今日は火曜日だ。家を出る足取りがほんの少しだけ重い。火曜日といえば、あの日白石くんと朝下駄箱で出会った時のことを思い出してしまう。白石くんのことが好きなんだと実感してから初めて話した日。そして、白石くんが私に、好きな人がいるなら協力すると言ってくれた日。やっぱりあの時からすべてが変わってしまった。いや、私が変えてしまった。白石くんにそう言われたことが思いがけずものすごくショックで、よそよそしい態度をとってしまって。そんな私の雰囲気を察知したらしい白石くんは、私に必要以上になれなれしくしたりすることは一切なかった。そんなの分かり切ってたことだ。だって白石くんだもん。周りの空気や人の気持ちを察することに長けていて、それでいてとても優しい。私がまるで拒絶するようにしてしまった返事から察して、これ以上踏み込まないようにと気を使ってくれているに違いなかった。その証拠に、あれから私は忍足くんとは普通にいつも通り雑談するのに、白石くんとは必要最低限の挨拶くらいしか交わしてない。挨拶してくれるだけでもう充分ありがたいのかも。白石くんに限って絶対そんなことはないだろうけど、もしも存在ごと無視されてしまったらきっと私の心は耐えられずにぽっきり折れていただろう。ちょっと近づけて嬉しいと思ったのに、自分から遠ざけて悲しくなるなんて、何をやってるんだろう、私は。



「おはようさん」
「おはよう」
「今日も委員会かーめんどいなー」
「あんまり長引かないといいね」


幸か不幸か、今日は下駄箱で白石くんに遭遇しなくて済んだ。好きな人に会えなくてほっとするのも変な話だ。でも、あの日みたいにまたぎこちなくなってしまったら、もうきっと耐えられない。素早く靴を履き替えて小走りで教室に入ったら、白石くんはまだ来ていないみたいでほっとしてしまった自分に気づいてまた少し悲しくなる。そんな私の心情なんて一切知らない隣の席の男の子が、いつもみたいに声をかけてきた。委員会が一緒だから会話も多くて、気が付けばチャイムが鳴るまでずっと話し込んでいた。担任の先生が入ってきた瞬間に、いつの間にか席についていたらしい白石くんがちらりと視界の端に映って、いつもと変わらないその姿にまた胸がちょっとだけ騒ぐ。そうやっていつも、まだ私は白石くんのことが好きなんだって思い知らされている。


せめて謝らなくちゃ、ってずっと思っていた。だけどどうやって謝るの?せっかく申し出てくれたのにそっけない態度とってしまってごめんね。って?白石くんからしてみたら別になんてことないことかもしれない。なんでそんなこと今更謝るんやろとか、そんなひどいことはきっと白石くんは言わないと思うけど、だから何?と思わせてしまうことも否めないのは確実だと思う。だからまた私と普通に接したりお喋りしてください、っていうのもまた変な話だ。だってそんなの、白石くんと仲良くしたいっていうのが見え見えじゃないか。白石くんは女の子からの積極的な好意が苦手だって風の噂で聞いた。迷惑だって思われたら本当に立ち直れない。それに普通に恥ずかしすぎる。そんなことを思いながらずっと、ちっとも前に進めないまま、今日もぐるぐると頭を悩ませていた。





「くっそーまた居残りかー」
「もうちょっとで終わりだから頑張ろう」


放課後になって、案の定私は教室で居残りをしていた。委員会の資料作りを担った私たちは、膨大な量のプリントをひたすらホチキスで留める作業をしていた。部活に行きたいらしい隣の席の男の子は、さっきから文句を言いながらも投げだすことなく作業を続けてくれている。本当は今すぐにでも部活に行きたいだろう。私は帰宅部だけど、この間テニス部の見学に行ったからその気持ちは痛いほど分かるし、何より思いっきり部活に打ち込む男の子はかっこいい。…ほら、こうやってまた私、気づけば白石くんのことを思い出してる。そんな煩悩を振り払うように、私は隣にいる彼に笑顔を向けた。


「あとちょっとだし、残りは私がやっておくから部活行っていいよ」
「もうここまで来たら一緒やし。最後までやるわ」
「本当にいいのに…」
「あ、せやったら一個相談乗ってくれへん?」


作業ついでに、と言った彼に頷いて相槌を打つ。もともと同じ委員会のよしみでよく話す仲ではあったけれど、隣の席になってから本当にいろんな話をするようになった良い友人だと思っている。そんな彼が相談だというから聞かないわけにはいかなかった。


「もちろん。私でよかったら聞くよ」
「ほんま!?助かるわ。あんな、名字といっちゃん仲良いあの子おるやん」
「うん」
「俺、小学校の時からずっと好きやねん」
「えっ、本当に?」


そんなこと全く知らなかった。私はあの子とは中学に入ってから出会ったけれど、確かに彼とあの子は小学校のころからの同級生らしかった。私を挟んで三人でもよく話したりもするけれど、二人の会話はいつだって軽口のたたき合いというか、からかい合いというか、恋愛感情のれの字も見えないものだったし、それになにより私は彼女にまつわる決定的な事実を知っている。それはきっと彼も同じだろう。


「でもあの子、財前くんのこと、」
「せやねん!!せやから頭抱えてんねん!なんで急に生意気な後輩君のケツ追っかけとるんや!俺とは小学校んときからずっと一緒やのに!」


まあ確かに、目の前の彼と財前くんとは随分系統が違うとは思う。それに友人の財前くんへの態度は完全にミーハーな追っかけだと思うけど…先日テニス部を見学に行った時の熱狂ぶりからは、どちらとも判断がつかなかった。


「この間数えてみたらな、かれこれ6年好きなんやけど、いい加減なんとかせなあかんと思ってさ…せやから名字、ほんのちょっとでええから協力してくれへん?な、頼むわ!」
「え!?う、うん…そりゃ喜んで!って言いたいけど…」
「ほんまのほんまに財前後輩が好きでしたーとかならキッパリ諦めるからええねん」


遠くを見ながらははっと乾いたように笑いながら言う彼に、単純にすごいなぁという気持ちがじわじわ湧き上がってくる。私だったら。好きな人が別の人を好きかもしれないのに、それでも頑張って思いを貫こうとか、思いを伝えようなんてきっと思えない。そう、例えば白石くんに好きな人がいたとしたら、私は絶対に告白することもなく黙ってこの気持ちを封じ込めるだろうと思う。優しく笑って断る彼の申し訳なさそうな笑顔を見たくないとか、そういう綺麗な思いだけじゃない。ただ自分が傷つきたくないから。たとえ白石くんに好きな子がいなかったとしても、告白しようなんてそんなこと考えもしない。だってきっと成就なんかしないのに、それでもって当たって砕けられるほど強くなんかない。


「…すごいなあ」
「なにが?」
「私はそんな風に相手のこと想えないなって思って」
「名字、好きなやつおるんや」
「えっ!?い、いや、そういうんじゃ」
「ばればれやって!完全に恋する乙女の顔しとったで!誰?あ、白石あたりか」
「!?」
「…あれ。当たってしもた?」


もしかして、いつのまにかそんなに分かりやすく好き好きオーラを出していたんだろうか。途端に顔が赤くなって完全に言葉を失ったせいで、もうちっとも言い逃れできなくなってしまった。そんな私の様子を見て可笑しそうに笑った彼は、「いや、はたから見てバレバレとか、そういうんやないで!カマかけたら当たってしもただけやし」そ、そうなんだ。それならよかったと単純に思うことにしよう。それに彼にばれてしまったところで、私も彼の好きな人を知っているんだから何となくイーブンな気もする。それに、誰かに白石くんのことが好きだって言ったことがなかったから、気恥ずかしいような照れくさいような、だけど、誰かに言ったことで自分の中の白石くんへの気持ちが再確認されたような、そんなむず痒いような気持ちになる。


「いやーまさかとは思うたけど白石かー倍率高いなー」
「そ、そうだよねやっぱり…でも、別に告白しようとか思ってないから」
「なんで?もしかして、白石に好きなやつがおるっていうの気にしとるん?」
「…えっ」


それは、本日何度目かもわからないけれど間違いなく一番の晴天の霹靂だった。…すまん、知らんかった?とバツが悪いように言う彼の言葉が遠くに聞こえる。「いや、最近聞いた噂なんやけど。白石がかなりご執心の女の子がおるって話」白石くんが色んな女の子に好かれてるのは充分に分かってたし、さっき、もし白石くんに好きな女の子がいたとしたら〜なんて仮定もしていたけれど、実際、本当に白石くんに好きな子がいるかもしれないだなんて、これっぽっちも考えてなかった。白石くんには好きな女の子がいる。それも、ものすごく好きらしい女の子が。どくん、と心臓の音が大きく聞こえる。…いやいや、だから何だっていうの。もともと告白するつもりだって少しもなかったくせに。それに今日ここで彼から聞かなくても、いつかは耳に入ったことだ。いつもみたいに、普通の友達みたいにまた話せるようになれればいいなって。私が思ってたのはただそれだけ。それだけなんだから。それはただの自分への言い訳みたいに、心の中にずっしりと重く響く。



「...けど俺なんとなくやけどな、名字やったらいける気すんねん。だから頑張ろな、お互い」


彼のこれっぽっちの根拠もない励ましも右から左へと頭の中を抜けていった。教室に差し込んでいた夕陽はいつの間にか消えてしまって、夕闇だけがうっすらと辺りを包んでいた。






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