初めは全然、一目惚れとか気になるだとか、ましてや好きとか。そういうつもりは全くなかった。どうもしなくたってあのテニス部所属っていうことだけでとても目立つし、それに加えて彼の色素の薄いさらさらした髪の色とか、面倒見がよくてちょっと天然なところとか。強豪テニス部所属にして、試験のランキングにはたいていどの教科も上位の方に名前が載っているし、いつだってテニス部を中心としてたくさんの人に囲まれている。彼を遠かれ近かれでちらちら見やっている女の子や仲良さげに話している子といえば、彼ほどではないが整った顔つきをしていて、メイクもばっちりで、とりわけ可愛い子たちばかりだった。おまけに、何組のだれだれが彼のことをすきだとか、ファンクラブみたいなのがあるだとか、どこまで本当かわからない噂にも囲まれていて、それだけで彼は私とはぜんぜん違う世界の人間なんだなぁと実感させられた。


でもほんとうに、それだけだ。だって私はいたって普通で、特別美人というわけでも、これといってスポーツができるわけでもないし、成績も抜群にいいってわけでもない。国語と世界史でかろうじてランキングに名前が載るか乗らないかくらい。学校中のだれもが彼のことを知っているけど、彼は私の名前さえ知らないと思う。ほんとうに正反対のひと。だから、3年に上がったいま、クラスが一緒になったからといって、彼みたいなひととは接点もないまま終わるんだろうなぁと、クラス分けの掲示板を見ながらぼんやり思っていた。






同じクラスになってわかったこと。白石くんは、噂で聞いていた通りとってもフランクで飾り気がなく、人当たりのよい性格だった。休み時間は友達とわいわいがやがや楽しそうにおしゃべりしているし、その代わり一人でいてもとっても絵になる人。同じクラスで同じテニス部の親友だという忍足くんとのツーショットは、女の子たちの視線を集めて、他のクラスどころか下級生の女の子も顔をのぞかせるほどの威力だ。彼らのまわりにいる女の子たちは、みんな派手で可愛い子たちばかりで、あいつらただのアホやのにな、と1、2年の時に忍足くんと同じクラスだったという友人は呆れて言っていた。


新学年恒例の委員会ぎめの時には、白石くんは保健委員を、忍足くんは放送委員を選んだ。委員会は基本的に男女一名ずつだから、保健委員と放送委員の女子枠はものすごい競争率だった。特別保健委員になりたいわけでも放送委員を所望するわけでもなく、去年から続けていた緑化委員を無難に選んだ私は、委員決めという名の争奪戦に参加することもなく、予想以上の彼らの人気っぷりを見ながら、彼らに恋する女の子たちは大変だなぁと他人事みたいに思っていた。


一回だけ席替えで、白石くんの隣の席になったことがある。「ええなー名字さん。うちと代わってよー」と、いつも白石くんや忍足くんとお喋りしている可愛いクラスメイトは、くるんと巻かれた栗色の髪を揺らして、冗談交じりに言っていた。それを見た斜め前の忍足くんが、「アホか。ジブン隣やったらうるさくて授業にならへんわ。なあ白石」と言って笑ってた。それって私がおとなしいってことか。まあその通りだと自分でも思うけど。白石くんにしろ忍足くんにしろ、やっぱりいつも話す子のほうが隣だったほうが退屈しないしいいんじゃないだろうか。「私、代わってもいいよ」と言ったら、白石くんはちょっとびっくりしたみたいに目を丸くさせたあと、「いやいや、気ぃ使わんでええねん。名字さん」と言って眉を下げてちょっとだけ笑った。別に気を使ってるわけじゃないんだけど、と言おうと口を開いたら、「ほな、この席で3か月間決定やなー。隣同士仲良くしいやー」先生の声が教室に響いたのでそれっきりになってしまった。



そのあと次の席替えまで、普通に挨拶したり、白石くんが筆箱を忘れたときに筆記用具を貸したり。なんだかクラスメイトっぽくなった。別世界にいるはずのあの白石くんと、クラスメイトみたいなやり取りをしているのがなんだか不思議で、変な気分だった。だけど白石くんがとても優しい性格で、ちょっぴり抜けているところもあって、これまで話したことがなかった私にもフレンドリーに接してくれたし、なにより白石くんの話が楽しかったから。私から何か話を振ることはあまりなかったけど、それでも毎日笑ってた気がする。同時に忍足くんとも少し話すようになって、ふたりはとっても人気者なのに、とっても性格がよくて明るいから、なるほど女の子たちがきゃあきゃあするのも分かるなぁとしみじみ思ったのだった。


3ヶ月後に行われた席替えでは、ちょっと寂しいなと思ったけれど、今度の隣の席の男の子は私と同じ緑化委員だったから、いつも委員会で話しているよしみもあって白石くんの時と同じくらい、それ以上に毎日話をするようになった。男兄弟のいないわたしは、今まで男の子とあんまり話をすることがなかったけれど、白石くんの隣の席になって彼と話すようになって以来、自然と他の男の子とも話す機会が増えた気がする。




「ねえなまえ、放課後ヒマ?」
「特に用事はないけど、なんで?」
「なら、一緒にテニス部見にいかへん?一人じゃ心細いねん!おねがい!」
「でも、私が行かなくても沢山女の子いるじゃん」
「せやから不安やの。財前くん応援したいけど、後輩とか黄色い声援送っとったら発狂しそう」
「ええー!なにそれ物騒な、」
「やから、他の子張り倒すまえに止めてな」
「そんなウキウキして言わないでよ…」


そんなわけで、半ば引きずられるような形でテニス部の練習を見に行くことになった私だったが、予想以上の女の子たちの山に圧倒されおののきながらも、フェンス越しに彼らの姿を見つめることに成功した。あ、白石くんと忍足くん。打ち合いしてる。パコンって、いい音が響くたびにきゃあと歓声が上がって、白石くーん!だのそんな文字通り黄色い歓声が耳をつんざく。隣の子は他校の制服を着ている。あかんかっこええー、と声援を送るかわりにつぶやいてる子もいるから、きっと想像以上に彼のことを好きな子って多いんだろう。部活の練習風景とか、初めて見たけど、確かにかっこいいよなと思う。それに男の子ってスポーツしてる姿がいちばんかっこいいってよく聞くけど、まさにそうかもしれないとぼんやり思っていたら、



ふいに白石くんがこちらを見て、ばちり、と視線が合った気がした。そして私の見間違いでなかったら彼はちょこっとだけ笑った。どきん、と分かりやすく心臓が鳴る。




だけど彼はすぐ視線を戻してしまったし、私の隣の子が、白石くんと目ぇ合ったー!きゃあきゃあと騒いでいたから、なんだ、私と目が合ったわけじゃないんだ、なんて思った。…いやいや、待って。なんで今私、ちょっとでも私と目が合ったかも?だなんて思ってしまったんだろう。白石くんがこんな遠くにいる私に気づくわけがないし、仮に気づいたからってどうだっていうの。かあ、と頬が熱くなって、一気に恥ずかしくなった。しかもそれが、私じゃないのがちょっと残念だなんて。嘘だ。絶対嘘に決まってる。それなのに心臓がどきどきうるさい。なんだか急に居心地が悪くなってきて、財前くんを一生懸命目で追っている友達に「先に帰るね」と声をかけたあと、その場を後にした。白石くんのユニフォーム姿が、こちらを見た瞬間が、ちょこっと口の端を上げた笑顔が、まるで焼きついたみたいに離れなかった。その日の夜はなかなか眠れなかった。








「あ、名字さんや」


一週間後の朝、昇降口でバッタリ白石くんに出くわした。どきっとまたあの時みたいに心臓が跳ねる。こういうときに限って廻りには誰もいない。焦る私の胸の内に気づくはずもなく、白石くんはパタンと靴箱を開けた。


「おはよう」
「お、おはよう。白石くん、今日は遅いんだね」
「ああ、火曜は朝練ないねん」


へー、と至って普通の返事を心がけようと、白石くんのほうを見ないまま靴を履き替える。どうしよう。自分だけがこんなに、ばかみたいに焦っていて動揺しているなんて。あれ以来なぜだか白石くんのことを意識してしまって、授業中もぼんやり見つめてしまうし、話しかけられたら緊張してしまうし、最近私はなんだかおかしい。


「あ、そういえば」
「え?」
「名字さん、先週テニス部見に来とったやろ?」


思い出したようにふいに白石くんが言ったので、どきっとまた心臓が揺れた。白石くんが気づくはずないと思っていたのに。やっぱりあの時、こっちを見たときに私の姿をちらりとでも視界のすみに入れたのかもしれない。う、うん、私はどもりながら言う。動揺が気づかれていませんようにと願いながら。


「びっくりしたわー、名字さん今まで見に来たことなかったやん」
「えと、友達のつきそいで…」
「そうなんや」


白石くんは上履きを履いた後、パタンと靴箱を閉めた。きっとこの会話はこれで終わりだ。いや、終わりにしよう。話題を切り替えようと私は必死で頭を回す。だってあの時のことを考えるといつだって私はあからさまに動揺して、胸がざわざわってして、自分が自分でよくわからなくなってしまうのだ。それを蒸し返されるのは、しかも張本人の白石くんに蒸し返されるのはなおつらい。一時間目の数学の授業の宿題やってきた?って。そうだこんな無難な話題でいい。とにかく動揺を振り払おうとそう思って白石くんのほうを振り返り口を開いた。




「誰か、気になるやつでもおるん?」
「…えっ?」
「名字さん、今まで見に来たことなかったし、テニス部に誰か目当てのヤツがおったんちゃうかなーって。誰なん?俺、よかったら協力しよか」



私が何か言うより早く、白石くんがいつもの人のよさそうな笑顔で言った。その瞬間、私の胸の奥がきゅうっと閉まって、だけどそれは、一週間前のどきどきとはまた違くて、それからすぐにじくじく疼くように痛くなった。何を言っていいのか分からないまま、俯く。ぐるぐるぐるぐる、白石くんの言葉が頭の中を廻っている。


ばかみたいだ、と思った。大人しいくせに、意外とミーハーなんやって思われたのかもしれない、きっと。ひとりでどきどきしたり、目が合ったかもって思ったり。いちいち緊張していたり。そういうの全て、私の自惚れにすぎない。ものすごく恥ずかしくなって、情けなくなって、ぎゅっと唇をかんだ。いやいや、何をいまさら。わかってたでしょう、最初から。




(…私、いつから白石くんのこと好きになってたんだろう)




今更、大事な感情に気がついてしまったけれど、もう遅くて。押し黙ってしまった私を不審に思ったのか、白石くんが私の名前を呼んで顔を覗き込もうとするから、それより早く「ううん、大丈夫。そんなんじゃないから」うまく笑えたかは分からないけど、弱く笑って白石くんの脇を抜けた。なんだか私、この間から白石くんから逃げてばかりいる気がする。


だけど、だって、白石くんがいつのまにか、こんなにも私の胸の中をぐちゃぐちゃにかきまわすから。どうしたらいいかわからなくなってしまった。だって白石くんは、絶対に私には手の届かない人なんだから。そんな人を好きになったところで報われるわけがない。ああ、でも白石くん、クラスメイトのよしみで協力するって言ってくれたのに、そっけなさすぎる態度をとってしまった。感じ悪いって思われたかも。いつの間にか零れていた涙をぬぐって、ぐすと鼻をすする。



ああこれだから。好きになるつもりなんか、少しもなかったのに。






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