小説 | ナノ



今が幸せならいいよ


※「宇宙の終わりを知っていた」の続き








「元気でな、なまえ!」



その日はあっけなくやってきて、まるでいつもと変わらない風景みたいに過ぎて行く。学園長をはじめとする先生にひととおり挨拶まわりを済ませば、授業があるのに短い休憩時間の合間にわざわざ会いに来てくれた旧友たちもいた。私は今日、この学園を出ていく。


「あー悪いな、なまえ」
「なにが?」
「あいつ。どっかに居るとは思うんだけど」


部屋にはいなかったけどさ、どっかでしょげてると思うんだよな。探してこようか?そう言って申し訳なさそうに眉を下げるのは彼の無二の親友だった。


「ううん、平気。ありがとね、竹谷」
「…そっか。元気でやれよ」
「竹谷もね」


多くの人に手を振られて、涙を流され、背を押されて私はゆっくり足を進めた。学園の門をくぐってしまえば私はもう二度とここへは戻ってこないだろう。振り返れば大きくそびえたつその石壁が、私の5年間を静かに物語っている。


思い出すのは彼のことばかりだった。初めて色の授業の成果を試した時だとか、いつの間にかこっそりお互いの部屋を行き来して会うようになったことだとか、怒った顔に笑った顔。将来の話は今日までひとこともしなかったのに私は、これからもずっと、当たり前みたいに兵助の傍にいれると思ってた。だけど、現実はそんなに甘くなかった。夢物語は今日でおしまい。







「なまえ」



慣れ親しみすぎた声が私を優しく呼ぶ。こんなときまで優しいなんてずるいよ、兵助。


「…来ないかと思ってた」
「来なくてもいいっていったのはなまえだろ」
「そう、だけど…」
「いちばん最後に、俺がなまえを見送りたかったから」


だから待ってた。そう言う兵助の腕の中に飛び込めたらどんなに良かっただろう。兵助が、これからも私を待っていてくれないかなあなんて、馬鹿みたいに夢の続きを考えてしまうのは。兵助、どうして私はあなたの隣にいられないんだろう。


「俺はなまえを見つけるよ」
「え?」
「何度生まれ変わっても」


俺がなまえの隣にいられるときまで、ずっと。零れた私の瞳の雫を優しくぬぐって、そっと落とした最後の口づけは触れるだけのそれだったのに、今まででいちばん優しく悲しく甘い味がした。


兵助、兵助。私が最初に恋をして、最後まで愛を捧げた人。私だってあなたを見つけるよ。そう誓ったのは君に届いていたのかな。






「だからきっと、また会える」




















「…っていう、夢を見たんだけどね」


多分、馬鹿にされるだろうなあって思った。兵助は現実主義で、オカルトだとか、お化けだとか、そういう非科学的なことはてんで無関心でバッサリ切り落とすような人だから。案の定兵助はシャンパングラスを持った手をピタリと止めて、もともと大きい瞳をもっと大きく開いて私を見つめていた。その次に紡がれるであろう言葉を予想して私は先手を打とうと口を開いた。


「あ、呆れてる?」
「…」
「私だってそんな、前世とかそういうの信じてるわけじゃないけどさ」
「…」
「だけど兵助だったらアリかもなあって…、」


突然手を引かれて抱き寄せられて、私の言葉は宙に浮いてしまった。ガタリ、と大きく音を立てて机が揺れた。…なまえ、と絞り出すような掠れる声はいつもの兵助には似合わなくて私は少しだけ心配になる。


「へ、兵助?どうし…」
「やっと思い出してくれた」
「え?」
「もうずいぶん、俺は待ったんだけど」


ゆっくり顔を上げた兵助の瞳は本当に優しくて、それでいて心底ほっとしたような、泣きだしそうな瞳の色だった。私は、それを、見たことがある。ゆっくりと記憶の底にたゆたう瞳の色。夢で見たのと、同じ色。私は何年も、何百年も前にもこの人にこうして愛されていたような、そんな気がしてならないのは、いつの間にかあふれていた私の涙が止まらないからなのか、兵助がそれを拭う手つきがあまりにも優しく、そして懐かしいと思ってしまったからなのか。


「泣かないで、なまえ」
「……ごめんね、兵助」
「ん」
「会いたかった」
「うん、俺も」
「待たせて、ごめん」
「いいよ、もう」


だって俺たちこれからずっと、一緒にいられるだろ?そう言って微笑んで、私に優しく口づけする兵助の数百年越しの思いや記憶を全部受け取りたくて、私は必死に背に手を回す。ああ、漸く私はこの人と、ずっと一緒にいられるんだ。一緒に、幸せに。





私の苗字は明日から、久々知になる。








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