小説 | ナノ




きらいなひと


同じクラスの財前光という男は。2年生にしてテニス部レギュラーであるという「天才」の肩書きを持っている。関西大会だけでなく、全国でも名を馳せるテニス部の次代を担う天才くんの噂は本人の意思とは関係なく蔓延し、尾びれがついて漂っていた。いい噂ばかりでなかったのは、その口数の少なさに加えようやく何か喋ったと思ったら矢のように放たれる辛辣な言葉の羅列が原因だった。オブラート100枚分くらい包んで投げたほうがいいほど口が悪いと思う。ヤツの言葉は人の心にぐさぐさ刺さるのだ。だから私はこの男がめっぽう苦手であった。





「名字やっけ」
「え、」
「俺黒板やるから日誌やってくれへん?」


だから正直言って一生関わりたくなかったのにどういうわけかうっかり同じ日直になってしまったのが運の尽きだと思った。神様恨みます。私が何をしたっていうの。日誌を放ってよこした財前は、返事も聞かないまますたすたと黒板へと歩いていき、真っ白に埋まったそれを手際よく消し始める。細いラインの背中を見つめているうちに恨めしさが増した。今の今までろくに会話したこともなかったが今日確信した。本当コイツ感じ悪い。


例えば以前、財前が女の子から告白されている場面に偶然遭遇してしまったことがあった。思えば私の財前嫌いはそこから始まったともいえる。顔色ひとつ変えずに「悪いけど付き合えへん」と言ってのけられ涙を流したかわいい女の子たちが、私の知るほかどれだけいるのか分からない。絶対悪いとか思ってないだろ。しかしその時、運悪くばっちり目が合ってしまった私を、財前は一瞬だけ目を見開いてからまるで嫌なものでも見たかのように眉間に皺を寄せ、さっさと立ち去ってしまったのだ。なんなの、むかつく、とは思った。偶然とはいえ究極にプライベートなシーンを盗み見してしまった私も悪いけど、こっちだって別に好き好んで見たわけじゃないし、むしろそんなもの見せられて居たたまれない気分にさせられた私の方が被害者ではないか。思い返せば返すほど腹立たしさは募る。それでもう一生あいつには関わりたくないと思ったのに、まさか同じクラスになるとは思いもしなかった。それだけでも最悪だったのに一緒に日直だなんて最悪が過ぎる。あんな性格極悪男がモテるだなんて本当世の中どうかしている。あいつにキャーキャー騒いでる女の子たちは早く目を覚ましたほうがいい。もう随分前のことだから財前は忘れてしまっているだろうけど、それでも私の中の財前はその日以来、最低最悪の男というレッテルが貼られたのだ。


「…なに?」
「え、」
「俺早く部活行きたいねん、はよ終わらせてや」


ほんとーに、ほんっとーーに、感じ悪い!視線を感じたのかおもむろに振り返った財前はため息まじりに吐き捨てた。言い返してやろうとする言葉を飲み込んで、乱暴に日誌を開いて、ページを探す。意外なことにすでにそれはほとんど埋められていて驚く。そして意外にもヤツの字は至極繊細な文字だった。黒板が隅々まで規則正しく消されていくのは、財前の几帳面な性格を現しているのだろうか?細かい白い粉が財前のまわりを舞い、それを取り払うのを視界の端に見ていた。…やめよう。もうさっさと書いてさっさと帰ろう。また文句言われるのやだし。そうしよう。


「……なあ、」
「なっ、なに」


かけられた声に顔をあげたら、教壇から私を見下ろす財前がいた。認めたくはないけれど、やはり整った顔つきをしている。まあこれは、女の子たちがきゃあきゃあ言っても仕方ないな、それだけは認めてやろう。そして相変わらずの無表情だけど、どこか不機嫌そうにも見えるのは恐らく私の気のせいではないだろう。遅いだの急げだの、とかまたそんな類な言葉を投げられるだろうと思った私は身構える。ていうか、自分の分終わったんだからもう先に帰ったらいいのに。そうだ、よし、言おう。終わったんなら先帰っていいよってそう言おう。


「あの、終わったなら、」
「あの時、自分」
「は?」
「しもた、って顔してたやろ」


開きかけた口はそのままポカンと開けたままになる。…何?理解不能な言葉に、図らずも間抜けな声が出た。財前ははあと再びため息を落として教壇から降りる。ほんの少しの衝動が床を揺らす。感じた財前の存在に一瞬だけ身構える。


「それがずっと、気に食わんかった」
「え、あの、一体何の話」
「名字は、俺のこと嫌いやろ」


どきり、と心臓が鳴った。同時に顔もこわばったらしい。正直な私の反応に財前はまた深くため息を落とした。「...分かりやす」余計なお世話だから放っておいてほしい。さすがに文句の一つでも言ってやろうと、いつの間にか私の机の前まで来ていた財前を見上げる。夕日が眩しく財前を照らすので、うまく表情が見えなかった。ただ、教室を照らすオレンジ色の光がひどく幻想的に思えて目を細める。


「だからそれが、気にいらんかった」


会話がまったく繋がらずかみ合わないのに、財前の少し掠れた声だけが耳の奥のほうにひどく焼きついて、見上げたらまだ不機嫌そうに眉をひそめる財前が夕陽のすきまに見えた。いつの間にか距離は近づいて、強張った手は次第に汗ばんでいて、心拍数は上昇中。...これはきっと、私が財前のことが嫌いだから。苦手だから。怖いから。そうに違いない。それ以外の何物でもない、はずだ。




「...アホらしなるわ、俺ばっか浮かれとって」




あんなに嫌いだったその鋭い眼差しにまっすぐ見つめられて目の奥がじんじんする。全身が、どくんどくんと大袈裟に脈打っている。目の前に佇む大嫌いなはずの男から発せられた言葉が、私のからっぽな頭に鮮明に響いてはなれない。浮かれてるってどういうこと。全く浮かれてるようには見えないんですけど。相変わらずのポーカーフェイスを気取りながら、「...何か反応せえや」苛立ちとも焦りとも、もしかしたらただの照れ隠しではないか、とも思える態度で私を急かす。もしかして財前光という男は、天才と呼ばれるこの男は、本当は誰よりも自分の心に正直で素直な男で、素直すぎてそれを必死で隠さずにはいられないのではないかと、思考の回らない頭でぼんやりと思った。体温は上昇する。ああ私きっと、こいつのことものすごく誤解してたんだ。ううんそれどころか、きっともうずっと前から、









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