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春を患う



部長と謙也さんと同じクラスだというあのひとは、いつでもへらへら笑ってばかりいる。媚を売ってるんだか素でやってるんだか知らないが、見ていてひどく腹が立つ。誰に対してもへらへらへらへら。無駄に笑ってばかりでなんか腹立つ。きっと俺だけだと思う、一度だって話したこともないのに、愛想のよさと見た目のよさからして、万人に好かれるであろうあのひとに対してこんなに理由もなく腹立たしさを感じてるのは。そして今日も彼女は例のごとくへらへらしていて、俺は例のごとくイライラしていた。行ったりきたりする黄色いボールを見つめているのにも飽きてしまった。あーもうなんや、えらいムカつく。ムカつきが収まる様子もなかったのであてつけに、近くにぼけっと突っ立っていた謙也さんにラケットで膝かっくんをかました。「うお!」謙也さんはバランスを崩し大層間抜けな声を発してから俺を睨みつける。


「コラ!なにすんねん財前!」
「それはこっちのセリフすわ。ぼーっと突っ立ってんのやめてくれません?」
「そんな理由でいきなり膝かっくんする後輩がおるかアホ!休憩中なんやからええやろ別にぼーっと突っ立ってても!」
「なんかイラついたんで。えらいすんません」
「これっぽっちも誠意が感じられへんのやけど」
「鼻の下のばして女テニの練習風景見学しとる先輩に誠意なんていらんと思いますわ」
「だっ...誰が鼻の下のばしてんねん!」


あーもう、ムカつくムカつく。思いっきり顔真っ赤にして反論する謙也さんもむかつくけど、謙也さんに負けず劣らずでれでれしながら女テニのコートのほう見てる連中も一見クールなフリして「んー、エクスタシー」とか言ってる部長もほんまもう全部。すべて。もうすべてがほんまにムカつく。なんやねん、四天宝寺中男子テニス部は揃いも揃って変態揃いか?思春期ってやつなんか?キッショいわ、まじで。そんでもって連中の視線の先にいてたまーにこっちに気づいて連中相手にまたいつもみたいにへらっと笑うあのひとも。笑っとる場合か。こいつらあんたの足だの腕だの腰だの見てにやにやしとる連中なんやで。ええ加減気づけやアホちゃうか。


「名字先輩、ほんまスタイルええよなあ」
「可愛いし優しいしで文句なしやん!あー付き合おうてくれへんかなー」
「アホか!オマエなんか相手にされへんっちゅーねん!」
「せやろなー人気あるし」
「まー付き合うんムリでも、一発だけでもヤ、」


丁度、たまたま、持ってたボールを同級生連中の頭めがけてスマッシュ決めたら、綺麗な音を立ててクリーンヒット。あかんめっちゃいらいらする。どうしようもあらへん位いらいらする。「財前!何すんねん!」「下らん話せんと練習せえや。休憩もう終わりやで」「そんだけかい!そんなもん言葉で言え言葉で!」せやかて言葉より先に手が出てしもたんやからしゃあないと思う。ぶつぶつ言ってた連中がコートに戻ったのを確認してから、ガットがゆるんだラケットを交換するため一人ベンチに向かう。こういうときはやっぱりテニスで発散すんのが一番いい。同級生なり謙也さん相手なり、思う存分この訳のわからんイライラぶつけたろ。ゆるんだガットをはじいてから、替えのラケットを探そうとテニスバッグを開いたときだった。ころん、と転がってきたのは見慣れた黄色いボール。誰や。こんなとこまで飛ばすノーコンおったっけ。そう思って顔を上げた瞬間、そこにいたのは俺をいらいらさせる元凶まさにそのひとだった。不意打ちの出来事に一瞬思考が止まる。




「ごめんね!こっちにボール転がってこなかった?」
「……もしかしてこれっすか」
「あっ、そうそうそれ!ありがとう、財前くん」



俺の手から黄色いそれを受け取って、そのひとはいつもみたいに笑った。いつも俺が見ている、へらっとしたあの笑みと同じものだったのに、どういうわけか俺はいらつきを感じなかった。それどころか時が止まったような気さえした。その後に、どきんと大きく心臓が波打った。振り返ってそのひとはもう一度「ありがと!」言って笑う。その姿を見てしても、やっぱりムカついたりなんかしなかった。ただただ大きくなりつづける心臓の音が身体全体に響いていて、それを止ませようとするのも忘れてしまった。…ようやく俺はイライラの原因がわかってしまったのだ。初めてあの笑顔に触れたそのときに。あんな短い会話のなかで、俺は答えを見つけてしまった。ふいに向けられた笑顔に、思いがけず呼ばれた名前に、今までの黒い感情が瞬時に全て理解できてしまった。...あかん、これは間違いなく、一番あってほしくなかった、最悪な展開や。


「おーい財前、何してんねん早よ打ちやー」
「…言われなくても打ちますよ」
「おまえな、人のこと散々言っといて自分かてぼーっとしとるやん!」
「謙也さんと一緒にせんといてください」
「ほんっま可愛くない後輩やな…ん?どないしたん、顔赤いで」
「………なんもないすわ」


俺が予想していたよりもずっとずっとその正解は「あかんやつ」やったわけやけど、一回自覚してしまったらそれはもう転がり落ちるのは早い。見る者全てが焦がれるあの白くて柔らかそうな肌や、人好きがする笑顔の裏に潜んでいそうな泣き顔とか、そういうんをどうしたら合法的に素早く正しく確実に自分だけのものにできるかを考えている自分がいて吐き気がした。これじゃまるで、俺が嫌悪してた所詮思春期真っ只中の連中とおんなじやないか。いや、違う。同じなんかじゃない。そんな浅はかな思いなんかであってほしくはない。全力で首を振りたいけれど、完全に否定しきれるわけもなくて、じりじり照りつける太陽にまるでそんな俺の浅ましささえも全て見透かされているような気がする。慣れたテニスコートでひどく居心地の悪さを感じながら、さっきあの人から向けられた笑顔を、心の奥底深いところに焼き付けるように何度も思い出していた。





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