読書の途中、文庫を通し、彼を盗み見る。
私の膝に頭を乗せて、気が付くと体を丸めて寝ているこの男は、なんとも獣のようだといつも思う。

それならばどんなけだものに喩えようか。

髪の質感を思えば羊だが、その下に揃う両目が開けば、か弱いなどという言葉は似ても似つかない代物になる。それならばそちらを重視して獣王はどうだ。否、これもまた少し、慈郎の本質から遠ざかる気がする。

ああ、人を他の動物に喩えるということは、案外難しい思考なのだなあ。

くだらない物思いに耽った結果、自分の出した答えもまた、そのようなお粗末な開悟でありわたしは今、なんとも情けない心持で文庫を閉じて、慈郎の天パをもてあそんでいるけれど。


「つかさ…上目で空を見ながらブツブツぼやくのは怖いし…ついでに言えば…顔もひどい、C」


一体いつから起きていたのだろう。失礼すぎる文句にわたしは思わず固まる。そんな私を尻目に緊張しないでよ膝が硬くなるでしょ、などと呟く慈郎はいつも通り、今日も自分本位全開で生きている。


「…し、失礼じゃない?」
「……」
「…寝たふり?それとも本当にまた寝た?ねえジロー」
「…ねたふりだよ」
「や」
「や?」
「…優しいんだからジローは」
「は?」


だってそうでしょう。慈郎が寝たふりをしたということは、まずこの人は眠気眼とそれと同様の意識のなか、“こいつのぼんやりした顔まじでキモいな”と考え、“傷付けるかもしれないが忠告しておいたほうが後々のこいつの為だ”という推量を測り、しかし“言ってみたは良いがやっぱり傷付いているみたいだしそれを無視するのは男としてどうか”という良心の呵責に苛まれたことは必至で、そして聞こえないふりなど出来ず、“ねたふりだよ”という懺悔の返事に至ったとみてまず間違いないだろう。
しかし実際謝るにまで至れない彼を、わたしは愛おしいと思う。
今慈郎はわたしの膝の上で仰向けになり、めんどくせ、という顔で鼻の頭を掻いている。
その動作は彼特有の照れ隠しの態度なのである。


「…つかさ」
「……」
「つかさ!」
「…は、はい!」
「また向こう側飛んでたっしょ」
「む、向こう側っていうのは思考に走っていたという表現で間違いない?」
「まちがいないです」
「ああ、それならそうです。わたし向こう側にいたよ慈郎」
「俺といるときはやめてよ」
「ごめん、読後ってなんかぼおっとしちゃって」
「ヘンな女…」
「自分でも無意識なんだよ…」
「まずその文庫を置いてくれ」
「…あ、は、はい。置きました」
「俺といるときは、他によそ見しないでよ」
「は…」
「ね?お願いだから俺だけに集中してよ…」


さてどうすっかな。そう言った慈郎は依然眠たそうな目をしている。しているが瞬間、慈郎は何かを思いついたかの如く体を起こし、私の至近距離で胡坐を組んだ。そしてわたしの横で大人しくしていた、彼と同じ名の昔の人が綴った傑作をぶんと投げ捨てたのだ。それ、限定カバーのお気に入りなのに。


「チューでもしてさ、頭空っぽにすっか」
「は?!」
「うん」
「いやうんて」
「ままま、いいからいいから」
「え?ちょ、じろ」


なにを言い出すんですか。そんなわたしの問いを、はさむ暇さえ与えず慈郎は嬉々とした顔で語り出す。

な?いい考えっしょ。おまえの考えすぎな脳みそを、双方得をする形で俺が止めてやる。爆発でもされたら悲しいしね。ほら、一応俺おまえの彼氏だし。そのためにはまず目を瞑れ。おまえの好きな小説の台詞によれば、視覚から入る情報が、一番脳に染みやすいんだろ?


「ん…!」


一気に畳み掛けるように喋くり倒した慈郎はわたしの返事を待たず、わたしの首に腕を回しキスを施し始める。すると。
咄嗟に目を閉じれば本当だ。
わたしの脳みそは考えることを止めた。


そしてこの数十秒間が、わたしの行き過ぎた読書癖を救った、ファーストキスと相成ったのである。


彼氏の彼氏による彼女のための
撲滅文学少女計画