4.真紅の瞳




月光が降り注ぐいつもの夜。
俺は寝所に身を横たえ目を閉じた。
…自分の体は魔族になりつつある。
それは自分で自覚していた。
眠れぬ夜。
変わり果てた造形。
冷酷な心。
…そして、強力な魔力と身体。
それを俺は望んだ。
目的の…いや、ラヴォスを倒す為に。
魔族になれば強大なる魔力を扱う事のできる器が手に入ると、ラヴォスを倒す方法も探し出せるかもしれぬと思った。
走馬灯のように古代での日々が蘇る。
あの日、あの時、俺は…笑っていた。
今の俺には不必要な記憶だ。
…俺は目を開き、ビネガーの館に大量に安置されていた文献の一部を手に取った。
様々な魔法について書かれている。
ペラペラとページをめくっていると、封印の施されたページがあった。
魔法陣がページ一面を覆い尽くし、淡く赤い光を放っている。
あの、古代の封印だ。
何故、これがこのような所に?
怪訝に思った俺はいつも腰に付けている装身具を手に取った。
青い石が月の光を受けてキラキラと反射している。
まだ力を帯びているのがその輝きから見て取れた。
…サラのペンダントと同じ石。
サラのペンダントを封印の扉に翳し、サラが祈れば、その封印は解かれるという。
…この石にはサラの力が込められている。
この石でも事足りるだろう。
石を封印された本に翳すと一瞬発光した後、魔法陣が解かれた。
そこに記されていたのは禁断の冥魔法だった。
DARK…ダークマターか…。
逃れ難い闇と相反する白い闇を混沌と混ぜ、敵を打ち払う。
俺は文字を解読し、頭に入れた。
…俺に相応しい術だ。
後に身につけるとしよう。
俺は本を閉じ、また考えに耽った。
…ラヴォスを呼び出す方法はまだ見つかっていない。
しかし、多種の魔法を組み合わせる事できっと道はある筈だ。
魔王城の最深部にはラヴォスを呼び出す部屋を作らせた。
しかし、まだその時ではない。
…全てはこれから。
 今までで分かっている事は、ラヴォスが人…この星の、命の力と哀しみを糧としているという事のみ。
長い、長い時を経て、力を蓄え続ける。
ラヴォスを呼び出す…。
その為に、この大地を血に染めて見せよう。
この大地を餌として、俺の魔力で奴を滅ぼすのだ…。
俺に奴を倒す力があるかは分からぬが、強大な魔力があれば不可能では無かろう。
……死地と化した大地が生まれようと構わない。
人間の殆どが死に絶えた所で生き残りが子を作り、新たな世界が生まれるだけだ。
星の命の為には、多大に見えるようで微少な犠牲は致し方ない。
……星の命の為?
笑わせる。
俺がそのような事を思う日が来るとはな。
俺が動いているのは、星の為などではない。
ラヴォスが憎い、それだけだ。
人を殺すのは、ただそれ程の命の力がなくては、ラヴォスを呼び起こすのは無理だろうというだけの事。
それに、俺はもう人では無い。
魔族だ、魔王だ。
…その瞬間、何故か焼け焦げた死体の情景が瞼の裏に浮かんだ。
あの時、俺はラヴォスを倒すと決意した。
しかし、痛みは残っていた。
時折、胸の奥に差し込みがくる。
今がその時だった。
蘇る痛みと共に、篭った音…声が頭に響いた。
―本当にそんなこと出来るのか?
―全て無駄な努力ではないのか?
―そもそもお前の魔力で足りるのか?
―もっと、もっと力を欲せ…。
…ああ、そうだ。
俺には力が必要だ。
奴を滅ぼせる程の。
たとえ…その為に…。
ふと見やったステンドグラスに自分の眼が写った。
真紅の瞳をした怪物がこちらをじっと見つめていた。
魔族の眼は…邪眼だ。
何時でも鋭く、暗い光を放つ。
しかし、そこに写っていたのは。
力を欲する、ジールのような飢えた眼。
「――っ!」
悪寒に身体を起こし、頭を振る。
声は俺を苦しめるかのように反響し、共鳴しあった。
思わず腰に挿して置いた短剣を振りあげ、足を刺した。
噴き出した血と共に、声がぷつりと消える。
…この声が消える日までは俺はまだ未熟だということだろうか…。
肩で息をしながら枕元に置かれた水差しに手を伸ばす。
水差し、という名の血の器だ。
並々と魔族の血が注がれている。
俺は血を杯に移し、躊躇い無くそれを飲み干した。
魔族の治癒力は高く、些細な傷などすぐに塞がる。
俺は杯に血を継ぎ足しながら自らに言い聞かせた。
…迷うな、振り返るな、目的だけを見据ていろ。
でなければ、俺まで力に狂ってしまう。
俺は狂う訳にはいかぬ、力を利用しラヴォスを倒すと決めたのだ。
何があろうと俺は諦めん、奴を黒き風の中に葬るまでは。
ラヴォス…。
お前が、憎い…。
だが、お前を倒して、何かが変わるのか?
…解る事の無き問いだ…。
俺は夜空に向かい自らを嘲笑した。
…何があろうとお前を葬る。
そう決めた。
これからも変わらぬ願いだ。
大きく丸い月が世界を照らす。
…月。
唯一古代で見た物と同じ物。
あの日、俺が飛ばされた後…無事だったのだろうか。
―サラ…いや、姉上。
月光が黒き城を照らす。
その時、扉が叩かれた。
争いの始まりを告げる声。
愚かな…。
…愚かしさは人の性でもあるがな。
だが我が計画を邪魔する奴は全て消すまでの事。
…よかろう。我がこの手で葬り去ってくれる…!
俺は思い出を振り払うかのように緋色のマントを翻し、歩き始めた。
漆黒の闇を携えて。

…俺に安息の日が来る事はない…。



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