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はるか遠くにおとずれた夜明け


思えば財前光という人は、いつだって何を考えているのかわからなかった。二人で並んで座って図書当番をしているときに何の脈略もなく、「付き合うてください」あっさりと告げられたそれは、私が思い描いているような甘い響きを伴うものとはまったく異なっていたので、職員室にカギを届けに行くことだろうかとか、帰りにコンビニにでも寄りたいのだろうかとか、そういう他愛のない会話の延長線上だと思って「うん、どこに?」と答えてしまったが最後、「はあ?」未だかつてないほどの不機嫌さを前面に出した彼は、「ありえへん」長い長い溜息を吐き出したのでどうやら意図が違っていたらしいとようやくそこで気づく。


他に付き合うという言葉が意味することはたった一つしか思い浮かばなかったけれど、そんな可能性を微塵も考えていなかった私は財前くんの方を見て固まる。だって普通告白というものは、お互いの目を見て行うものではないのか。財前くんはこちらをちらと見る風もなく、まるで貸し出しの時に返却日時を告げるのと同じ声色をもって言うものだから、自分の耳を疑った。危うく聞き逃しそうになった。


「そういうおもろないボケいらんすわ。彼女になってや言うてんねん」


どうせ先輩彼氏おらんやろ。と矢継ぎ早に告げられては、いつもの三割増しほど辛辣なこの態度が仮にも交際を申し込むときの態度だろうか?と思わざるを得ない。それに、どうせって何だ。まあ彼氏がいないというのは図星ではあるけど。いつもの憎まれ口のひとつと同じように言うものだから、やっぱりこれは聞き間違いなのではないかとますます困惑してしまい何も答えられず、頭はなんとか急いで情報処理をしようと必死だったけど無理だった。彼はそんな私の様子を尻目に一気に畳みかける。


「何か問題あります?」
「いや、問題っていうか…」
「ええって言いましたよね」
「それはそういう意味だって思ってなかったから、」
「じゃあ決まりってことで」


いやいや文脈がおかしい。一体何がじゃあなのか。色々言いたいことはあったのに、何一つとして言葉にさせてもらえず、やっと絞り出した疑問もことごとく無視された。こうして私の意見はほんの僅かも汲まれることなくして、あまりにも突然財前くんの彼女というポジションに収まってしまったのである。






そんなこんなで図書委員の先輩後輩という立場から恋人同士になったはいいが、財前くんの態度は付き合う前とさほど変わりのないものだったので、本当に付き合っているのか正直微妙であった。唯一変わったことといったら、部活がない図書当番の後に財前くんが家まで送ってくれるようになったことくらいで、いつもと変わらず他愛もない会話を繰り広げ、家の前に着いたら「ほんならまた明日」と挨拶をして去っていく。私が予想していた恋人同士の関係には程遠いものだったけれど、そのあとに届くラインが前よりも頻繁になっていたこととか。廊下で見かけたら軽く会釈する程度だったものが、声をかけてくれるようになったこととか。だけどやっぱりそれでも、本当に付き合っているのか友達に詰め寄られるほどに周りから見ても私と財前くんの関係は疑わしいものだったらしい。財前くんが見知らぬ女の子に呼び出されているのを見た。部活中にきゃあきゃあ黄色い声を浴びているのも見た。かわいいラッピングの差し入れを貰っているのも見た。私と付き合う前と変わらない風景だった。もしも財前くんがこういった女の子避けのために私と付き合ったとしても、これじゃ何の効果も得ていない。何のために付き合っているのか分からなくなるのも時間の問題だった。




卒業の日が近づいたある日、財前くんが焦ったように図書館の扉を少し乱暴に開けながらやってきた。いつもだるそうに現れるのに珍しい。財前くんはカウンターに私を見つけるなり、不機嫌そうに眉を顰めてそのままどかっと腰を下ろした。あまりにも素行の悪いその態度に吃驚した。雨の降る放課後、私たち以外誰もいなくてよかった。誰かいたら確実にクレームになっていただろう。


「どうしたの財前くん」
「どうしたのやないっすわ」


なにが、と言いかけた私の目を鋭く睨むと財前くんは、身体ごと私の方を向きもう一度真正面から私をにらみつける。あの日私の顔も見ずに付き合ってくれと言った時のことを思い出す。あの時とはえらい違いだ。


「聞いたで、先輩」
「な、なにを?」
「府外の高校受けはるって」


ほんますか。と言った財前くんはもはや不機嫌というより、怒っている領域のそれだった。担任の先生がちょうどいい推薦校があるから名字どうやと言ってくれた学校のことを言ってるのだろう。というか何で財前くんがそんなこと知ってるんだろう。


「府外っていっても京都なんだけど、」
「一緒すわ。どっちにしろ遠いやん」
「ま、まだ決まったわけじゃないよ」
「一瞬でも考えた時点で有罪や」
「有罪って…」
「なんで勝手に離れようとしてんねん」


財前くんが私の手首をつかんだ。手首をつかまれた衝撃と、本当に財前くんが発したのだろうかと思える発言に驚いて、私は何も言えないまま掴まれた手首を見つめる。だってまさかそんな。誰が予想できたというんだ、こんな。だって財前くんは私と付き合ってもいつもと何も変わらないそぶりをしていて、私と付き合ってることを公にするわけでもなく、こんな風に私に触ってくることだって一度もなかったじゃないか。それなのに、これじゃまるで。



「…財前くん、それってまるで告白みたい」
「は?」


財前くんが付き合ってくださいとあの日私に言ったのは、完全にただの気まぐれなのだと思っていた。別に私のことがすきだとかそういうわけじゃなくて、たまたま図書委員が一緒の先輩である私に対する単純なちょっとした興味とか特に意味なんてないとか、そういう。だから私もうぬぼれないようにしようと思っていた。別に財前くんは私が好きだから付き合ったわけじゃないんだって必死に思いこませて。勘違いしていたんだと知ってしまった時に、傷つかなくていいように、必死で。


「なんやそれ。俺あんたに付き合ってくださいて言いましたよね」
「で、でも私、好きって言われてない、」
「はあ?先輩、俺が好きでもないのに付き合うとでも思うてたんすか」


思ってましたと言わずとも、私の表情云々からそう解釈したらしい財前くんは、ちょっと気まずそうに私から目を逸らして溜息をつく。なんだそれは、遠回しにもほどがある。恋する乙女と呼べるほどではないけれど私にもそれなりに願望はあるので、付き合っている男の子から好きだと言われなければそれは不安になるし悲しくもなる。でもそれはもしかしたら、この目の前で少しうなだれたような雰囲気を見せる財前くんも同じではないだろうか。私は彼に付き合ってほしいと言われたあの日から今日まで、一度だって彼に好きだと伝えたことがあっただろうか。そう思ったら居ても立っても居られなくなって、勝手に口が動いていた。




「財前くん、好き」




今更何すかとか、知ってますわ、とか、いきなり何言うてはるんすか、とか。そういったいつもみたいに辛辣な言葉が淡々と返ってくるのだろうと身構えていたのに、私の予想とは裏腹に、財前くんの顔が火をつけたみたいにかっと赤く染まった。たぶんきっと私の顔だって同じくらいに真っ赤になっていると思う。空いた手で口元を隠しながら、それでも私の手首を離そうとしない彼を見て、あの日財前くんがどれだけの勇気を振り絞って私に付き合ってと言ってくれたんだろうとか、もしかして大事にしようと思ってくれていたんじゃないかとか、もっと早く私からいっぱい愛情表現してあげればよかったとか、推薦の話を断って今から受験勉強頑張ろうとか。そんなことを考えながら、財前くんが真っ赤な顔をしたまま、俺も好きですと言ってくれるのを待っていた。






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