小説 | ナノ




息が詰まりそうに嬉しいなんて


※「聖なる夜のこどもたち」の続き










…やってしもた。



すうすうと、規則的に寝息を立てている彼女をちらりと見る。う、とたまに唸るたびにどきんとはねる心臓で、これが夢でないことを思い知らされる。…あかん。頭をかかえてぐしゃぐしゃとかきむしってそれでも景色は変わらない。わかってる。


「……やってしもた…」


何度目かわからない呟きをする。返事が返ってこないことは承知の上。なまえはうーんとまた唸ってから寝返りを打つ。布団がはらりと捲れて、白い太腿があらわになったので慌てて目をそらした。もう外が明るくなってきた。目を覚ましたらなまえがすっかり夜の出来事を忘れてしまっていますように。いや、それもどこか寂しいものがある。でも、…。そう願いながらその華奢な肩に手をかける。


「…なまえ、なまえ。もう朝やで、起きや」
「うー…」
「初詣、行くんやなかったん?」
「ん…、蔵」
「なんや?」








「最っ低」









―――は、と、目を開けたらまっしろい天井が映っていた。…夢か、なんちゅー夢を見とんのや俺は、がばりと起き上がってはあとため息をつく。もう一年も昔のあの時の夢を、今になってもまだよく見る。…多少、被害妄想により捏造されてはいるが。


事実として、年越しの夜のことをなまえは全く覚えていなかったようで、「あれ、私いつの間に寝ちゃったんだろ」なんてぽかんとした顔でこめかみをおさえながら言ったのだ。それに拍子抜けした俺はほっとしたような、でもちょっとがっかりしたような。覚えていたらいたでお互い顔を見ることもできなかっただろうし、これで良かったのかも知れない。第一、酒に酔った勢いでなんて分が悪すぎるし、彼女が眠りに落ちる前、俺のことをずっと好きだったと言ったのがもし酒のせいだったとしたら居た堪れなすぎる。もしも事実を追求しなければ、俺のことをただの幼馴染として認識するなまえと、恋愛対象として認識するなまえとが存在する。確率は五分五分だ。どちらが本当なのか、確認する勇気を俺は持ち合わせていなかった。だからこそ、あの日の約束に賭けてみようと思った。


なまえとはあれ以来ずっと、連絡をとっていない。大阪には帰っていないようだから、きっと変わらずここで生活しているだろう。前に一度だけ、街で偶然なまえを見かけたことがある。声をかけようかと思って息を吸い込んだとき、なまえが微笑んだのが見えた。隣にいた見知らぬ男は親しげになまえの頭を小突いていて、恋人同士でもおかしくないようなそんな雰囲気だった。吸った息をそのまま黙って飲み込んで、俺は踵を返した。俺の知らない、なまえを見た気がした。あたりまえだ。俺がいなくてもなまえはなまえの人生を歩んでいる。俺の知らないなまえはいくらだって存在する。そして俺だってなまえがいなくても、変わらずこの世界を生きている。


やっぱりあれは俺の都合のよい聞き間違いか、それか酒を借りたなまえの狂言か。今でも答えはわからない。イルミネーションが輝いて、もうすっかり夕暮れだ。約束した時間はもうとっくに過ぎていて、はあと何度目かわからない息を深く吐く。やっぱり覚えてるわけがない。あの燃えるような夜のことも、なまえは覚えてへんかった。大体、一年間一度も連絡をとらなかったのにクリスマスだけ一緒に、というのも随分都合のいい話だ。クリスマスを一緒に過ごそうといわれた時、ほんま寂しい女やなあ、とからかって笑ったけど、内心めっちゃ嬉しかったのをなまえは知るはずもない。だけど、ひょっとしたらなまえはもう今この瞬間、あんな約束なんか忘れてあの男と別の場所で寄り添いながら、美しいイルミネーションを眺めているかもしれない。そこまで考えてぶるっと身震いした。いらないことを考えたくない。ただなまえを待つのに専念することにする。


ねえお兄さん、一人?一緒に遊ばない?と、さっきから幾度なくかかる声にずいぶん辟易してしまって、悪いけど待ち合わせしてんねん、と毎回毎回同じセリフを言うたび空しい気分に襲われた。来るかもわからないなまえを、こうしてかれこれ6時間も待ち続ける俺も大概諦めの悪い男や。だけどもしかしたら、あと少ししたら、そんな淡い期待が消えない。これでもしなまえが来なかったら、きっとすっぱり諦められる。…そうや、今日で終わりにするつもりで俺は今ここにいる。


駅前は大変混雑していて、恋人や友達同士で賑わっている。ツリーの煌びやかなイルミネーションはちかちか、ちかちか。まるで俺の不安を照らしているように。きっとここになまえがおったら、綺麗やなあと正直に思えるんやろうけど、そういう気分には一切なれへんかった。カップルを見てはもしもあれがなまえと誰か知らない男だったらとひやひやするばかりで心は一向に落ち着かない。折角のクリスマスだというのに、少しも心は躍らない。やっぱり、隣になまえがおらんとあかん。そんなことを思った時だった。


ちらりと揺れた光の向こうに、佇むなまえを見つけた。一瞬幻覚かと思ったけれど、見間違うはずもない。間違いない、なまえだ。ぼんやり空を見上げて、はあと息を吐いて、白くあがった息が空に溶けて消えていく。きゅうと胸が苦しくなって目を細めた。イルミネーションが少しぼやける。


俺はさっき、俺がおらんくてもなまえの人生は続くし、なまえがいなくても俺の人生は続いていくと思った。だけどやっぱり、なまえに隣にいてほしい。あの日のように誰よりも近くで、ばかな話で盛り上がって、笑って、泣いて、触れあって、願わくばこんな風に一緒に季節をすごせたらどれだけ幸せか。それがこの一年間で痛いほどによく分かってしまったのだからどうしようもない。切羽詰った気持ちを落ち着かせるように、一度だけ短く、強く息を吸う。結果がどうであれ俺の気持ちは変わらない。しゃあないやろ。俺かてずっとなまえが好きなんや。はずみをつけて立ち上がって、祈るように地面を蹴る。最後の賭けや。






「お姉さん、誰かと待ち合わせ?」











人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -