小説 | ナノ




そうだねまぼろし


※大学生




夜も更けた午前2時過ぎ。ダンダンダン、と、ドアを叩く乱暴な音が聞こえたので誰だ近所迷惑だな、つーかなんでインターホン使わねーんだよと若干呆れてドアを開けてみたらそこには案の定見慣れた姿があった。


「丸井」
「なまえ?何だよこんな時間に、」
「今夜泊めて」
「はあっ?」


俺の返事も聞かないまま、なまえはずかずかと部屋に上がりこみつけっぱなしのテレビの前に体育座りした。俺はといえばぽかんとしたまま彼女を見つめていたけれど、我に返って再びドアを閉めた。なんたって真夜中だ、割と良好な関係を保ってきた近隣住民から苦情がきたらたまったもんじゃない。なまえはそんな俺の懸念をよそに、机にあったスナック菓子をばりばりと齧っていた。いや、なんだこれは。状況に全くついていけねえ。


「おい」
「ん?」
「なにが何だかわけわっかんねーんだけど」
「いいじゃん別に一日くらい泊めてくれたって」
「前から言ってんだろい、来る前に電話一本くらい入れろって」
「なんで?丸井いま彼女いないんだからいいでしょ」
「...まあそーだけど」
「だったらつべこべ言わないで泊めてよ」


いつもの調子で俺の言葉を軽くあしらったと思ったら、まるで自分の家のようにくつろぎだす始末だ。俺はもういろいろあきらめてどっかりとベッドに座り込む。買ったばかりの座り心地抜群なソファーはあっという間にこいつに占領された。毎回毎回、なまえらしいっちゃなまえらしいけど。なんだか結局いつも振り回されているような気がしないでもない、って冗談じゃねえ。こうやって俺はいつまでも仲良しの男友達としてなまえの傍に居続けなければならないということにそろそろ限界は感じてきていたけれど。ちらりとテレビ画面を見て爆笑している彼女に目を走らせる。もう色々なことをいっそ全部投げ出して諦めたくなった。


「別に俺はいーけど、例の彼氏は心配しねーの?」
「ああ、別れた」
「ふーん、なら大丈...て、はあっ!?マジかよ!聞いてねーよそんなん」
「だから今言ったんじゃん」
「...いつ別れたって?」
「さっき」


だから慰めてもらいに来たんだよ。落ち込んでいるのかいないのか、いまだに彼女は深夜のバラエティに夢中の様子でけらけらと笑っていた。いや、マジか。んなバカな。あんなにキャンパスきってのお似合いラブラブバカップルと称されてたなまえが別れた?いつだって俺にしまりのない顔しながらのろけ話ばかりして、付き合って2年くらいで確かこのままいったら結婚するだろうとまで噂されてたような気がすんだけど。


「なんで?」
「さあ...もう好きじゃなくなったって言われた」
「何だそれ」
「こっちが聞きたいよ」


なまえの表情が一瞬翳った気がした。なまえは爆笑していたが俺は大して面白いとも思えない番組はまだエンドロールの予感さえみせない。さっさと終わってしまえばいい。ああこいつ、無理して笑ってたのかとその時ようやくわかったので、呆れた。なまえに対してだけじゃなく、呆れた。


「でもね本当の理由はそうじゃないんだよね」
「うん?」
「文学部の佐々木さん。あの子に告白されたんだよアイツ。だからそっちに行ったの」
「佐々木?誰だそれ」
「ええ知らないの!?ありえない!去年ミスだったじゃん!」
「知らね。ミスとか興味ねえ」
「うわ、本当にありえん」


あんなに可愛いのにちょっとくらい興味持ちなよとなまえは何度も言って、また笑った。笑わなくてもいいのに笑った。俺といえば本当に佐々木という女には興味も何もないので知らないのは当然なのだが、なまえは何を勘違いしたのか楽しそうに笑って、「へー意外。可愛い女の子好きそうなのにね、丸井って」至極どうでもいい分析をする。


「人を勝手に女好きにすんな」
「何それ。硬派気取り?」
「ちげーよ。興味ねーもんはねーの」
「あ、そう。そうだよねこんなもん持ってるんだから硬派なわけないよね」
「......」


ひらひら、と、いつのまにどこから探し出したのか、なまえの手にはきわどい水着のAV女優がこちらを見つめているパッケージのDVD。うわ、マジかよ。だから電話一本入れろっつってんのに。せめてその女優の雰囲気や顔がどことなくなまえに似てることには気づかれませんようにと思いながらなまえの手からそれをひったくった。


「ありえねー。普通漁るか?」
「偶然見つけただけだから!ていうかまだDVD?いまはデータの時代じゃないの?」
「あーうるせーうるせー」
「ふーんブン太くんはこういうのがお好みなわけね」
「仕方ねーだろ。俺だって男だぜ」
「あはは、分かってる分かってる」


けらけらとまたも笑って言うので俺は当然面白くない。ぽとんと床に戻されたDVDの表紙の女を少しだけ睨む。全然まったくこれっぽっちも解ってなんかねえくせにそういうことをいけしゃあしゃあとよく言えたもんだ。ちょっとだけ頭にきたので口先だけが先走ってしまった。余計なことを喋りすぎてしまったなと思ったけど止まる気配はなかった。


「分かってんならこんな時間に男の部屋来るのはどうかと思うけど?」
「え?なんで?」
「言ったろい、俺だって男だって。いつ狼になるかわかんねーよ?」


にやりと笑ってみせたらなまえは一瞬だけ目を大きく開いていた。いくらあっけらかんとしているなまえにだってこの言葉の意味がわからないわけがないだろう。でもどうせまたなまえのことだから、いくら俺がこの類の発言をしたところで「丸井のくせに生意気なこと言って」だか何だかと軽くあしらって笑うんだろうと思っていた。そして俺はまたなまえの知らないところで溜息を付く羽目になるんだろうなと。





「...それなら、」
「え?」
「丸井が慰めてよ」


言ったじゃん、慰めてもらいに来たって。そう言うとなまえは薄く笑った。さっきまでの笑いとはまた違う、あまりにも薄っぺらい微笑み。どこかに感情を置いてきてしまったみたいな笑顔。俺が動けないままでいるうちに、なまえはすっと立ち上がったかと思うとそのまま俺の目の前に立った。部屋のライトが逆光でその表情はよく見えない。たぶんきっと驚いたままで止まっているであろう俺の頬をなまえの細っこい指がなぞる。ぞくりと背筋になにかが走ったような気がした。


「ずっと思ってたんだけど、ほんとに肌キレーだよね」
「おい、」
「まつげもなっがいし」
「...なまえ」
「ねえ、丸井」


なまえが今まで聞いたこともないような切ない声で俺を呼ぶから、一瞬で思考が停止してしまった。そのまま首に絡められた腕はあまりにも細くて、折れてしまいそうなくらいに細くて。鎖骨のあたりにもたげられた顔のせいで、柔らかな髪の毛が頬に当たった。なまえのにおいが強く俺の脳内を揺らす。耳元で囁かれる掠れたような湿った声に、俺のなかで何かが音を立てて崩れた。





「あいつのこと忘れさせてよ」







俺はそのままなまえの背中に腕を回して、その柔らかな身体を拘束した。はずみでなまえの身体がこちらに倒れてきたのでがっちりと抱えなおす。ふわりとさっきと同じようになまえの匂いがあまりにも近くで強く香って、もうすでに頭の中が欲望と警告音とでどうにかなってしまいそうだった。だって、でも。俺だって男だから。ずっとずっとなまえを手に入れたかった。



「...ほんとにいーんだな」
「うん、いいよ」



なまえがまた笑ったので、それを免罪符にしてそのまま形のよい唇を塞ぐ。ずっとずっと触れたくても触れられることのできなかったそれは、想像してた100倍くらい柔らかくて、甘くて、優しくて。キスなんて別に初めてなわけじゃないしむしろ今まで色んな女と腐るほどの回数してきたはずなのに、あまりにも甘美なそれに頭がくらくらして、何度も何度も角度を変えて性急に唇を重ねた。こんなに余裕がないのは初めてかもしれない。


荒い息をしているなまえをもう一度抱きしめてから、静かにベッドに倒した。髪がさらりと広がって大層綺麗だと思った。自分のベッドにすきな女が横たわっているってそれだけのことがこんなにも興奮するなんて、俺は本当に恋というやつにとっくに思考を殺されている。...ただ、目の前で押し倒した彼女の瞳の色が悲しみに染まっていることをどうしても見過ごすことのできない俺は。ただもうどうしようもなく、身動きできないままいつだってそこに佇んでしまう。だって俺はなまえの傷ついた顔が見たいわけじゃない。




「...なまえ、」
「ふ、...」
「なまえ」
「ひっ、く...」
「......泣くなよ」
「っう...」


やっぱりなまえは泣いていた。顔を覆っていた手から流れ落ちる雫がシーツにいくつもしみをつくっていく。きっと俺が泣かせたわけではないと思うけれど、やっぱり。泣き顔なんか見たいわけじゃないけど、ほかの男のせいで泣かせるくらいだったらせめて俺が泣かせたほうがよっぽどましだった。それに失恋したての女を慰めるというあまりにも陳腐な大義名分で手に入れたところで、なにも得るものなどないと初めからわかっていたはずなのに。なまえが簡単にあの男のことを忘れられるはずがないと、分かっていたはずだったのに。


「丸井、」
「なに?」
「ごめん...」
「謝んな、分かってっから」
「本当に、ごめん...」
「違う。...俺も悪かった」


なまえはしきりに頭を横に振りながらまた、細く白い指先で顔を覆う。薬指に嵌ったままのシルバーリング。俺はただなまえが俯くたびにさらりと流れる髪の毛をすくって、あやすように頭を撫でていた。慰めるって言ったって、結局俺にはこんなことくらいしかできないともうそんなこと、最初からとっくにわかっている。


「...最低だね、私」
「仕方ねーだろい。失恋したてで情緒不安定なってるだけだろ」
「でも、」
「心配すんなって。何もなかったことにしてやっから」


それはあまりにも距離が近い男友達としての模範解答であり、いつまで経っても俺のほうをこれっぽっちも見ようとしないなまえへのほんの少しの遠回しの嫌味だった。自分で言ったくせにあまりにも重たい言葉にまたうんざりするくらい苦しめられる。もう何度も何度もなまえのことで、心を掻きむしって捨ててしまいたくなるような思いをしてきた。こんなに苦しいんなら、さっさとやめてしまえばいいのに。どんな女と付き合ったって、いくら忘れようとしたって。それでもどうしても俺は、なまえへの恋心を捨てることができないまま、こうやって心の柔らかいところを確実にすり減らしていく。


「今さらだけど...ありがとう、丸井」
「...いや」
「私、次は丸井みたいな人好きになりたい」


だから、またそうやって何も知らないなまえは、こんどはちゃんといつもみたいに無邪気に笑って俺の心をあっけなく突き刺して殺す。だったら何で俺のこと好きになってくんねーの?なんてあまりに核心をついた悲しすぎる問いかけは、さっきのなまえの涙を思い出してあっという間に引っ込んでしまった。代わりに「...ほんっと男見る目ねーもんな、お前」なんてまたしても何でもないように笑ってなまえの頭をぽんぽんと軽く撫でる。結局俺は、拒絶されて一番の友達というポジションすら奪われてなまえが遠くに行ってしまうのが怖いのだ。


...ああ、本当は。そのままその細い腕を引っ張って、きれいな指にいまだ忌々しいくらいに燦然と輝いているシルバーリングを、指をへし折ってでも今すぐ奪って捨ててやりたい。なまえが嫌だと泣き叫んでも、その柔らかな身体を無理やりにでも暴いて、その甘い声も零れ落ちる涙も全部俺が上書きして他の男の痕跡なんか永遠にどこかに消し去ってやりたい。月日を重ねれば重ねるほどにだんだん滑稽なほどの浅ましさを増していくこんな俺の醜い恋心をなまえは知る由もないけれど、こんなしんどくて汚い思いなら知ってほしくもない。なかったことにしてやるよ、なんて笑ってみせたのに、唇にいつまでも残る熱が、一生忘れさせてなんかやらないと俺を嘲笑ってるみたいだった。そんな暴力的ともいえるあまりにも重く圧し掛かる想いの行く宛てなど、絶対に俺のほうを向いてくれないこいつに情けないほど恋してしまった時点で、もうどこにも見つからないんだ。






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