小説 | ナノ



フォーギブミー、ヒーロー


※大学生




残念なことに冷蔵庫のなかには白菜しかなかった。悲惨すぎる。もっと栄養とらんとぶっ倒れてまうで。そう言って笑った謙也を思い出した。余計なお世話だってあの時私は笑い飛ばしたっけ。今日も一日フル回転して疲れきったはずの頭はぱっちり冴えていて、なんだかおなかが空いてきて、そしたら目も冴えてきて、だけど食べるものがない。真夜中はとっくに過ぎてしまった。暇を持て余そうと開いた雑誌もとうに読み終わった。スマホを開いてみてもお知らせは0件。着信も0件。先ほどから一向に変化のきざしを見せないそれをベッドの上に放った。私は一体なにを待っているというのだろう。


食欲は性欲と似ていると、どこかの雑誌に載っていたのをぼんやり思い出す。なけなしの牛乳をあたためようと、電子レンジを起動させて再びブランケットを羽織る。1Kの狭い部屋にひとりきり、そしてひどく空腹だった。人間、暇と空腹が重なると思考が妙な方向に転がるもので、私はグルメなほうではないけれど、私の「食」が単におなかを満たそうとする一時的な行為だとしたならば、たとえば私が謙也のことを、いとしいと思ったりキスしたいと思ったりはたまたそれ以上のこともしたいなあなんて思うのも同じ一過性のものだというのだろうかだなんて面倒くさいことを考え始める。例えば単に性欲を満たしたいとかいう、それだけの。おいしいとか気持ちいいとかそういう感覚はおまけとしてのもので、本来のいわゆる動物的本能としての欲求がほんとうは最優先されているのではないのか。もしそうだとしたら謙也にとっても私とのセックスはたんなる、理性が抗うことのできないただの生物学上のオスとしての本能だと片づけられてしまうんだろうか。だから、夜中は無性にお腹が空くんだというならすごく合点がいく。ひんやりと背筋に水が差していく感覚を覚えて無意識に身震いしていた。


寝るのもスピードスターっちゅー話や!といつだって自慢げに言う謙也がこんな時間に起きているはずがない。分かっていてそれでも私はスマホの画面を操作する。スタンプも絵文字も何もない。「会いたい」たった一文だけ。きっと朝起きて携帯を開いて、あの大きな目をぱちくりすることだろう。だけど送らずにいられなかった。真夜中の衝動は恐ろしい。


それできっと、すまん、めっちゃ寝てたわ!と焦った返事が返ってきて、何かあったん?と聞かれた私はなんでもない、ちょっと寝ぼけてただけと笑って言うのだろう。そして謙也はまた狐につままれたような顔をするのだ。想像しては笑みがこぼれる。ミルクがあたたまった音が聞こえたので立ち上がる。わけがわからず、なんやねんとこぼす謙也に、たまにはこういうのもいいでしょときっと私は笑うだろう。電子レンジから取り出したホットミルクを冷ましながら部屋に戻ると、机に置いたスマホがちいさく光ってふるえていた。電話だ。発信者はまさかの、謙也だった。


「...もしもし?」
『なまえ?なんやねん、さっきの。どうかしたんか?』
「...起きてたの?とっくに寝てるかと思ってた」
『いや、まあ...おん、今まさに寝るとこやったわ』
「あ、そうなんだ。偶然だね、私も今まさに寝るとこだったの。うん、それじゃあおやすみ謙也」
『ちょ、ちょお!待ちや!なんやねん!ええか、寝んなよ。まだ寝たらあかんで!』


絶対やぞ!と念を押し、ぶつりと乱暴に電話は途切れる。ちょっと、と宙に浮いた声は行き場を失って落ちる。いやいや、そんな、まさか。ありえないでしょう。だってもう丑三つ時が近い。それに謙也の家からここまではどう頑張っても30分はかかる。外はもうとっくに静まり返って暗闇に包まれている。ないない、ないよ。だけど私の小さな心臓は、早鐘のように波打つのをやめてくれなかった。


私は期待しすぎだろうか、忍足謙也という最愛の男に。なんて幸せな頭なんだろう。なんて我侭な感情だろう。どうして謙也はこんな分かりにくくて我儘な私を好きでいてくれるのか時々わからなくなる。ストレートに感情を伝えるのが得意ではない私のことをよく分かってくれていて、まっすぐな優しさと誠実さをもっていつだって私をずぶずぶに甘やかす。だから私はこうやってますます謙也のことを好きになってしまう。背筋に冷たさの走るひとりぼっちの夜でも、空腹を持て余した夜でも、謙也が傍にいてくれさえすれば何だっていいと思ったなんてそんな理由を、どうやって誤魔化そうかそれとも素直に伝えるべきか、浮ついた頭で一生懸命考えていた。もし、もしも、あと数十分後インターホンが鳴った先に彼がいたなら開口一番に何と言おうか、そればかりを必死に考えていた。





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