小説 | ナノ



トロイメライは夜明けに響く


※大学生




「おいなまえ、またスーパーの格安肉買ってきやがったな」
「いいじゃん別に。だって安かったんだよグラム98円だよ」
「俺様に98円の肉食わす女なんかお前くらいだぜ」
「うるさいなもう。文句あるならいいよ食べなくて」
「食わねえとは言ってねえ。仕方ねえから食ってやるよ」
「......」


学校が終わって、今日はスーパーの特売日だから肉や野菜を色々買い込んで久しぶりに家でゆっくり料理しようと一人でうきうきしていたところ、そんな思いに水を差すかようにインターホンがけたたましく鳴ったのだ。「よう」ドアを開けた向こうにはキングが立っていた。入っていいとも言っていないのに、「邪魔するぜ」ずかずかと入り込んで私のお気に入りのソファにどっかりと座った。私はまたかとため息をついてドアのカギを締める。跡部がこうやって急にやってくることは別に珍しいことでも何でもないのでだいぶ今更なのだが、私の庶民料理なんて跡部の口に合うような高級食材を使っているはずがない。どうせ100g98円のお値打ち肉ですよ。ああだこうだと文句をつけるくせに、結局毎回完食する。かれこれ中学の時からの付き合いだが、いまだに全くもってよくわからない男である。


「ていうかさ、来る前に連絡してって言ってるじゃん」
「アーン?何か問題でもあんのかよ」
「問題っていうか、ビックリするでしょいきなり来たら」
「フン。やましいことでもあるんじゃねえだろうな」
「はあ?」


跡部はちょっと考えるみたいにしてから意味深にふっと笑った。やましいことってなんだ。おそらく、私にそんなもんがあるわけないと分かってて言っている。余計なお世話すぎる。


「おかわり」
「もうないです」
「ああ?」
「だってもともと一人分しか作ってなかったんだもん」
「しょうがねえな」
「えっ、ちょっと」


勝手なことを言って、跡部はキッチンに入り込んで、私の制止も聞かないままゴソゴソと勝手に漁りだす。しかし、跡部が料理上手なことを私は知っているのである。「座ってろ」「えっ」「余ってんのこれだけか?」お坊ちゃんのくせに、どうやってこんなに料理が上手になったんだろうか。やはり日頃から食べてるものが違うとこうなるのか。そして手際よく見た目的にも私なんかよりもずっと美味しそうで見たこともなければ名前も知らないようなものすごくセンスのよい料理を作って、「ほらよ」私に差し出すのだ。


「俺様の手料理食える幸運な女なんざ、世界中探してもお前だけだぜ」
「...いただきます」
「うまいか?」
「......おいしい」


フン、そうだろ、と跡部はまた笑うのだった。ものすごく嫌味な笑いだけどキライじゃない。悔しいけど。スーパーの格安肉はこうにも高級感あふれる料理になるんですか。悔しいけどものすごくおいしい。世の中の主婦が泣くだろう。跡部はおもむろに冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出してボトルのまま口をつけた。この間跡部が置いていったものだ。そうやって跡部が置いていったものはいつの間にか私の部屋の一部になっている。知らない間にどんどん増えていくんだから本当にたちが悪いと思う。ミネラルウォーターや歯ブラシから始まって部屋着だのタオルだの数え切れない。何度かクレームをつけたけど返事はいつも同じ「何か問題あんのかよ」だったのでもうとっくに諦めてしまった。


「食材を生かすも殺すも料理人次第なんだよ」
「悪かったね食材を殺してて」
「ひねくれんなよ。まあ、お前のも悪かねーぜ。庶民的で」
「褒めてないよねそれ!あのさ、ずっと思ってたんだけど、跡部ってどうしてわざわざ私のとこ来るの?」
「ああ?」
「跡部系列の高級マンション住んでてコックさんもいるんだから、わざわざ私なんかの庶民的な料理食べなくてもいいのに」


そうなのだ。跡部は都内屈指の高級マンションの最上階に優雅に住みながら、最低でも週一ペースで跡部のマンションの玄関程度しかないような私の狭いアパートにやってくる。謎すぎる。いつだったか、訪ねて来いと何度かしつこく言われて一度だけしぶしぶ訪れたけど、あまりの次元の違いにしり込みしてしまったので、私はそれ以後も誘いを繰り返す跡部に無理だと断ったのだ。思えば跡部が訪ねてくるようになったのはそれからだった。跡部は中学時代から変わらぬ美しい彫刻のようなお顔で私をじっと見つめる。「なに?」「そうだよな、昔からお前はそうだった」そうだった、って、どうだったっていうんだ。その内容はよくわからないけれど、決していい意味ではないであろうということだけはわかる。もはや皮肉でもなくただの悪口を言われたような気がして、黙っていられるはずもなく反論しようとしたけれど、食器を運ぼうとしていた腕をがっちりとつかまれてしまって何も言えなくなった。わずかに二の腕に食い込む掌の力が強い。跡部もやっぱり男の人なんだ、なんて当たり前のことを今更思ってしまって、心臓の隅っこが小さくどきりと音を立てた。


「ちょ、跡部?」
「本当に分かってねえのか、小賢しく分かんねえフリしてんのかどっちだ」
「なに、小賢しいって」
「何でこの俺がわざわざここまで来るか、本当に考えたこともねえのかよ」
「......」


正直に言えば、考えたことがないわけじゃない。だって中学のとき私は跡部のことが好きだった。まあ跡部は女の子からも全校生徒からもきゃあきゃあと囃し立てられていたから、その淡い恋心は早々に捨て置いてしまったわけだけど。それに友達としてのポジションのほうが何かと楽だし、そもそもだからこうやって跡部も長い付き合いのよしみでアパートに来てくれるんだし、それを甘んじて受け入れていた。それが恋じゃなくたって全然よかった。いや、むしろ、恋だったら困るから私は可能性をさっさと捨ててしまったんだ。掴まれた腕から熱が伝わってきてじんじんする。いつもと違う真剣な雰囲気は、まさしくあのころの氷帝学園のキングの名を彷彿とさせるような、ひんやりした冷たさのなかに確かな熱を持っていた。有無を言わさないそのオーラに圧倒されてしまって、思わず一歩足を引いてしまう。


「お前の悪いとこは、自信がねえとことひねくれてるとこだな」


あと、鈍感すぎるところもな。一気に手から力が抜けそうになってしまって、手にしたままだった食器が落ちる、と、思わず背けてしまった顔はあっけなく遮られた。柔らかく唇が触れたのだ。一瞬のことで、吃驚しすぎて目を閉じることも忘れた。手から滑り落ちた食器は床にぶつかることはなくて、きっと跡部が受け止めてくれたんだと思う。でも、もう食器どころではない。跡部のきれいに整った顔とかふんわり香る上品な香水とか私の頬に触れるごつごつした男っぽい手とか。全部。


...せっかく。せっかく考えないようにしていたのに。勘違いしないようにしていたのに。いつだって跡部はそんな私の苦労なんか全部なかったみたいにして。私がいくら足掻いたって離れようとしたって、絶対的なその存在感をもって全て蹴散らしてあっという間に距離を詰めてくる。もし彼が王子様だったとしたら、まるでお姫様にでもなれるんじゃないかって勘違いさせるみたいに。なんなの、やめてよ。そんな、そんなおとぎ話みたいなこと私に起こるはずがない。じわりと目頭が熱くなったのを知られたくなくてうつむいたのに、跡部はそのまま私の目線に屈んでぐっと顔を覗き込んでくる。


「いっつも強気なくせに、泣くほど嬉しいか」
「...自意識過剰すぎると思うんだけど...」
「俺はずっと待ってたぜ」


お前の手料理食えんのも、お前に料理をふるまうのも悪かねえけどな。どれだけ俺がお預け食らってじらされたか身をもって思い知れよ。跡部らしくもなく、だけど確信めいたその言葉に今度こそ目を見開いてみせたら、跡部はまた絶対的な瞳で私を捉えて笑う。待ってたって何。跡部、いつから私にキスしたいって思ってたの。お預けってなに。だって今までずっと、あんなに私に対して恋心のこの字も見せなかったじゃない、とか。聞きたいことは沢山あれど、とてもじゃないけど聞くことなんかできない。遠い昔の、封印して捨てたはずの恋心のはじっこが、再びざわざわと揺らめいている。


「自分を信じらんねえなら、代わりに俺を信じろよ。なまえ」


そう言って跡部はまた絶対的な瞳で私を捉えて、今度はゆっくりもう一度キスをする。このまま全て食べられてしまうんじゃないかと思うくらいにじっくり。それはまるで、塔の上のお姫様を目覚めさせる王子様のキスみたいでくらくらする。確かに私はお姫様なんて柄じゃないけれど、跡部が今私の部屋にいて、今までにないくらい絶対的な至近距離にいて、キスをしていて、それで、どうやら私のことが好きらしいという事実は。跡部景吾という圧倒的な存在によって是が非でも確信へと変えさせられるような気がする。だって、そうだ。私は中学生だったあのときから、どれだけ自分に自信が持てなくても、恋心に確信が持てなくても、跡部の背中を見つめて、ずっと跡部を信じてた。いつでも跡部の近くにいて、跡部だけを見ていた。だったらもうそろそろ、呪いを解いてしまってもいいんじゃないだろうか。




「ずっと好きだった」




まるで夢のような跡部の言葉に、いろんなものが一気に全部許されたような気がして。ゆっくり背中を撫でてくる熱い手のひらの温度に応えるみたいに、跡部の背中に手を回すことしかできなかった。長い長い夜のとばりがゆっくりと下りてゆく。







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