小説 | ナノ




星も泣く夜のこと


※「フォーギブミー、ヒーロー」続き



これはめったに見せない、彼女からのSOSかもしれないと勝手に思った俺は自転車をめいっぱい力をこめて漕いだ。昼間とは違って若干の冷気を含んだ丑三つ時の風が吹き付ける。だけどもしかしたら、あの子の心のほうがもっと寒くて冷たくて震えてるんやないかと思ったらいてもたってもいられなかった。


ガチャリ、と無機質な音を立てて開いたドアの向こう側にいたなまえは、拍子抜けするくらいにいつものなまえだった。もしかしたら泣いてるんちゃうかとか一大事なんやないかとか気が狂いそうになるほど心配し、通常30分かかるところ10分弱で飛ばした俺は若干肩透かしを食らう。


「...ほんとに?」
「は?」
「ほんとに、来たんだ」


じっとまっくろな瞳で驚いた風でもなく静かになまえは言って、言葉通り寝る直前だったひどい格好をしている俺を招き入れてがちゃんと鍵を落とした。その音はこの空間に俺と彼女しかおらんことを実感させるみたいに、俺をいつでもどきりとさせる。いやいやそんなことより。...ほんとに来たて、誰のせいやと思てんねんと突っ込みを入れながら靴を脱いで部屋に上がりこんだ。テーブルの上にはぽつんとなまえがいつも使っているマグカップが置かれていて、中身は減っていないのにどうやらもうすでに冷めているらしい。牛乳にはうっすら膜が張っていた。...なんやもしかして、ほんまに寝るとこやったんか。


大体思い起こしてみれば、なまえの方から会いたいだなんて言ったことは一度もなかった。ついでに言うと、好きなんていう言葉だって数えるほどしか聞いたことがない。普段あまり感情を表に出して伝えてくることのない、俗に言えばツンデレというやつらしいなまえは、素直になれないその性格を持て余しかわいげのない素振りをみせてくる。そこがまた可愛えから、俺は別に全然気にしてへん、といったらまあ、嘘になる。俺ばっかり好きなんかなあとかそんなんまったく、これっぽっちも思ってへん...と、いうのも、嘘になる。だからあのなまえが、会いたいなんて世にも珍しくいじらしい連絡を寄越したから、いてもたってもいられなくなって家を飛び出した俺は。相当目の前の彼女に惚れ込んでしまっている。


「なんや、めっちゃ焦ったわ。なんかあったん?」
「ううん、そういうんじゃないけど...」
「あー...ちゅーか、ほんまに寝るとこやったんか」
「そういう謙也こそ」
「おっ俺は、ええねん。起きてたし」


そう。起きていた。何をして起きていたのかと問い詰められれば困る。つまり、その、そういうことだ。年頃の男がひとりで真夜中起きてしていることといったら限られてくる。きみのことを考えていましたと言えば聞こえはいいかもしれないけれど。しゃあないやん。だって俺、男やし。なまえのこと、どうしようもない位めっちゃすきやし。最近、してなかったし。...て、俺の下世話な話は今はどうでもいい。問題はなまえだ。やはり何だかいつもと様子が違う。いつものように俺に軽口を叩くそぶりも見せない。ただ黙ってほんの少し俯いている。もしかして、引いてんのやろか。単なる冗談やったのに本当に来てまうなんて、って。重い男やな、って思われたんかな。...あかん。やっぱり、俺、


「...俺、帰ろか」
「えっ」
「すまんな。いくら何でも非常識やったわ。こんな時間に」


なんもないなら、ええねん。顔見れただけで、と軽くなまえの頭を撫でてやる。それになまえが冗談でも、ほんの少しでも俺に会いたいと思ってくれたなら。それだけで充分だし、というのもまた少し嘘になるけれど、何より、草木も眠る丑三つ時にひとつ屋根の下、恋人同士。しかも目の前の最愛の彼女は、ラフな部屋着を身に纏っており神妙な顔つきをし、たまにちらりと俺を見上げてくる。...俺はそんなに我慢強いわけでもない、でも、下手に攻めてすべて失ってしまうのはもってのほかだ。このままここにいたら、俺は自分を抑える自信がどこにもない。昔の仲間たちには、いつでもスピードスターの名のごとく早急にことを進めてしまうのがお前の悪い癖だと散々忠告をされてきた。汗ばんだてのひらをぎゅうと握り締める。恋愛において、多少の身を削ってでも我慢しなければならないことは山のようにあるのだと、俺はなまえと出会ってから知ったのだ。なまえを大切にしたくて。なまえに、もっと好きになってもらいたくて。


ほな、鍵はちゃんと掛けて寝るんやで、と踵を返しかけた俺の腕を引きとめたのはなまえだった。思わず振り返ると心許ない、不安げな、苦い表情で俺を見上げるなまえがいた。どきり、と今度こそ心臓が大きく音を立てて鳴る。じっと見つめるその瞳に、心は早鐘のように止まない。


「なまえ?」
「...か、帰らないで」
「えっ、」
「謙也に、そばにいてほしい」


遠慮がちに、でもはっきりと、なまえはそう言った。全身を熱がかけめぐって、一瞬目の前がちかりとした。あかん、と思う間もなくして、俺は衝動的にその細い腕をゆるく引っ張って、なまえをぎゅうと抱きしめる。もぞ、と少しみじろぎして、恐る恐るというように俺の背中に腕が回った。きゅうとしがみついてくるなまえにめまいがする。何なん、ほんまどないしたん、なまえ。こんな甘えたがりな彼女を俺は知らない。めっちゃ可愛えやんか。これが所謂でれ期っちゅーやつやろか。顔が自然に緩むのを必死で耐えながら、どくどくと波打つ心臓の音がどちらのものかわからなくなる。


「寂しなったん?」
「ん、ちょっと、お腹が空いて」
「は?」
「そしたら謙也にあいたくなった」


どういうことや?意味がわからん。まあでもとにかく、なまえが俺に会いたいと思ってくれた事実にたまらなく嬉しくなった俺は、そのしろい首筋にちゅうと音を立てて吸い付いた。いつもだったらちょっとやめてよもう、と照れて抗議の声のひとつでも漏らすはずのなまえはじっと俺の目を見つめた。


「ねえ謙也」
「ん?」
「私は謙也のことがすごくすきだからこうやって、抱きしめてほしいとか思うけど、謙也は?」


私のこと、ちゃんと好き?...ああもうほんま、なんやねん。そんな半泣きみたいな顔して言うことか。自分の発した言葉や態度の破壊力をこれっぽっちもわかっていないなまえは、道端で雨に打たれた子猫のような顔をしている。なまえは俺の愛をみくびりすぎや。好きやなかったら誰がこんな真夜中、自転車フルで漕いで駆けつけんねん。惚れてへんかったら、こんなに折れてまうくらい抱きしめて、めちゃめちゃにしてしまいたいと思うわけないやん。何も分からへんようになるほど、俺に夢中になったらええのにと思うわけもない。全部全部、なまえがめっちゃ好きやからやて、この子はきっと分かってへん。


たまらずキスをした。唇が触れ合う瞬間、「俺かてめっちゃ、なまえが好きやで」と言った言葉がその不安を少しでも溶かしてくれていたらいいと願った。いつか彼女が、俺が想うのと同じくらい俺を想ってくれるまで。朝が来るまでには言葉で身体で態度で俺の全部で、ちゃんと教えたるから覚悟してほしい。日が昇るまでまだ時間はたっぷりある。だからもう何も心配せんといて。そう思いながらなまえの手を強く握りしめた。





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