7.記憶




―あの時から、俺の時計は進まない…。


漆黒の闇に赤い光が射す。
「ついに…完成した」
震えつつも歓喜に満ちた声が響く。
長い、長い吐息が漏れた。
それは紅く光り輝いている。
美しい…。
大地の与えた命を吸ってナイフは獲物を今か今かと待ち構えているようだ。
その刃を奴の血で濡らす…。
俺は身震いした。
刃に触れぬよう注意しながら、柄を握る。
純度の高い古代の魔力と命の力を混ぜた刃。
魔の力で構成された柄。
二つの力はある境界線を隔て、完全に分離されている。
古代の力を俺は手にする事はできない。
「…己の宿していた力が害となる日が来ようとはな」
張った声は鋭く、哀しげに響く。
…しかしそんなことは匙だ。
ようやく、ラヴォスを倒す為の物が長い年月を経て完成した。
だが…今考えれば、まるでナイフを作りはじめたのが昨日の様に感じられる。
それ程、俺の周りは変わっていない。
魔族の身体はある一定の段階まで成長を早めると、その成長を止めるらしい。
その所為か、俺の身体は殆ど変わっていない。
戦乱も続いたままだ。
何故、人間がこれ程までに生きながらえているのか。
答えは簡単だ。
俺が直接手を加える事は、森を火の海に変えた時以来、全くしていない。
人間の力を一気に消滅させてしまえば、ナイフに取り込む前に消えてしまう力も大きかったからだ。
…餌とする大地に人間がいなければ哀しみは生まれぬ。
俺は此処をラヴォスが興味を示さない大地に育てるつもりは無かった。
……全て、上手く行っている。
このまま何も起こらねば、な。
俺は剣を鞘に収め、椅子に腰掛けた。
激しい疲労感と満足感が、身体を支配している。
「…長かった…」
声は、静かに、厳かに響いた。
記憶が蘇る…。
 
パタパタと音を立てて、僕は走った。
「母様!姉上!」
ようやく二人の姿を見つけて声をかけると二人共綻んだように笑顔になった。
「何をしておるのじゃ?ジャキ。今日はお前の誕生日祝いじゃ。…主役がいなくては宴席が始まらんぞ」
微笑みながら母様が僕の顔を覗き込む。
姉上も楽しそうに言葉を続ける。
「さあ、行きましょう。みんな待ってるわ」
差し延べられた二人の手。
「うん!」
僕はそれをゆっくりと掴んだ…。
とても、幸せだった。

本当にこれは俺の記憶なのか?
そうだとしたら…。
何時、歪んだんだ?
俺の時間は。

「母様」
「…なんじゃ?」
けだるげに母様がこっちを向く。
「顔色が悪いよ…?大丈夫?」
「…永遠の命を手にする事が出来れば疲労など感じなくなるのじゃ。それまで、今しばらくの辛抱…」
「永遠の…命?」
意味がよくわからない。
「なに?それ…」
僕が尋ねると母様が突然、読み耽っていた書物から目を上げた。
僕に向き直った母様は真っ直ぐに僕の眼を見つめている。
血の気が無い顔に、眼だけが爛々と光っていた。
何故か軽く後ずさってしまう自分がいた。
「わらわは夢を見たのじゃ。永遠の命と、赤い星の夢。…永遠の命とは、ラヴォスというエネルギーの力を身体に宿す事。簡単に言えば、ずっと死なず、ずっと疲れない…。…そのような力、ジャキも欲しいと思わぬか?」
言葉に詰まる。
だって、そんな物より母様と姉上が居てくれれば僕は良かったから…。
でも、母様が永遠の命を欲しがってるならそれを要らないなんて言っちゃいけない気がした。
「僕、には…よくわからない」
嘘じゃない、でも。
その時、母様がとても残念そうな顔をしたから、僕は間違った事を言ってしまったんだろうかと心配になった。
「まあ、ジャキはまだ幼いから仕方ない事なのかもしれぬ。いずれ解る時が来よう…。そしてその時はわらわと共に素晴らしき国を作り上げるのじゃ…良いな?」
意味が解らなかったけど肯定の言葉を母様が求めてるのは解ったから、僕は頷いた。
それを見た母様は、笑った。
まるで…作り物みたいに。
するとすぐに机に向かいまた資料を読みはじめた。
早口に言葉が飛んでくる。
「さ、わらわは忙しく、仕事が残っている。お前はもう休め」
机に向かったまま母様が僕に言う。
「うん…お休みなさい」
妙に廊下が冷たかった…。

そう…。
そうして奴…女王は狂っていった。

「ジャキ!」
「か、母様?」
びくり、身体が震える。
「…探したぞ」
吃驚するほど低い声。
「お前、よくサラと共に地の民に会いに行っているそうだな」
「うん。だってつい最近まで…」
…最近まで、一緒に暮らしてた仲間だから。
そう言おうとして僕は言葉を飲み込んだ。
母様が僕を冷たく一瞥したからだ。
「お前は我が国の王子。力無き地の民などと関わってはならん。この事はサラにも言ってある…よいな?」
「…はい」
そうか、と女王は頷いた。
そして思い出したように眼だけで僕を見た。
「そうそう、もうすぐ魔神器が完成する。…さすれば、お前の力が必要になるじゃろう」
「僕の?」
僕は目をしばたいた。
「そうじゃ。まあ、今の所はサラの力で問題無いが…そのうち、な」
母様がにいと唇を三日月の形に吊り上げて笑った。
「そしてわらわは永遠の命を手にする…」
そこには僕の知っている母様の姿なんて微塵も無かった。
クリスタルがあしらわれた宮殿の壁に母様の悍ましい笑みが映った。
…何、これ。
こんなの母様じゃない。
母様は優しかった。そう、女王になる前は。
こんな奴…母様なんかじゃない!
その刹那、冷たい風が吹いた。


◇+----*†*----+◇


黒い風が泣いている…。
闇で塗り潰された空間に仄暗い火が灯る。
指先から発している魔力が青く筋を描き魔法陣を書き上げていった。
その光が一瞬陰ったかと思った瞬間。
精巧に作られた魔法陣がまばゆい光を放ち、『此処』に確定した。
余りにも明るすぎる光に一瞬眼を細める。
発光が収まっていくのをじっと見つめながら俺は呟いた。
「…あと、少し…」
後は…。
呼び出すだけ…。
先程の満足感とは違う震えが走る。
…幼き時に立てた誓いをようやく果たすことが出来るのだ。
これ程の喜びは無い筈だ。
何かを振り切るかのように頭を振る。
もう、迷いは無い。
―ラヴォス。
俺は誓った。
あの日、あの時、あの場所で。
お前は、俺の手で……殺してやると。
その為なら、何だって厭いはせん。
必ず、貴様に勝利する。
待っていろ…!
その時は確実に近づいている。
 ―咆哮。
「姉上…ッ!」
手を伸ばす。
届かない。
消えゆく視界の中、目の端に捕らえたのはラヴォスだった。
憎悪と哀しみが膨れ上がる。
憎しみは…人を駆り立てる。
 熱い。
身体の奥が燃えるようだ。
なんとも不思議な響きを持った呟きが漆黒の闇に包まれた部屋の中に反響する。
魔法陣は段々と光を帯びていく。
既に術は半分を唱え終わった。
その時。
「魔王様!」
ビネガーが部屋へと入ってきた。
俺は出ていけと言うように視線を向けた。
「侵入者です!」
…何?
俺は中断の術をかけ、ビネガーに真偽を確かめた。
「…誰だ?その命知らずは」
…よりによってこのような時に…!
「マヨネーの報告によりますと、侵入者三人組で、そのうちの一人は…」
言い吃るビネガーに俺は先を促した。
「…魔王様が制裁を加えた、カエルでございます」
…生きていたのか。
やはり、殺しておくべきだったのだ。
俺は初めて自らの行いを悔いた。
友を殺された敵打ち、というわけか。
「…お前らで始末しろ」
「はい!」
ビネガーが退室した。
俺は中断の術を解き、ラヴォスを呼び出す事に専念した。
だが脳裏を先程の言葉が掠める。
精神を集中させ、魔王城の内部の魔力の動きを探った。
何故か、マヨネーの魔力が感じられない。
…敗れたか。
カエルはともかくとして、あと二人は誰なのだ?
この世界に俺の存在を脅かす者などそう居るはずは無いのだが。
何時も戦いの前に感じる高揚感が生じた。
だが今回は。
同時に哀しみに満ちた風の鳴る音が聞こえた。
…黒い風…。
不吉な。
だが俺はもう止める事はできない。
…止めるつもりも無いが。
俺はまた術に没頭した。

時折囁くように泣く風の音を聞きながら…。



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