お屋敷の入り口をよく見ていればよかったと、今になって思う。
後悔していても意味が無いのは解っているけれど、やはり後悔してしまう。
まさか、わたしが奉公するお屋敷の当主様が、あの萬嘉亀秀さまだなんて……

「広海ちゃん! しっかりして。ここでは呆けてると叱られちゃうよ」
「あ、す、すみませんっ」

先輩の女中さんに叱られつつも、わたしの生活は始まった。
あの日から十日ほど経ったけど、まだ漆亀さまにはお目通りが叶っていない。
どうやら漆亀さまは色々と政務が忙しいらしく、あまり家で過ごすことはないらしい。
それは少し残念だけれども、でも、漆亀さまといつか逢える日が来るのではないかと心は弾んでいた。

「あ、広海さん!」
「膠亀さま。わたしのことは呼び捨てで」
「ダメです! 僕が呼びたいから広海さんって呼んでるんですから」
「……ありがとうございます」

漆亀さまの弟君、膠亀さまは齢十四にも関わらず、とてもしっかりしたお方だ。
漆亀さまには逢えないけれど、膠亀さまとは毎日お逢いできる。
しかも膠亀さまに気に入られたみたいで、いつもこうやって気さくに話しかけてくださるのだ。

「もしかして、今から道場の方へ?」
「そう! 早く竜王の称号を手に入れたいですから。……そうだ!」

膠亀様はわたしの着物の袖を掴むと、ぐいっと自身の方へ引っ張られた。
あ、危うく膠亀様の上に倒れるところだった……!

「あ、あの膠亀さま?」
「広海さんも来てくださいよ! 広海さんが来てくれたらやる気が出そうですし」
「え、でも」
「仕事なら大丈夫! 今日は僕の付き添いをすることにすればいいですから。ね?」

膠亀さまに可愛く訊かれてしまえば、わたしが断れる筈なんてなく、わたしは今日一日膠亀さまの付き添いになることになった。
膠亀さまと共に弓道場へ向かう。
道中、沢山のお話を膠亀さまとしたけれど、膠亀さまからあまり漆亀さまの話は出なかった。
十日いただけでも解る。
この兄弟は、あまり仲が良くない。
表向き、とても仲が良いように思えるけれど、それは多分膠亀さまが合わせているだけであって、漆亀さまはそれに気付いていらっしゃらない気がする。
……どうしたら、仲良くしてくださるだろうか?

「広海さん、僕が練習している間は暇かもしれませんが、あまり離れないでほしいです……」
「解りました。膠亀さまがお望みであるならば、広海はずっと膠亀さまを見ています」
「ありがとう!」

何故だか解らないけれど、膠亀さまには甘く接してしまう。
亀秀さまや漆亀さまが厳しい分、わたしが甘やかしてあげたいと思うのかもしれない。
これは、一種の母性本能だろうか?

膠亀さまが集中して弓を引いていらっしゃる中、近くで練習していた他の生徒の方々の話が耳に入った。

「おい、また高家の御方が練習しに来ていらっしゃる」
「本当だ。高家の御方がいらっしゃると近くに寄れないから練習場が減るな」
「まったくだ。おかげで困ってるっていうのに……早く竜王の称号を取ってもらいたいものだ」
「そうだな。そうすれば道場に来ることも少なくなるだろう」

一体、彼らは高家の方々をなんだと思っているのだろうか。
わたしは彼らの言葉に胸を痛める。
漆亀さまも、こうやって陰口を言われ続けているのだろうか?
……悲しい。

「広海さん! どうして泣いてるんですか!? もしかしてアイツらに何か言われたとか?」
「ち、違います。申し訳ありません、膠亀さま」

いつの間にか流れていた涙を拭って、わたしは笑った。
泣いているわたしを心配して、練習を中断してわざわざ駆け寄ってきてくださる膠亀さまは本当にお優しい。
どうしてこんなお優しい方々に対して、あんなことが言えるのだろうか。

「膠亀さま、広海はずっと膠亀さまの味方でございます」
「広海さん……」

無礼だとは思いながらも、わたしは膠亀さまの御手を握った。
膠亀さまの御手は、ずっと弓道をしているからか、肉刺が沢山出来ていた。
こんなに努力家の膠亀さま、わたしはずっと貴方様の味方です。

「広海さん、ありがとうございます。僕、凄く嬉しいです。ですから泣かないでください」
「はい……」

わたしはもう一度膠亀さまに笑いかけた。
膠亀さまも、わたしに笑い返してくださった。

この様子を、漆亀さまが見ていらっしゃるとは知らずに――




to be continued...

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