小説 | ナノ
うさぎ座の愛しき噛み跡
付き合い始めて早3ヶ月。最近、謙也くんが冷たい。冷たいというか素っ気ないのだ。話しかけようとしても「すまん、オサムちゃんに呼ばれとったんや」だの「放送当番やねん」だの「イタタタタめっちゃ腹痛いねん、保健室行かな」だの上手い具合に避けられてしまう。目が合っても、すいっと顔を背けられてしまう。初めのうちは気のせいかもしれないと思ってさして気にしなかったわたしでも、さすがに何日もこんなことが続いたら、さすがに傷つく。もしかしてわたし、何かしでかした?と思わざるを得ない。
「バラ色の生活が始まったと思ったのになー…」
「ウッザ!のろけやったら聞かへんで」
「うっさい。アンタだっていっつも小春ちゃんのことで惚気てるくせに」
「小春は天使やからええんや!」
「それを言うなら謙也くんだって天使だから!」
「ハア!?あいつのどこが天使やねん!うわ、ほれ見てみい!なまえのせいで寒イボたったわ」
「うっさいな耳元で叫ばないでよユウジ!腕押し付けんなバカ!」
謙也くんに恋した私のキューピッド役(...と、彼は言い張っているが定かではない。説明は割愛するけどありえないほど横暴な真似をされた。まあ付き合えたからいいけどさ)を買って出た腐れ縁の幼馴染で尚且つ同じクラスのユウジは、ぐいぐいと私の顔にさぶいぼださぶいぼだと連呼しながら腕を押し付けてくる。なんか今日すごいひっついてくるなこいつ...!なんで?相手間違ってるだろ。てかさっきの時間体育だっただろ!汗臭いわ!腕を押し返しながら文句を言ってやろうと口を開いたら、ガラリと音がしてドアが開いた。そこには愛しの彼が立っていた。
「あっ、謙也くん!」
「あ?なんや噂をすれば影やな。ハッ!小春もそろそろ帰ってくるんちゃう!?小春ぅ〜!」
「いやだから生徒会だっつってたでしょ」
「...ユウジ、今日オサムちゃん急用で部活休みらしいわ」
「ほんまか!もうすぐ公演やしちょうどええわ」
「あ!じゃあ謙也くん、一緒に帰ろう」
「ええけど...」
その言葉に反して明らかにええとは言い難い表情をしていらっしゃる。頷いた割に謙也くんはまだ何か言いたそうに視線を動かすが結局何も言わないまま、ほな校門で待っとるわ。と短く言い残して去っていってしまった。今までなら、明るく、そして嬉しそうに笑って頷いてくれたのに。
「……ユウジ、これは修羅場っていうやつだろうか」
「せやろなぁ」
「ちょっと!フォローしてよ!」
「無理やろ」
「は、薄情者!」
いくら謙也でも今のはないわぁ、なんてユウジが言うもんだから、私はますます落ち込んでしまう。三年間部活がおんなじのユウジが言うんだもん、やっぱり謙也くんの私への態度は普通じゃないらしい。じわ、と涙腺がうるんだのを知ってか知らずか、ユウジがばしんと私の背中を思いっきりひっぱたいた。
「いっ…!ちょ、なにすんの!?」
「シケた面してんじゃねーよ」
「なんで標準語!?」
「なに自分ひとりでじたばたしてんねん」
「いや、そうなんだけど...」
「俺にキューピッドさせといて別れるなん許さんからな」
「わ、私だって別れるなんていやだよ!」
「ほならちゃんと話せえ」
ぶっきらぼうにも真面目な顔して言うユウジに力なく頷く。どうかな、話すらさせてもらえないかもしれないけど。私にしては珍しく弱音を吐いたらユウジは、「ホンマに嫌やったら一緒に帰んのも断るやろ」珍しく最もらしくかつ優しいことを言ったのでつい、「…明日はヘルメットで登校だね」「なんでやねん」「槍が降るかもしれないから」「ハア?俺はいっつも優しいやろが」またひっぱたかれた。私の背中はきっと真っ赤になっているであろう。ちくしょう、ユウジめ。後で覚えとけよ。
そしてやってきた放課後。どっくんどっくんと大きく波打つ胸を押さえながら私は急いで校門に向かっていた。謙也くんはもう来ているだろうか。待つのが嫌いな彼を待たせたくないという理由以外に、もしかしたら気が変わって帰られてしまうのではないかという恐ろしい不安が胸をよぎる。初めのころは教室まで迎えに来てくれていたのにどうして?なんて贅沢すぎる疑問かもしれない。でもそんな些細な一つ一つの謙也くんの行動が確実に、恋によって脆弱となった私の胸を容赦なくえぐってくる。...もしも私といて、謙也くんがいやな思いをするんだったら。振られてしまったとしても、こっそり想い続けるぐらいしたっていいよね?なんて、初めから最悪なシナリオを描くことによって傷を軽減させるという作戦だ。自分に言い聞かせながら小走りしていたら、校門に寄りかかっている謙也くんが視界に入ったので、ほっと胸を撫で下ろす。
「謙也くん!お待たせ!」
「...走ってきたん?」
「うん。謙也くんに、早く会いたかったから」
息を整えながら告げたら、ぽかんとしていた謙也くんが、そうなんや、と言って照れたみたいに笑った。あ、笑った顔、久しぶりに見た気がする。謙也くんにぞっこんな私は、それだけで胸がきゅんとなってしまう。そんな私の心中など知りもしないであろう謙也くんは、ほな帰ろ、と言って踵を返した。夕暮れの道にふたつ並んだ影が落ちる。
謙也くんは何も話さなかった。私から何度かどうでもよすぎる雑談を持ち出してみたが、謙也くんはいくつか相槌を打つだけで、すぐに会話が終了してしまう。何度も訪れる沈黙に、さっき考えた最悪の結末が嫌でも頭をよぎって、それだけは嫌だと打ち消すものの、謙也くんの態度を考えたらもうすぐそれが現実のものになってしまいそうで悲しくなった。でもさっきユウジにも言われた「ちゃんと話せえ」って、本当にその通りだと思う。少なくとも謙也くんの私へのよそよそしさの原因を理解しないままはいさようならなんて、そんなの悲しすぎるじゃないか。私が拳を握りしめ、意を決して重い口を開くべく息を吸ったそのときだった。
「すまん!!」
「...えっ、」
謙也くんが足を止めて私に向かって勢いよく頭を下げたので、私の決意は宙に浮いてしまう。何がすまんなんだろう。あれか、もうお前とは付き合えないですすんませんのすまんなのか。どこまでもネガティブに思考してしまう、この恋を最大に拗らせた私にとって謙也くんの謝罪の一言は重すぎてよろめきそうになってしまう。ごめんユウジ、私やっぱりダメだったみたい。じんわりと目頭に涙が溜まるのがわかった。
「俺...って、な、何で泣きそうになってるん!?」
「だっ、だって...謙也くん今から振るんでしょ、私のこと」
「...はあ!?何でそうなんねん!」
「だって、最近謙也くん冷たいし」
小さい声で呟くように言ったら、謙也くんはうぐ、と呻いて言葉を濁してしまった。思えば私は謙也くんに対してこんな風にはっきり文句らしい文句を言ったことはなかったかもしれない。謙也くんといるといつも楽しくて、ただただ嬉しくて、へらへら笑うので精一杯だった。どうしたら謙也くんによく思ってもらえるか、好きになってもらえるかばかり気にして、謙也くんとちゃんと向き合ってこなかったかもしれない、と今さらながらの不甲斐なさを感じてしまった。そりゃ謙也くんが愛想を尽かしてしまっても仕方がない気がする。はあ、と無意識にため息をつくと、謙也くんがぎくっと肩を揺らして私を見た。
「ごめんね、謙也くん」
「...なんでなまえが謝んねん。謝んのは俺のほうやろ」
項垂れたように言う謙也くんを見るのは初めてだった。謙也くんは、いつだって太陽みたいに明るくて、にぎやかで、私に対してだけじゃなくみんなに平等に優しくて。そして私の知る彼は、いつだってどこまでもまっすぐなのだ。謙也くんがまっすぐ、真剣に私の目を見つめて、どきりと心臓が跳ねる。
「今からめっちゃカッコ悪いこと言うわ」
「う、うん?」
「...俺、ユウジにメッチャ嫉妬して」
「え!?」
謙也くんがばつが悪そうに言った事実に私は目を見開いてしまった。「いや、でもユウジとはただの腐れ縁で...」「分かっとる。でも、ユウジと居ったほうが楽しいんやないかとかな、そーゆーつまらんことばっか思うて」絶対にそんなはずはない。謙也くんといるほうが百億倍楽しいしどきどきするに決まってる、とユウジに若干失礼な考えが頭をよぎったが、口に出さずに飲み込んだ。
「あとな、もういっこ理由あんねん」
「理由?」
「その…なまえ見とると、…キス、したいとか、触りたいとか、もっともっと知りたいし、俺だけのもんにしてしまいたいとか、そんな風に思ってしもて」
自分でどうしようもなくなんねん、だからどうすればええんかわからんかった。まさかすぎる謙也くんの言葉に私は今度こそ言葉を失ってしまった。謙也くんは真っ赤になって手で口元を隠しながら私から顔を背けている。伝染したみたいに私の顔も真っ赤になっている気がする。待ってよ、そんな。さっきまで振られるかもと考えていた自分が馬鹿みたいに思えるほど衝撃的な告白だった。
「俺、なまえがほんまに、どうしようもないくらい好きなんや」
せやからカッコ悪いの知られたくなくて、あんな態度とってしもてすまんかった。さっきまで顔を反らしていた謙也くんは、今度は私を真っ正面から見つめて言った。下校中らしい小学生がヒューヒューと子供っぽいヤジを飛ばして私たちを抜かしていく。どうやら私たちは全く同じような悩み事でお互いひとりでああでもないこうでもないと、仕舞いには訳がわからなくなってしまっていたらしい。なんてけったいなことだろう。恋愛はひとりで行うものじゃないのに。私はまた性懲りもなく、目頭がとんでもなく熱くなってしまった。
「謙也くん、私も謙也くんが大好き」
「...おん」
「私も、これからはちゃんと謙也くんに全部言うね。こうしてほしいとか、楽しいとか嬉しいとか、悲しいことも、思ったこと全部。ちゃんと」
言うから。謙也くんも全部、言いたいこと言ってほしい。それで、よかったら、これからも私のこと好きでいてください。そう告げたら謙也くんは今まで私が見てきた以上に優しくてまぶしくて素敵な笑顔で、もちろんや、って嬉しそうに言ってそっと手を繋いでくれた。
次の日ユウジに放課後の一連のことを嬉々として報告したら、「やっと話合うたんか、おまえらけったいすぎんねんバカップルが」とユウジにだけは言われたくない言葉をぶつけられたけど、それ以降の態度を見てようやくユウジがあの日必要以上に私にひっついたりかまったりしてきたんだと分かってしまって、厄介すぎるけど何だかんだで面倒見のよい幼馴染みに一生頭が上がらないと思わざるを得ないのだった。