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ラブシック・シンドローム




「おい、名字」
「ん?なに、丸井」



あの日のことは、今でもはっきり覚えている。強く引かれた腕も、それと同時に感じたあたたかくやわらかい唇の感触も、思考が止まってしまうくらいにきらきら輝いてふわふわ揺れる赤い髪の毛も、陶器みたいにつるんとしている君の頬に差したほんのりと赤い色もぜんぶ。


丸井にキスされたあの日のこと。思い出してはうっかり泣いてしまいそうなくらいに、よく覚えてる。







「あ、丸井くんまた告られてる」


窓の外をぼんやり眺めていた。きれいに晴れた昼下がり。校庭の片隅に一組の男女の姿があった。男のほうよりも頭1個分くらい背の低い女の子は、さらさら流れる髪の毛を風に揺らして、ただ俯いていた。赤色の髪の男のほうは、何か言った後に軽く頭を下げる。それを合図にしたみたいに、女の子は走って去っていってしまった。私はそれをぼんやりと眺めていたけど、飲みかけだったカフェオレを一気に飲み干す。青春だね。なんてそんな他人事みたいなことばかりを思いながら。


「あーあ可哀想に。あの子女テニ2年のミス候補ちゃんじゃん」
「あー...あの彼女にしたい女子ナンバーワンとかいう?」
「そうそう。それにしても丸井くんも女泣かせだね」


おんななかせ、ね。あながち間違っちゃいない。3年B組丸井ブン太といえば女にモテてモテて困るらしいあのテニス部集団に属し、その中でも一段と甘やかなルックスを誇り人懐っこい性格で大人気!と色々と有名な奴だ。現にあいつを好きな女なんて腐るほどいると思う。後輩からも同級生からもモテモテ!というわけだ。でも本人はなかなかOKしない。テニス部で忙しいからだとか実は他校の年下の可愛い女の子と付き合っているとかそういう根も葉もないばっかり敷衍している。真実なんて本人にしかわからない。つーか分かるつもりもないけど。別に丸井が誰と付き合ってようが関係ないしな。


「そういえばなまえ、前に丸井くんと同じクラスじゃなかったっけ?」
「...んー、そういえばそうだったかも」
「喋ったりしなかったの?」


どうかなあ、覚えてないよ。そう言って空になった紙カップをゴミ箱に投げた。カコン、と音が響いて見事にそれは箱に吸い込まれる。


「えーつまんないの」
「つまんないって」
「だってなまえのそういう話全然聞かないんだもん。あんなにモテる集団がいるのに、全く興味ないとかおかしくない!?」
「はいはい、わかったから席戻った戻った。授業はじまりますよー」


教師が教室に入ってきたのを合図にしたように、騒がしかった教室に人が埋まっていく。授業だからってしゃんと背筋を伸ばすこともしないで、わたしはそのまま、さっきの赤い髪の毛の持ち主がいた場所に目を向ける。当然だけど人がいるはずもなくて、ただ新緑の混ざった木だけが風にゆられていた。さわさわ揺れる枝が、さっきの可愛いあの子の髪の毛のように思えて目を細める。



覚えてないよ、なんて。覚えてなかったら随分楽だったのかもしれないのに。私も大概馬鹿だな。そういえばこの学校にきてから一番最初に仲良くなったのが丸井だったんだ。なぜかとてもよく馬があって、まるでずっと前から友達だったみたいに私たちは毎日つるんで一緒にいた。楽しかった、とても。毎日きらきらしてて、馬鹿みたいにただ楽しかった。


だけどあの日以来、私たちは言葉をかけあうこともなければ、目を合わすこともない。前みたいに馬鹿騒ぎして、毎日笑いあって、長電話しまくって、なんて。そんなことできるはずもなかった。避けたのだ、私が。あの日突然キスされてからどうしていいのかわからなくて、話もできないまま、どうしてあんなことしたの?って、聞きたいのに聞けないまま、丸井もそんな私の態度に思うところがあったのか話しかけてくることはなくなった。それで気づいたら2年もの年月が過ぎて。入学当時はただただ可愛かった丸井はその面影を残しながらもどんどん男っぽくなっていくし人気もでてくるし、さっきみたいに告白だってされてるし、きっと私のことなんて忘れてしまっただろう。ひどい話だ。勝手に人の唇奪ってついでに心も奪って。忘れようとすればするほど思い出す。丸井は平気かもしれないけど、私は。あれ以来丸井のことが好きだと気づいてしまってずっと胸がいたむのに。






「私、ずっと前から丸井くんのことが好きだったの!」
「...悪ぃけど、」


放課後日直で遅くなってしまって、人気のない下駄箱に近づいてみたら微かに話し声がしていた。と思っていたら、小柄でかわいい女の子がわたしの脇をすり抜けて走っていった。泣いてた。放課後、人気のない下駄箱、男女の話し声、女の子の涙。この先の事態はまあまあ予測できるわけだけども、思考が身体に追いつかないまま、足を止めたけれど間に合わなかった。できればいないでほしかったのに、彼はそこにいた。本日二度目、見かけた姿。見慣れすぎた姿。おんななかせの丸井ブン太。


また逃げ出してしまおうかな、なんて臆病なことを考えたけどそういうわけにもいかないらしい。もうすでに、彼の瞳と私の視線はぶつかってしまっていて、これで回れ右するほうが不自然すぎるので、仕方ないから私はそのまま彼の脇をすり抜け靴に手をかける。丸井は何も言わない。私も何も言うはずもない。ずっと前からそうだった。「あの日」からずっとそうなんだ。だからただ、丸井が女に告白される姿を黙って見ているだけ。私には関係ないって本当の気持ちをとじこめた私は、あの日からずっと、止まったままだ。








「オイ、またシカトかよ」



聞こえるはずがないと思っていた声が後ろから聞こえて、反射的に思わず振り返ってしまった。目を見開いているであろう私を見たけど、丸井は笑わなかった。なんで、とか、そういう言葉を私はきっと言いたかったはずなのに、何も言葉が出てこなかった。あの日からずっと、私は丸井と向き合うことから逃げている。


「ずいぶんと長い間シカトしてくれたよな」
「なんで...」
「目はそらすし、あからさまに避けてっし」


2年前、あんなに毎日隣で聞いていた声はちょっとだけ低くなっていて、それが私に向かって発せられてるなんてことありえないって思っていたのに。怒っているような声色の丸井が言葉を続ける。


「そんな怒ることでもねーだろい、キスのひとつやふたつ」
「なっ、」
「そんなにいつまでもシカトするほど嫌だったんなら、謝るわ。犬にでもかまれたと思って忘れろ」



だからもう、あからさまにシカトとかやめろよ、気分悪ぃ。苦々しい表情のまま丸井は言い放って、「次シカトしたらマジで怒っからな」背を向けて去っていく。丸井の言葉がぐるぐると頭の中を激しく駆け巡っていた。忘れろって、なにそれ。そりゃ丸井にとっては単なる気まぐれの、思春期の遊びだったかもしれない。キスのひとつやふたつどうってことないって笑い飛ばせるかもしれない。所詮その程度のことだとしても。わたしは?ほんとうのほんとうのほんとうは、忘れたくなんかなかったんじゃないの?なんであの時私にキスしたの、って。丸井の中でちょっとは特別になれてたの?って、ずっと聞きたかったんじゃないの?





「丸井!」


走って、もうずいぶん小さくなってしまった彼のうしろ姿を探した。私の声に気が付かないまま、前を歩く彼に必死で追いつこうと、走った。ようやくその背中に手が届いたから思い切り腕をひっぱって、全力疾走したおかげで少し咳込んだけど、そんなことどうだっていい。丸井は驚いたような顔をしたまま、私を言葉なく見下ろしていた。ずいぶん久しぶりに丸井に触ったような気がする、なんて。そんなことを考えて少しだけ泣きそうになった。私、ほんとはずっと謝りたかった。丸井に触りたかったし、喋りたかったし、また前みたいに一緒にいれたらいいのにって思っていたんだ。前みたいに笑いあえたらいいって思ってたんだ。他の誰でもない、私が隣にいたいってずっと、思ってたんだ。他の女の子と一緒にいるのなんか見たくないってずっと前から私、心の真ん中で必死に叫んでいたじゃないか。



「丸井、ずっと避けててごめん。でも私、どうしたらいいのか分かんなかったの」
「ショックすぎて?」
「ちがう...丸井のこと、好きだって気づいて」


でもただの気まぐれとか言われたら怖くて、ずっと避けて、話すこともできなくなって。言い訳がましい言葉を並べながら、なんだか急に視界がぼやけてきてしまって、ちょっとでも気を緩めたら涙がこぼれてしまうんじゃないかって心配になった。ああ丸井、やっぱり女泣かせの異名は当たりだ。振られる女の子たちもこんな気持ちだったんだろうか。


「丸井にとっては簡単に忘れられるくらいの、たかがキスのひとつだったかもしんないけど」
「...」
「私、ずっと忘れられなかったし忘れたくもなかった」


言えた。ずっと言えなかったこと。その瞬間に一気に水面に上昇したかのように、うそみたいに呼吸が楽になる。2年間もずっと言いたくて言えなかったこと。視線を上げてみたら、面食らって、だけどぐっと眉間に力を入れたままどこか泣きそうな表情をした丸井がいた。


「言うの遅ぇんだよ、馬鹿」
「え、」
「マジで嫌われたと思って、へこんでた」
「え、ええ?」
「あからさまに目ぇそらされるわシカトされるわ、どう考えても嫌われたって思うだろい」
「でも、だからってなんで丸井がへこむの?」
「なんでって...」


そりゃ、俺が名字を好きだからに決まってんだろ。どこまで鈍いんだよ。好きでもねーのにキスしねぇっつの。照れ隠しにしてはあまりにも狂暴な言葉を投げて、がしがしと頭を乱暴にかきむしった丸井は、一度深く息を吐いてから改めて私に向き合って、またどこか泣きそうな顔で笑う。


「先にちゃんと言っとけばよかった。ごめんな」
「ううん、私こそごめん。もう無視したりしない」
「当たり前だろ、させねーっつの」


これからはずっと隣にいんだから。そう言って丸井は私の手をとって今度は嬉しそうに笑った。2年ぶりの笑顔はあの時と全く変わっていなくて、でもやっぱりかっこよくなっていて、心臓がどきどきと大きく脈を打つ。またあのころみたいに笑っていられるんだ。しかも、今度はあのころよりもずっと近い場所で。当たり前みたいに言って笑う丸井の笑顔に、また泣きそうになる。一度手放してしまって、私がずっと欲しかった場所。もう絶対、あなたの隣から離れたりしない。






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