髪を梳くと彼は怪訝そうに整った眉にしわを寄せた。気にせず今度はその頬に両手を添える。彼は眼を大きく見開く。


「橘…さん?」
「うん」
「…何してるん?」
「嫌がらないのね」
「まあ、驚きが勝ってしまってるからなあ」
「嫌?」
「まあ、嫌っちゅうか」
「困る?」
「そう、困る」
「…ふうん」
「俺は君たち女子が思うほど、経験豊富でもなんでもないんよ」


だからあんまり、挑発せんといて。ごめんな見かけ倒しで。そう言って今度は眉をハノ字にして、わたしの変質的行動の餌食となった君がわたしの代わりにわたしの非礼を詫びた。ひどく混乱する。何故忍足君が謝るのだ?天井知らずの自己犠牲?どうしてそんなに大人びてるの。全く、本当にわたしと彼の差は雲泥である。わたしにできることは見上げるだけ、わたしは彼の足もとに這い蹲ることすらできない小さな蟻だ。


「ごめんなさい」
「ええ?」
「…変な事して」
「はは、なんやねん自分、急に真面目か」
「元々真面目です」
「さよか」
「わたしって変?」
「大胆な子やという感想に尽きるな」
「そっか…」
「さっきの、あんまいろんな奴にやらんほうがええで。学生ネットワークは光より早いぞ、きっと」
「…忍足くんにだからしたんだよ」
「恐縮です」
「…どういたしまして」
「優等生の意外性を見れて、楽しかったっちゃあ楽しかったかな」


ほな、俺は今日予備校やから。そう言って忍足くんは席から立ち上がる。彼はこの氷帝学園において天才の名を欲しいままにし、テニスでも勉強でも見事それに該当するほどの立派な成績を収めている。わたしからすれば神さまのような人だ。学生ヒエラルキーの天辺の彼と、下から3番目の層辺りで同じ人種と溶け合ってしまっているわたしとでは、決して混じり合うことなど。生まれ変わったって有り得ないだろうけど。


「橘」
「…なに?」


教室のドアをまたぐすこし前。忍足くんは羞恥と自責から本当に蟻のように縮んでしまったわたしに声をかけてくれる。重たげな黒髪が彼の綺麗な顔の半分を守るように隠している。人はそれを彼の唯一の欠点であるかのように否定するが、しかしわたしの目には整った容姿より、まるで自己防衛をしているかのように頑なな黒髪のほうがよっぽど、忍足くんの魅力であると常々思っている。


「自分と俺は似た者同士なんかなあ」
「…え?」
「え?」
「ど、どうして」


忍足くんは返事をしなかった。わたしの問いに対し少し考えるような素振りをして、一人小さな笑い声をたて、また明日。その一言だけを残しわたしの前から姿を消した。意味深な言葉だけを残し去っていくなんて行儀が悪いと思う。でも、彼のその優しい同類項はわたしを蟻から人間に戻し、崩れかけた自尊心と恋心を蘇らせてくれた。


明日は不意に迫ったりせず、大好きな彼におはようと声をかけてみようと思う。


偲ぶ泥が胸焦がす雲











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