3.変貌




痛い。苦しい。
身体がねじれていくのが分かる。
「…っ!姉上…!」
虚空に声が吸い込まれる。
気を失いそうになったその時、青くねじれていた空間が一気に開けた。
あまりの眩しさに目を細める。
さらさらと心地よい風が木々の間を通り抜けた。
「…ここ…は?あ、姉上…。サラ…ッ」
掠れた声で姉の名前を呼ぶが、返事は無い。
…いや、僕の求めていた声じゃないしわがれた声が響いた。
「な、ななな、なんじゃお前は?どこから沸いてきおった?」
僕は初めてその存在に気付き、ゆっくりと声のするほうを見た。
緑色の身体。つり上がった目、尖った耳としっぽ…。
驚きで目を白黒させているソレを見て僕は思ったことをそのまま呟いた。
「…醜い…」
すると、その怪物はギリギリと目の端をつり上げた。
「何だと!魔族の主に向かって失礼な…!」
…主?コイツが?
強がっていても、僕には分かる。
コイツは、僕より弱い。
でも、何で…?
「やっちまえ!」
怪物が叫ぶと森の茂みの中から三匹のこれもまた醜い怪物が現われた。
そいつらを見た途端。いや、そいつらが僕を攻撃しようと僕を見た途端。何かが僕の中ではじけとんだ。
溢れ出る魔力。
僕が、もう使えなくなってしまったと思っていた魔力が僕の身体を駆け巡った。
その流れに身を任せて踊るような所作で僕は僕の前に立ちはだかったモノ達を薙ぎ払った。
緑の怪物がおののいたように僕を見ている。
―コイツも僕の邪魔をするのか?
僕の中で眠っていた魔力が目覚めると共に今まで封じ込めていた何かも同時に目覚めてしまった。
憎悪、哀しみ、怒り。
押し込めて、封じ込めていた感情が堰を切ったように溢れ出す。
姉上と僕を自分の子供として見なくなってしまった母様が…母様の中に巣くったモノが、憎い。
母様を変えた…『ラヴォス』と言う存在が、憎い。
『ラヴォス』を倒せば昔の母様と姉上の人生を取り戻せる。
そのためなら、何を失ってもかまうものか。
幼き少年はそう心に誓った。
…そう、サラがジャキを守ると誓ったように。
僕の手の中に魔力が集中していく。
それを見た緑色の怪物があたふたと前に飛び出た。
「おおお、お待ち下さい!我等の神!仏!王!…魔王様!」
両手を地面につけ僕の前に這いつくばったその姿を見て僕は手の中で渦巻いていた魔力を消滅させた。
ホッと安堵の息をついた怪物が僕を尊敬の眼差しで僕を見つめている。
「魔王…?」
聞きなれない単語を聞いて反復する。
「さようです。わしよりも魔力の強い者など見たことがありませぬ!だから貴方は主を越えた王であり、即ち魔王様なのです!」
目をキラキラさせている怪物を見て僕は悟った。
…コイツ、バカだ。
でも、まあコイツはこの世界で主だったようだし、一応力と権力を持っているんだろう。…僕の役に立つこともあるかもしれない。
「僕を…魔王と言ったな」
「はい。もしも貴方が我等魔族のためにそのお力を振るっていただけるのならば、我等は貴方に従い、貴方の意のままに動きましょう」
僕にへつらうその姿を見て僕はコイツに力を貸す…コイツを利用する事にした。
コイツの言っている『我等』の数がどれほどかは知らないが自由に使える軍勢は持っておいて損は無い。
「…分かった。力を貸す。お前、名前は?」
「わし、いえ私はビネガーと申します。…我が館には外法剣士ソイソー、空魔導士マヨネーという私に次ぐ魔力を持った者が住んでおります。…貴方を我が館にお迎えしても?」
「ああ、かまわない。早く僕を連れて行け」
僕はビネガーに命令し、その後についていった。


◇+----*†*----+◇


月の光に、腰の鎖につないだ青い石がキラリと光る。
水銀に輝くの池の中にある僕…俺の風体は昔と随分と変わった。
月光しか浴びない俺の肌は青白く、青みがかった髪は長く伸びた。
魔族の血を飲んでいるからだろうか、耳は尖り、目は赤くなった。
後ろから物音が聞こえた。
「なんだ…ビネガー」
俺は後ろを振り向かずに尋ねた。
「魔王様…もうすぐ、もうすぐ貴方様の城が完成いたします」
「長かったな。もっと早く完成できると思っていたが」
五年もの歳月が掛かった事を俺は叱責した。
「で、ですが、王国軍の邪魔立てもありまして」
「王国軍…か。お前が前から邪魔だと言っていた奴等だな…」
「さようでございます。特に、騎士団長が曲者でして、我が軍に奇襲をかけてきたり、何かと…」
俺はビネガーを睨みつけて黙らせた。
「人間風情にお前達が手こずるとはな…マヨネーとソイソーで事足りていないのか」
「奮戦しているようですが、なかなか…」
もう、俺はビネガーの言葉など聞いていなかった。
…また俺の妨げとなるものが現われたか。
「ま、魔王様!?どちらへ?」
「もうそろそろ魔族に私の力を見せてやってもいいだろう。邪魔な王国軍も片付けてな」
おお、とビネガーが歓喜の声をあげる。
俺は血色のマントを翻し、漆黒の闇の中へと身を染めて歩き始めた。
「お待ち下さい魔王様〜〜っ」
遠くで何かが聞こえた気がした。


◇+----*†*----+◇


俺が付いたときは、一時の停戦状態となっていた。
様子をみて攻め込むつもりだろう。
「魔王様!?何故ここに?」
「魔王様―ッアタシ達を助けに来てくれたのヨネ?」
飛びついてこようとするマヨネーを避け、フ、と笑う。
「お前らが人間ごときに苦戦していると聞いてな。…戦況はどうだ?」
指揮をとっていたソイソーが口早に報告を始めた。
「王国軍の士気は低下しつつあります。しかし、まだ油断はなりません。あの森の影には100以上の兵がこちらを伺っています」
「ほう…ならばあの森ごと焼き払ってしまえば良い」
「…!?そんな魔力はとても…」
「私なら出来る」
俺は集まった醜い魔族たちを見渡した。
ここまで大勢の魔族を前にしたのは初めてだ。
「聞け。私はお前らの王。私はお前らと共に魔族の世界を築きあげる」
魔族の一団がどよめいた。
「見ろ。これが私の力だ」
俺は俺と森の間にいる魔族を全て退かせた。
身体の中から力がみなぎる。
久しぶりのこの感覚に俺は身体を奮わせた。
「…ファイガ」
魔法陣を描き宙を一閃した。
赤き魔法陣が炎となり、うねる大蛇のように森を焼き尽くした。
辺りが真っ赤に染まり、魔族の中から羨望の溜息が漏れた。
俺の魔力に焦がれているのだ。
この力に。
人を従わせるのには力を見せ付けるのが一番容易い。
自分より圧倒的に力が強い者にひれ伏す。
突然しわがれた笑い声が響いた。
「焼き尽くせ!愚かな力なき人間に裁きを与えるのじゃあっ!」
…どこから現われた?
ビネガーがいつの間にか現われ、人間の死体を踏みつけている。
ソイソーが人間の死体を骸に変えている。
マヨネーは造形の美しい騎士の死体をうっとりと眺めている。
人の情のあるものなら狂気の沙汰だと思うだろう。
散乱した焼け焦げた死体。操られた骸。
一瞬、ほんの一瞬だけ胸がキリリと痛んだ。
心の奥深き場所、人としての情。
だがこれもラヴォスを倒すためだ、と思った途端に痛みが消えた。
―何を迷うことがある。
俺は魔族だ。
俺は、どんな犠牲も厭わない。
「…虫ケラどもが」
俺は踵を返し、死体に背を向けた。


…俺はあの日、冷酷な『魔王』となった。



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