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天国へと至るルルベ




「ねー切原ー」
「あー?なんスか」
「どうしたら柳はもっと私のこと好きになってくれるとおもう」


ぶふぇ、ときたない音をたてて俺は地味にカフェオレを噴出してしまった。からりと晴れ渡っている空の下を横切った風は、隣でぼんやりと佇む先輩の髪の毛をゆっくりとさらう。口火を切ったくせにその悩ましげな睫が俺に向くこともなかったので、仕方ないから部活用のタオルで零れた茶色い液体を拭いた。


「...なんなんスか、いきなり」
「だから、どうしたら柳が嫉妬してくれるだろうかっていう話よ」
「知りませんよそんなもん。大体そんなことしなくたって充分円満っしょ?」
「そんなもんとか言うな」


なまえ先輩は振り返って、俺の額にでこぴんを一発お見舞いした。あでっ!地味に痛えっつの。こういうときばっか反射神経いいんだから。なまえ先輩は再びフェンスにもたれかかってどでかいため息をついた。ともすれば惚気ともとれる一見贅沢な悩み事を抱える隣の先輩は、正真正銘柳先輩の彼女である。俺はもともと委員会が一緒ということでよく顔を合わせていて、あの柳先輩を射止めたのはどんな人なんだろうと興味本意で話しかけたら思いの外ざっくばらんだったので何となく意気投合し、いつのまにか彼女の話し相手になってしまっていた。


「...で?何で急にそんなこと」
「それが最近よくモテるのよ、柳さん」
「べつに今に始まったことじゃないっしょ」
「そうだけどやっぱ嫌なんだもん。私という彼女がいるっていうのに!」
「知らんスよ。押し倒してみれば?」
「それ自殺行為だよ。そんなことしたら何されるかわかったもんじゃないよ」
「いいじゃん。彼女なんだし」
「じゃあ言うけど切原、あんた放課後空っぽの教室で私と柳が一糸纏わぬ姿になってる場面に遭遇してしまったらどうすんの?」
「それは勘弁。つーか万が一そんな羞恥プレイしたところで柳先輩乗ってこないっしょ!?家でやってくださいよ!」
「あ、やだー切原!顔まっかだよ。想像したな?このむっつりー!」


...もう勝手に言ってればいい、と俺は思いました。呆れ果てて残り少なくなってしまったカフェオレを一気に口に流し込む。甘い。甘すぎる。夏になりかけた空にそぐわないほどの甘さが俺を襲ったので思わず顔をしかめた。「いらないんなら頂戴」なまえ先輩は返事を聞く前に俺の手から甘い飲み物を奪い取った。あ、間接キス。ってべつにどうでもいいのか。なまえ先輩にとっては柳先輩がすべてだ。


「心配なんだよね」
「なにが?」
「柳が他の子のとこにいっちゃうんじゃないかと」
「そんなわけないっしょ。あんなに仲良いのに」
「聞いちゃったんだ」
「は?」
「立海いちの大和撫子が柳にお熱なんだって」


なまえ先輩は何でもないかのようにさらりと言ってまた、ズズー、とカフェオレを吸い込んだ。思わず先輩のほうに視線を向けたら、「あ、ごめんまだ飲みたかった?」眉を下げて言われた。そうじゃねーよ。


「大和撫子って...あー、あの黒髪ロングの?」
「お、2年の間でも人気なんだ、さすがだね」
「まあ、話題に上がることは多いスね。美人だし」
「めっちゃ柳とお似合いじゃない?やだなー妬けるわー」


だからどうしたら柳はわたしのほうちゃんと向いてくれるのかなあ、まるでなまえ先輩らしくもないような台詞をどうでもいいように言ってのける。俺は相変わらずにゆるゆるとあまりにも平和に流れている雲を一瞬眺めてから、ふんと鼻先だけで笑う。


「そっすねーめちゃくちゃお似合いっすよねーあのふたり」
「傷心に追い討ちかけないでよ」
「じゃあ、柳先輩諦めて大和撫子さんにあげちゃえば?」
「やだ」
「なんで?」
「なんでって、そりゃあ」


すきだから、と、なまえ先輩の形のよい唇が小さく動いて風の音がした。そんなの予想してたことだったのに、真っ直ぐな先輩の視線を感じて思わず目を伏せてしまった。手元に残されたカフェオレのストローがちらりと動く。...はーあ、マジで下らねえ。


「けど、大和撫子が告白したら断らねー男はたぶんいねーっスよ」
「...うん」
「先輩はそれでもいいの?」


俺はひょっとしたら、耐えられないとかもう嫌だとかそういう弱気な言葉をもっと聞きたいと思ってしまったのかも。なまえ先輩が柳先輩に決して言わない言葉の端々を。空っぽになったカフェオレのパックが再び俺の握力によってわずかに凹む。なまえ先輩は俺の瞳をとらえて、困ったみたいに笑って言った。





「だからどうしたらもっとすきになってくれるか考えてるの」





あーあ。もう。みんなバカだ。とんでもねー大バカだよ。堪えきれないまま声をあげて笑ったら、先輩はいぶかしげな顔をしてフェンスから身体を離す。


「なに笑ってるのよ」
「心配しなくても、柳先輩はあんた以外ホントに興味ねえみたいッスから、大丈夫でしょ」
「...なにそれ」
「そーゆー弱音みたいなやつさあ、言う相手間違ってますよ」


ついでに間接キスもだ。それについては恐ろしすぎて口には出せないけれど、まあこれくらいなら許してもらえるに違いない。つーか、なんで俺がこんなことまでしなきゃなんねーんだ、ったく。カップルのあれこれをどうこうするなんざ死ぬほどめんどくせーし正直どうでもよすぎる。あの柳先輩の恋愛沙汰じゃなかったら絶対放置だ。そして、なまえ先輩のことじゃなかったなら絶対に関わってない。ため息を吐きかけたら重い金属音が響いてドアが開いた。「随分と赤也と仲睦まじいんだな、なまえ」おお、ナイスタイミングすぎる。つーかぜってー最初っから聞いてたろこの人。そんでなまえ先輩だって柳先輩がいるって絶対分かってて言ってた。可愛い後輩を駆け引きの駒に使うんじゃねーと舌打ちしたくなる気持ちはあるけれど、二人が対峙して見つめあう姿を見ていたら、それがものすごく絵になっていたのでなんだか色々とどうでもよくなってしまった。さすが、校内でも似合いのカップルだと有名なだけある。


「じゃ、お邪魔虫はこのへんで退散しますねー」
「切原」


ありがとね、となまえ先輩が花が咲いたみたいに笑った。だーから、その笑顔向ける相手間違ってんだろと再び内心でごちたけれど、俺となまえ先輩のことに関して柳先輩が何か言ってくることは今まで一度もなかった。だから許されたと思うことにしよう。いや、彼女が可愛がる後輩に対して危惧するような余裕のなさなど持ち合わせていないという意思表示であり牽制とでも言った方が正しいか。だって柳先輩は端から見たらちょっとわかりにくいが、どっからどう見てもなまえ先輩のことを充分すぎるほどに好きである。なまえ先輩がそれをどこまで分かっているのかは別として。だからとにかく俺はご両人が今日も平和に、無事に、幸せに過ごしてくれていればそれでいいのだ。つぶれてしまったカフェオレを階段下のゴミ箱につっこみながら、いつかなまえ先輩から弱音じゃなくて、柳先輩にまつわる正真正銘の惚気を延々と聞かされる日が来んのかな、なんて頭の片隅で考えていた。





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