に全ての防壁を解いた。 一瞬驚いたように目を見開いた侵入者どもが一斉に武器での攻撃を開始してきた。 辛うじて避けながら俺はある魔法を唱え続けた。 カエルとクロノの連携技を大鎌で弾き、相手がバランスを崩したところで俺は魔力を解放した。 闇と光がぶつかり合い、その衝撃で侵入者どもが倒れ伏す…筈だった。 クロノとルッカは後方で肩で息をしていた。 だが、生きていた。 …そして。 間合いを計った、カエルが飛び出して来るのが見えた。 防ごうと鎌を構えた。 しかし、凪ぎ払うかに見えたカエルは急に構えを変えた。 攻撃に対応仕切れずに剣を流そうと鎌を当てる。 だが完璧に反らさせることは出来なかった。 渾身の一撃が俺の脇腹を突く。外傷的な痛みと傷から流れ込んだ力が俺の身体を弱らせた。 「くっ…貴様等、グランドリオンをそこまで…!」 その時、ぷつりと何かが切れる音がした。 咆哮が轟いた。 幻聴か? いや、そんな事はどうでも良い。 まさか!? 五感を研ぎ澄ませると魔法陣の保護魔法が切れつつあるのがわかった。 「こ、これは!?」 「ラヴォスってやつか!?」 異変に気付いた侵入者が声をあげる。 「まずい。今、眠りから覚められては……」 今の俺の僅かな力では奴に戦いを挑む事さえ叶わないだろう。 脇腹の痛みをも忘れ、呟きを漏らす。 「眠りって!?あんたが作ったんじゃないの!?」 侵入者のあまりの無知さに怒ると言うより呆れた。 …俺がラヴォスを作った、だと? どう解釈すればそのような答えが出るのだ。 俺は激昂した。 「愚か者どもが!私は呼び出したにすぎん!あれは太古の時より地中深く存在し、この大地の力を吸いながらゆっくりと成長を続けているのだ!」 「じゃあ、この時代に生まれたわけじゃ……」 その刹那。 地面が揺れた。 揺れた…? 否、空間が歪んだ。 浮遊感に包まれた俺は敗北を悟った。 「ゲ、ゲート!?それも巨大な……!」 こいつらはタイムゲートを知っているのか? ならば説明がつく。 力を戻した聖剣。 失われた筈の魔力。 そこまで考えたところで思考が硬直した。 ぱっくりと開いた歪みが視界を覆う。 「おのれ、貴様達さえ現れなければ……!」 最後まで言葉を紡げないまま青い歪みに身を投げ出された。 また…繰返しだ。時の闇の輪廻に飲み込まれてしまう。 その時、ラヴォスの咆哮を耳にした。 声の響いてきた方向に目をやるとそこにはラヴォスの影がはっきりと映っていた。 これは俺の幻覚か? それとも記憶? だがその影を見た瞬間から俺の中が熱くたぎった。 俺は鋭くその影を睨みつけた。 「俺の手でお前を必ず殺してやる…!必ず!」 時空の狭間に悲痛と憎しみに満ちた声が木霊した。 ◇+----*†*----+◇ ――風が強く吹き付けている。 その冷たさに俺は目を開けた。 「ぐっ」 動こうとした途端、赤い血が純白の大地に染みていく。 あっという間に俺の周りは赤で染まった。 だが、死の恐怖は感じなかった。 自暴自棄になっていたわけではない。 実質手で押さえ続けていた血は止まりかけている。 …魔族の身体は人間とは違う。 だが、流石に今回は魔族といえども苦痛を訴えていた。 身体の節々が痛む。 寒さが切り傷に凍みる。 その痛みと共に敗北の記憶が蘇る。 …今までやって来た事は全て無に還った。 呆然としていたが切り付けるような寒さで我に返る。 …此所に居続けるのはあまり得策では無いな。 俺はフラフラと立ち上がった。 立ち上がった途端目の前が赤くチカチカと点滅したが、気にならなかった。 やっとここで違和感に気付く。 赤さが消えたこの世界は雪が吹き荒んでいた。 大地が血で赤く染まったのも、厚く積もった雪が原因だ。 いや、問題は其処ではない。 …此所は…。 何故か懐かしい。 思い出せそうで思い出せない。 一際強く風が吹いた。 雲の切れ間から一瞬何かが見えた。 身体を電流が駆け抜けたような感覚に陥る。 足の力が抜け、地面に膝をつく。 その『何か』が見えたのは一瞬だったが、その映像は網膜に焼き付いたかのように離れない。 辺りを見渡せば、白い大地に文明の象徴とされるような建物がそびえ立っていた。 断片的だった記憶が急速に結び付いていく。 白い雪、天と地、天空に浮かぶ大陸、そして― ある人物の顔が浮かぶ。 …姉上。女王。 信じ難い。 まさか、まさかこの世界に帰ってくる日が来ようとは。 …この世界の時間軸は何時なのだろうか。 まだ、間に合うかも知れぬ…。 希望という、俺に似つかわしく無い光が見えた。 俺は躊躇わずに天へと伸びる建物へと足を向けた…。 ◇+----*†*----+◇ 「大丈夫ですか?」 「…此処は」 寝台に横たわっていた俺は目を見開き、身体を起こした。 「ジール宮殿です。傷は止血しておきました。貴方は宮殿に入って来た途端お倒れになられましたが…何かあったのですか?」 女が声をかけてきた。 見覚えがある顔だ。 そこでピンときた。 サラの侍女だ。 …確か、名は…。 宮殿と聞いて、辺りを見渡す。 …確かに、宮殿だ。 何も変わっていない。 調度品の位置も、空の色も。 当たり前か…。 「もう、海底神殿は完成したのか…?」 もし、海底神殿が完成したのなら、全て手遅れだ。 「…いえ、海底神殿はまだ建設途中です。完成まで、あと一月はかかるかと…」 「そうか」 俺は安堵の息を吐いた。 「あの…それで、貴方は一体…」 訝しげに侍女がこちらを見る。 言葉を選びつつ答えた。 「私は…『予言者』。ジールの過去を知り、未来を見通す事が出来る…女王にお会いしたい」 「…未来を?そんな事出来るはずがありませんわ。女王様ですら…」 ハッと侍女が息を呑んだ。 誰も居ないことを確認してから小声で続けた。 「女王様ですら、出来ませんのに」 信じようとしない侍女に俺は淀み無く喋った。 「そんなことはありません。例えば…」 侍女の瞳を真っ直ぐに見つめる。 「貴女の名はファロン。サラ王女付きの侍女で幼い頃両親を無くし、この宮殿へ転がり込んだ。…違いますか?」 仰天したかのように侍女が目を見開く。 「な…何故?」 「私の力は偽りではないということだ。もう一度言う…女王に、お会いしたい」 話していても、時間の無駄だ。 そう思い、先程の言葉を繰り返した。 今度は侍女も黙り込み、暫く後に怖ず怖ずと声を出した。 「…私からは言い出せませんので正式に謁見を求めて下さい。それと…」 ちらり、と俺の服を見遣った。 「所々傷んでいますのでそちらに置いてある服を召して下さい」 と言って寝台に置いてある服を示した。 「…解った」 そう言うと侍女は軽く一礼して部屋を出ていった。 …女王に会う。 俺は短く溜息をついた。 俺には昔の面影は全くと言っていい程残っていない。 まず気付かれる可能性は無いだろう。 だいたい今の女王がそんな事を考えるわけがない。 ふと思いたち、ずっと身につけていた青の石…サラから貰ったお守りをみやった。 サラがこれを見れば気付かれる可能性もある。 俺は暫く考えた後、今着ている服の血糊や汚れ、綻びを魔法で直していった。 サラのお守りは腰につけたまま用意されていた紺と紫で染められたローブを身に纏う。 そしてフードを被った。 …予言者とはよく言った物だ。 だがそれならば完全に女王の期待に応える事は出来るだろう。 俺はふと、窓の外を見た。 碧空に沈みかけた太陽と淡い月が見えた。 戻ってきた…。 何度もやり直したいと願ったあの時間に。 まさかこのような形で願いが叶うとは…。 失った物は大きいが、得た物も大きい。 ラヴォスを倒す為の策略をまた練り直さなくては。 考えに耽っていた俺は鳴き声で顔を上げた。 「にゃあう!」 驚きながら紫色のその猫をじっと見つめる。 …アルファド。 俺が解るのか? だが、俺はもう昔とは違う。 「…戻れ」 「?」 足元に擦り寄ってくるアルファドをそっと持つ。 アルファドは嬉しそうにごろごろと喉を鳴らしている。 思わず頭を撫でそうになった手を静止させる。 静かに薄く開いた扉の隙間からアルファドを逃がす。 「…飼い主の元へ戻れ」 扉を閉める。 妙な淋しさに襲われた。 淋しい等という感情は当の昔に捨て置いたと思ったのだが…。 俺は先程感じた感情を振り払おうと、頭を振った。 廊下に響いた猫の鳴き声が、虚しく耳に届いた…。 ←章一覧┃←Menu┃←Top |