小説 | ナノ




サイハテユーレイ






「丸井って、私にキスとかしないよね」




落としていた視線が一瞬ぶつかってすぐにまた離れた。...はあ?いぶかしげに眉をしかめた丸井は、あきれたように馬鹿にしたように言う。赤から橙色のグラデーションに染まっている空には、真っ黒なカラスが鳴きながら飛んでいた。きっと彼らも家族のもとへと帰るのだろう。


「何?急に」
「べつに?なんとなく思っただけ」
「何だそれ」


くだらないことだと思ったのか、丸井が心底どうでもよさそうな相槌を打ってフーセンガムを膨らませて割った。私は自分で言ったばかりのことを後悔した。やっぱりな。言うんじゃなかった。いくら友達期間が長かったからっていったって不安なるんだよ。付き合ったら女には手が早いとか本当かどうかも分からない様々な噂が流れる丸井なのに、彼女なはずの私にはかれこれ3ヶ月経った今でもキスひとつしてくる気配がない。だから、私だけがただこいつのこと好きなんじゃないかとか。だって私はいつだって丸井のことを好きすぎるから、手をつないでみたいと思うしキスだって、してほしいなーとか思っちゃったりするんだよ。一人でこんなこと、ぐるぐる考えてるのはどうしようもなく馬鹿みたいだって分かってるけど。...でも、そっか。丸井にとってはそんなのどうでもいいことなんですね。


「あー...うん、もういい、ごめん。忘れてくださいなんでもない」
「はあ?わっけわかんねー」
「わかんなくて結構だよ」


そういえばさあ、昨日のモニタリング見た?我ながら無理やりすぎる話題の変え方である。卑怯?かもしれないけど、そんなのはもうどうだっていいんだ。だって落ち込んでひきずって不安になって、泣きだすとかみっともないことは死んでもしたくない。丸井の前でだけは、不安がったりとか落ち込んだりとかしたくない。めんどくさい女だって思われたくないもん。私は丸井が思ってる以上に丸井のことが好きらしい。だから嫌われたくないんだ。


「街中潜入ネタとかほんと見てて楽しいよねー!私も会ってみたいと思うもん、」
「...名字、」
「うん?」
「してほしいならちゃんとお願いしてみ?」
「え、なにを?」
「キス」


丸井の形の良いぱっちりした瞳の中に、驚いて変な顔をしたままの私が映っていた。いたずらっ子みたいに笑ってるその顔はジャニーズ系だと囃し立てられるのもわかるほどに無邪気で可愛いと言われる類のものではあったけれど、噂と違って台詞は随分とサディスティックだ。確かに丸井は友達としてつるんでいるときから、仲良くなればなるほどたまにこうやっていじわるな一面が飛び出すことがあった。でもまさかそれが彼女にも適用されるとは。もしかしてあれなのか、身近な人ほどいじめたいっていうやつ?隠れサディストってやつなのか。そんなの初めて知った情報だ。


「ほらほら。してほしーんじゃねーの?」
「べ、べつに誰もそんなこと言ってな、」
「ふーん。じゃ一生しなくても文句ねぇんだ」
「......」


私は目の前の小悪魔を思い切り睨んでみたけど、その意地悪な微笑は変わらない。別に丸井が好きな子をいじめたい性癖があろうが、もしもサディスト通り越してもしくはドSだったという衝撃の事実が発覚したとしても、私が丸井のことを好きなのは残念ながら変えられないと思う。だからそんなのはどうでもよくて、それよりも少しだけ悲しかったのは、丸井が本当に、自分から私にキスしたいなんて思っちゃいないということで。発言からするともしかして、私が「お願い」しなければ一生私とキスしなくってもいいって、つまりそういうことなのか。なんだか絶望的な気分になって一瞬だけ泣きそうになった。でも、こんなところで泣いてしまうわけにはいかないからぐっと強めに唇をかんで、言う。






「...してよ、キス」






たぶん風が通った。たぶんっていうのは、次の瞬間すぐに空気が止まってしまったから。ただ、いつもの丸井が纏っているグリーンアップルとは違う、いちごの味だけがわたしを包んでいた。そういえばさっき丸井がパチンと鳴らしたガムはいつもと違うピンク色だった。引き寄せるように肩に置かれている大きくて暖かい右手は、まぎれもなく丸井のものだから、それだけで私はうっかり泣きそうにもなってしまう。手を繋ぐよりも、お喋りしてるよりも、肩を寄せ合うよりも丸井が近い。いままでで一番近くにいる。頭がくらくらしてる。立ってるだけで精一杯で、何も考えられない。丸井のこと以外。しばらくして離れていったあたたかく湿ってる熱は、私をしばらく茫然とさせた。そしてまた、ふいに泣きそうになる。丸井に恋してからというもの、私の涙腺はかなり脆くなってしまっている。あーやっぱり私、なんだかんだでこいつのことすきなんだって、実感してしまったから。


丸井は何もなかったかのようにまた歩き始める。何も言わないままの、女の子みたいに可愛いのにかっこよさも兼ね備えている横顔が憎らしい。やっぱり丸井はキスしたのしないのってそんなのいちいち気にもしていないんだろう。こっちはファーストキスだったっていうのに。だけどそんなことは到底言えないまま、広がっていく沈黙に引き裂かれてしまわないように願う。私は丸井を好きすぎるから、いつだって欲張りでわがままになってしまうんだ。


「これで満足?」
「...バカ丸井」
「何だよその言い草は」
「こっちの気も知らないで」
「そりゃこっちの台詞だっつうの。...ずっと考えてたっつーのに」
「は?」
「手ぇ繋いでみてもいいか、肩、寄せてみてもいいか、...いつになったらキスしてもいいかって」
「えっ」
「引かれたらどーすりゃいいとかそんなんばっか、いちいち考えてた」


前を見たままの丸井のふわふわと空気を含む髪の毛が揺れた。私はずっと丸井のほうを見たままでいるのに、目が合うことはない。ただ、髪の毛から少し覗く頬の赤さに気づいてしまって思わず私も前を向いてしまった。ずるい、そんなの、


「引くわけ...ないじゃん、」
「...お前は俺がどんだけオマエに触りたいとか触れてたいとか思ってるか知らねーから、キスしろだのなんだのって平気で言えんだろぃ」
「だって!...丸井ぜんぜんわたしに手出さないから不安だったんだもん」
「オマエなあ...」


丸井が再び私の肩をぐっとつかんで引き寄せたので、「もうちょっと言葉選ばねーと後悔するぜ?」丸井の言った言葉の意味を聞き返すことも叶わなかった。人生で二回目のキスはやっぱりいちごの味がしていて、触れるだけに終わったさっきのものよりも大分長い時間のように感じた。


「...そういや、ちょうど今日ウチ誰もいねーんだけど」
「えっ?」
「このままウチ来る?」


明日土曜だし泊まってけば?と何でもないように言った丸井の言葉の裏の意味を考えるよりも前に、その横顔がどこかそわそわと所在なさげだったから思わず頬が緩む。いつもよりも口数が少なかった彼が、いつどんな風にこのお誘いを切り出そうか考えてずっとそわそわしていたのかもしれない、なんて思うと、とたんに胸の奥が熱くなってくる。やっぱり私は丸井にたまらなく恋してるんだと実感せざるを得なかった。そして、自分が思っていた以上にたぶん私は、この人にきっと好かれている。別に丸井の好きなタイミングで手を繋いでくれたらいいし、好きなときにいくらでもキスしてほしいし、いつだって触れててほしいのに。そんな恥ずかしいことはとてもここじゃ言えないけれど、丸井の部屋に着いて二人っきりになったら、もともと少ないであろう私の持てる限りのあざとさをフル回転させて、丸井に負けず劣らず意地悪なフリして思わせぶりなことを言ってみてもいいかな、なんて思いながら私は笑って頷く。夕暮れの道にふたつ隣に並んだ影さえもぜんぶ、愛おしく思えた。






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