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愛を喰らえ





ぱち、と重い瞼を開いて二度瞬き。広がった景色は変わらない。気づいたらもうすでに空は明るくて、寝ぼけ眼のまま時計に手を伸ばす、...6時だ。ちょっと早すぎる。寝返りを打ったら身体がまっさらで肌触りのよいシーツに埋もれた。ベッドが広く感じた理由に気づいてまたゆっくりと瞬き。隣にあの人はいない。


仕方が無いので重い身体を起こしたらようやく、見慣れすぎた姿が視界に入ってきた。手にはホットコーヒー。いつもと同じ景色。寝ぼけ眼の私に気づいたのか、サイドテーブルにことんとカップを置いた。洒落たテーブルは朝日に反射してちかりと輝いている。眩しいからまた瞳を閉じて、そのまま再びまっ白に埋もれる。とても眠い。


「おはようさん」
「おはよ。随分早いね」
「ちょっと目が冴えての」
「ふーん」
「まだ眠い?」
「うん」
「もう6時じゃけど」
「まだ6時でしょ」
「今日学校」
「しってるよ」
「じゃあ早く起きんしゃい」
「んー無理、眠すぎる」


眠気覚ましにと仁王は言って、白に埋もれた。そしてそのまま私に跨った。ちゅうと可愛い音がして首筋にぬるりと這う感触にうっすらと目を開ける。にやりとお得意の笑みを浮かべた彼がそこにいた。朝っぱらからお盛んなことで。「シャワー浴びたんじゃなかったの?」「ん、浴びたけど」「二度手間だよ」「別によか」さらりと仁王は言ってのけた。拒否権なんか私にはない。そしてそのまま昨日の続き。おかげですっかり目が冴えた。







「腰が痛い」


本当はこれっぽっちも反省なんかしてないくせに、仁王はあちゃーとオーバーリアクションをしてみせた。「それは災難。じゃ今度は3回でやめとく」「盛るなこのエロ詐欺師」「満更でもないくせに」余裕ぶっこいた笑みをうかべ、くるりとひるがえった銀色の髪の毛を思いきりひっぱってやれたらよかったのに、生憎私にそんな勇気はない。少し前を歩く皺ひとつ見当たらない真っ白なワイシャツをぼんやりと見る。さっきまで身体を包んでいた、あのシーツを彷彿としてしまった私は多分どうかしている。


だらだらと情事を重ねる日が続いた。それは放課後の教室だったり、誰もいない体育館倉庫だったり、私の家だったりはたまた仁王の家だったり。気がついたら仁王と二人きりになっている。そして気がついたら仁王の隣で眠ってる。もちろん何も纏わないままで。覚えてないなんて嘘だけど、覚えていたいわけでもない気もする。特別な理由なんてたぶんそこには存在しない。それに遊び人と謳われる彼にとってこんなことにとりわけなんの意味もないのだろう。私は仁王の恋人でもなんでもない。ただのクラスメイト。少なくとも仁王にとっては、特に仲がいいわけでもないただの。



「名字」
「なに?」
「放課後ヒマ?」
「ひまだけど」
「じゃ、今日も家来ん?」


もう何度目なのかわからない問いかけを聞いて。案の定、仁王は疑問系でもなんでもない瞳をしていたのでそのままいつもみたいに頷いた。彼は満足そうに笑う。中学生の男子なんて最も盛りの年頃だから、大抵みんなそんなものだととっくに割り切っている。ゆるく結ばれたネクタイをじっと見つめていたのがばれたらしく、「名字、お前さん気が早いぜよ。えろいのう」「何言ってんの」また笑う。銀髪がオレンジに透けてきれいだ。きれい。年相応に見える笑顔も。


あなたが笑ってくれるならなんでもいいだなんてそんな風に思えるほど、私はできた女なんかじゃなかった。苦しいよ、仁王、苦しい。そんなことこの男はこれっぽっちも気にしないって分かっているけど。ちゃんと分かってるのに。この何とも言えない苦しさを解って欲しくて仕方がなくなってしまった私はやっぱりばかだ。こんなはずじゃなかった。なのにもう、完全にあなたに溺れてる。







「ねえ」
「ん?」
「AVじゃ足りないの?」


一回目が終わった後、かねてからの疑問を軽はずみに口に出した。仁王は涼しげで切れ長の目をぱちりと一回瞬きさせる。ベッドの端からとびだしているビデオの表紙のきわどいポーズをした女優が潤んだ瞳でわたしを見つめている。


「そもそもなんで私みたいなのがいいの?」
「…」
「なんで、ただのクラスメイトの私?」


仁王は答えなかった。さらりと流れる綺麗な銀色の髪の毛の隙間から瞳が揺れる。それは私がいままで見たこともなかったような色。私が何を言っても、受け流すか笑い飛ばすしかしなかった仁王が、初めて見せた瞳だった。どきんとふいに心臓が鳴る。どうしてそんな目をするの?問う前に仁王が口をひらく。





「名字がいいから、って言ったら?」




あまりにも突然傷つけられると、人はときに涙を抑えられなくなる。「...そんなの、少しも思ってないくせに」ずっと欲しかった言葉をこうも簡単に、疑問系で投げつけた仁王が心の底から憎かった。遅かれ早かれいつか傷つくことは分かり切っていたのに、こういった込み入ったことが嫌いそうな仁王が、こんなにもざっくりと心を抉ってくるとは思わなかった。もう限界だ。私、自分が思ってたよりずっと仁王のことが好きだったらしい。こんなの知らなければ良かった。だって私はただのセフレで、仁王が私のことを好きはずがないんだから。





「私は仁王のおもちゃじゃない」






それ以来、私が仁王の家に通うことはなくなった。















「名字さあ、仁王と喧嘩でもした?」


ある日何も知らないはずの友人は言った。「そんなじゃないよ」「でも前までは一緒に帰ってただろい」「まあ、たまたまね」「ふーん?」何も知らないままでいてほしいと私が願っているのを知ってか知らずか、友人はまたチョコレートに視線を戻す。


「てっきり付き合ってるんだと思った」
「まさか。そんなわけないじゃん、だってあの仁王だよ?」
「じゃあ遊ばれてた?」


あまりにも核心をつく質問には答えないでため息だけ。じろりと睨んだら友人はまるでさっきまでの会話がなかったみたいにお菓子を口に放り込んだ「ん、んまい」これじゃ私が餌付けしてるみたい。委員会の打ち合わせはどうした。もう夕日が教室中を染めているっていうのに。しばらく夕日は見たくない。とくに教室では。ちらりと細く揺れて輝く銀色の髪の毛を思い出してしまうから。


「それより早く終わらせるよ。さっさと帰りたいんだからさ」
「俺だって帰りてーよ」
「じゃあお菓子ばっか食べてないで手を動かせ手を」
「えー」
「えーじゃないの」
「じゃ、助っ人呼んでもいい?」
「助っ人?」
「俺、弟たち迎えにいかなきゃなんねーの。塾の」
「はあ?まさか先に帰ろうってんじゃないでしょうね」
「俺の代わりに働かせるからさ!わり!」


私の文句も聞かずに、友人はがたんと立ち上がってさっさと教室を後にする。え、ちょっと。そんなにこやかに微笑みながら手振られても。「丸井あんたちょっと待っ、」とかいう声は生暖かい教室に浮いてすぐ消えてしまった。そして空気はそこで止まる。シンプルでまっしろなドアに寄りかかるように佇んでいた「助っ人」は仁王だった。そういえば丸井と仁王は仲が良くて部活も同じだったなとか、どうでもいいことだけが頭の中を巡る。


まるで何もかもがなかったみたいに、よ、と仁王は言って片手を挙げて、「そんな怖い顔しなさんな」いつもの調子でからりと笑った。仁王とまともに口を利いたのは実にあれ以来だ。無意識に、いや意識的に避けていた。姿を見たらまたわたしは苦しくなるって分かっていたから。手を伸ばしたくなる。触れたくなる。欲しくなる。溺れる。そんな私の思いとは裏腹に、仁王は何を考えているのか分からない表情を向け、そのままゆるくドアを閉めて机に腰掛けた。私は仁王からひたすらに目線をそらし続けている。


「久しぶりじゃな、こうやって話すの」
「...そうね」
「ずっとお前さん、俺んこと無視しとったじゃろ。結構傷ついたぜよ」
「...嘘ばっか」


久しぶりの仁王の姿に、頭のなかがぐちゃぐちゃにかき乱される。だけど仁王にしてはずいぶんと自虐的な微笑みが続いてたような気がする。気のせいでなかったら、声もかすかに震えている。そんな仁王の声を聴くのは初めてだ。



「お前さんが嘘だと思うならそれでもよか。お前さんが望むなら、もう近づかんし、話もしなくていい。一生無視してくれてもいい。ただ、謝りたかった。そんで、終わりにしたかった」





「俺はずっと、苦しかった」





くるしい?反芻したはずの言葉が口からでることはなかった。私は何もいえないまま、はじかれたように顔を上げる。何週間かぶりに目が合った。仁王は今まで一度だって見たことがない、うっかりしたら泣き出しそうな、切なそうな瞳をしながらそれでも笑っていた。


「だからもう終わりにする」


まるで私が抱えてる痛みみたいに。今までそんなそぶりも見せなかった癖に。どうして仁王が苦しいって思うの?疑問さえも口に出せないのは、まだ私が仁王と真っ直ぐに向き合う覚悟ができていないから。





「...名字、俺なんか大嫌いだって言って」




そしたら俺は終わりにできる。瞳が揺れていた。捕まった。仁王に声をかけられたあの日みたいに。どくんと心臓が波打つ。こんなのひどい。いくら傷ついたと思っても、結局私はやめることができなかったんだ、仁王を好きでいることを。


「...言えない」
「なんで?」
「言えるわけないでしょ、」
「...言えないほど、俺が憎いんか」


もしかしたら私が思っているよりもずっとずっと仁王は傷ついているのかもしれなかった。違うよ、言えるわけがない。だって仁王のこと、大嫌いだなんて思ったことなんか一度だってないんだから。滅多に見ることのない、うなだれたような様子の仁王を見て心臓がぞわりと震える。そんな顔しないでよ。そんな顔をさせたかったわけじゃない。それよりもっと、言わなきゃいけないことが私にはある。


「仁王、私、もうやめたい。仁王のセフレ」
「...」
「私、セフレじゃなくて仁王の恋人になりたいってずっと思ってた」


仁王は詐欺師だし、ただのクラスメイトだった私を簡単に肉体関係に巻き込むような典型的な悪い男だ。だけど、私に触れていた時の指先の優しさとか、悪ノリはするし欲望にも忠実だけど決して無理強いはしないところとか、傷ついたようなさっきの表情。仁王を避けてから思い出すのはそんなひとつひとつ大切にしまっておきたいような思い出ばかりだった。ずっと逃げていた。勘違いしないように。勘違いして傷つかないように。だけどそれももう、それこそをいま、私が、終わりにする。



あの日以来真っ直ぐに仁王を見つめて言った言葉には、もう少しの嘘もない。仁王は一瞬面食らったような顔をしていたけれど、すぐに張りつめていた緊張がとけたように、まるで泣き出しそうに瞳を歪めた。「...あん時言ったじゃろ、俺は、名字がいいって」本当に安堵したみたいに小さく、よかった、と目元を押さえながら仁王が言うから、私は今度こそその言葉を本当に信じられると思って、こみ上げてくる涙を必死に堪えながら、私にいまできる精一杯の笑顔を向けて見せた。





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