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まどろみの宝石




「…む」
「(む?)」
「む、…むえっくしょーい!」


百歩譲っても決して女の子らしいとはいえないくしゃみを盛大に放った私を、財前はまるで道端に落とされた紙くずでも見るかのような目で見下した。留まるところを知らない私の鼻の不具合と冷気を帯びたその視線。さっきからずっとこんな調子である。


「…あの、」
「何すか」
「言いたいことがあるなら、あの、はっきりと、」
「別にないっすわ」
「嘘だ」
「まあ、強いて言うなら」
「うん、言ってみな、青少年」
「鼻水たれとりますよ」


うそ、と私は忍足も真っ青なスピードで鼻に手をあてがうけれど、冗談すわ、しれっと言い放った後輩によって無駄な心配も消えてなくなった。じろりと睨んでみると視界がぐらりと歪んでげほごほ咳き込む。生意気なピアスの後輩がちらと私に目をやった、気がした。


「…ざいぜん、」
「今度は何すか」
「ぶかつ、行かなくていいの」


同じ委員会の後輩である財前は、図書当番中に意識を朦朧とさせてしまった私を放ってはおけなかったらしい。ついぞどのようにして私がここに運ばれたのかあまり記憶にないけれど、放課後の図書館で貸し出しカードにぺたんぺたんと判子を押していたらいつのまにか机にまでスタンプしてしまっていて、あれおかしいな、と思った矢先、先輩頭だいじょうぶすかとかいう呆れた声を聞いたが最後、そこから先の記憶がない。目を覚ましたら保健室にいた。どうやら熱が38度あるらしい。どうりで朝から頭がぼーっとすると思ったよ、と言ったら、ただでさえ愛想のない後輩がいつもの10倍くらい愛想のない声で、ほんま先輩アホなんとちゃいますか信じられへんほんまありえんすわ、と早口で冷たく言い放った。ほんまって二回言った。私はアホじゃない。アホっすわ。アホじゃない。アホやろ、自分の体調くらいちゃんと自分で管理してください。ごもっともである。しかし将来有望の選手をいつまでも私事で拘束するわけにはいかないので私は財前を部活に向かわせようとせかしている。委員会の時間はとっくに終わってしまって、空は夕焼けに包まれている。真っ白なカーテンが橙に染まっていた。


「当番やって言ってあるんで、平気です」
「いやでも、私ならほら、もう大丈夫だから」
「どこがっすか。つーか別に心配とかしとるわけやあらへんし」
「あ、そう…」


なんだよ。ちょっと心配してくれたのかなって、だから傍にいてくれるのかなって、思い上がった自分が恥ずかしいじゃないか。財前は優しさのかけらをちらりと見せたと思ったらあっという間にそれを引っ込めてしまう厄介な後輩である。だけど一年間も同じ委員会で同じ当番仲間である私には、財前が本当は心の優しい子なんだってよくわかっている。そうじゃなかったら、さり気なく私の荷物を運んでおいてくれたりなんて、きっとしない。


「財前、」
「ちょっとくらい黙っとられへんの、先輩は」
「ありがとね」
「だから別に俺は、」
「うん、知ってるけど、でも、嬉しかったから」
「…ほんまにアホや、名字先輩」
「うん、そうかも」


例えばお世辞にも軽いとは言えない私を、仮にも世間でいうお姫様抱きというスタイルで運んでくれたのが真実だとしても妄想だとしても嬉しかった。財前にとっては迷惑極まりなくても。きっとこれが財前のクラスで、いや学校で一番可愛いと評判の小柄でふわっとしたあの子だったら財前はもうちょっとこう、何ていうか分かりにくい優しさや、やわらかい雰囲気を全面的に押し出して看病したりするんだろうか。やっぱり、私ごときじゃ財前の特別にはなれないということなのだろうか、と浮ついた頭で考えた。…なんだこれ。恋する乙女か私は。柄にもないけど、そういうことなのだとしたら私の気持ちのあれもこれもすべて合点がいく。財前がはあと深くため息をついたのが聞こえてしまった。ああ、ごめんね、財前、迷惑かけて。どこまでもどうしようもない私でごめん。こんな私が財前をすきで。


「…何にやついとんすか、気色悪」
「んー、いや、財前はいいこだなーって」
「名字先輩、完全に頭沸いとりますね」
「でもね財前、そんなはねっかえりで素直じゃない財前が、私はすきだよ」
「…は」


そこで完全に私の意識は途切れた。はずなのだが、ふっと影が落ちて、ふわりと頭に心地いい重みを感じたような気がした。「…これやから先輩はほっとかれへんねん」ふわふわした意識のなかで、それが財前のてのひらだったらいいなあなんて、都合のいいことを考えていた。だけど、でも、そんなこと起こるはずない。



「早よ治して、もう一回ちゃんと言うてくださいよ、なまえさん」



だって財前は私のことをなまえさんなんて呼ばない。だからそんな言葉もきっと、熱が浮かせた幻だろう。





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