小説 | ナノ




夢から醒める時


※竹谷が主人公を殴ります。注意。










あんな女のどこがいいの、と吐き捨てるように言った彼女に耳を疑ってから、かあっと熱を持った頭はそのまま制御がきかなくて、しまったと思ったのは振りかぶった拳を彼女めがけて降りおろした後だった。女を殴ったのは後にも先にもこれっきりだ。でも、でも、だけど。そのまま吹っ飛んで勢いよく木の幹に背中を打ちつけて、口の端から零れる血を黙って拭う彼女の瞳を見ることなんてできなかった。謝罪の言葉を紡ごうとして、そのまま口をつぐんでしまった。なんで俺が謝るんだ。だって俺は、悪くない。悪いのは、まるで虫けらでも見下ろすかのように冷たい瞳で俺を射抜いた彼女なのだ。なんで、なんでだよ。お前だって、あのひとのこと、好きだって言ってただろ?





「男ってホント馬鹿。みんな揃ってあの女に騙されて」
「なまえ、」
「だっておかしいじゃない。竹谷はそう思わないの?」
「…もう聞きたくない」



なまえはそのまま立ち上がって、何も言わずに俺を見ていた。いつもならくるくる変わるその表情も、今はまるで能面をかぶせたみたいな無表情。まるで今までのすべてが、嘘だったと錯覚させるような冷たさがそこにはあった。ひどい吐気と嫌悪が俺を襲った。



「竹谷、覚えてる?」
「…何を?」
「私が初めて竹谷に会った時のこと」
「…」
「私あのとき、忠告したよね」
「…なあなまえ、頼むから」



これ以上俺を幻滅させないで。顔を背けてそう言えば、なまえはそのまま口をつぐんだ。忘れるはずもない、俺たちの強烈な出会いはくのたま伝統の「洗礼」だった。何をどうされたかはちょっと口外できないほど、記憶の奥底深くに蓋をしておきたいような酷い出会い方を俺たちはした。それから交友を重ねて、いつの間にか好き合って、触れあって、愛し合ったりもしたけれど。でももう俺が好きなのは、俺が大切にしたいと思う女の子は、なまえじゃない。それは先のなまえの一言で確信に変わった。好きな女を悪く言われて、激高しない男がいたら見てみたい。あんなに、あんなに優しくていい子をあんな女呼ばわりするなんて、いくらなまえでも許せない。




「もう二度と俺の前に現れないでくれ」




でないと、次はきっと殴るじゃ済まない。
そう呟けば、なまえはうつむいてから、何も言わずに身を翻した。



















学園が襲撃されたと聞いたのは、普段真面目に着こなす装束を乱しながら兵助が部屋に駆け込んできた時だった。月も出ず、猫も鳴かない真夜中で、間違いなく奇襲の類のそれだった。急いで装束に着替えて用具を携え出てみれば、そこはすでに戦場と化していた。応戦するもの、砦を守るもの、下級生を逃がすもの、それぞれ。幾つもの赤い染みが飛び交って、まるで地獄絵図のようなそれに俺は思わず戦慄した。なんで。何がどうして、こんなことに。


「…食堂のお手伝いさん、いただろ」
「そうだ…!彼女、彼女は無事なのか!?」
「あの人、諜報だったんだよ」


兵助の言葉に俺は言葉を失った。頭が真っ白になって何も考えられなくなった。いくぞ、と兵助が俺の腕を引くけれど、俺はそれを振り払って、問うた。なんで、なんで、どうして、いったい、いつから。思い出すのは華みたいな笑顔だけだった。いつだって可憐に微笑んで、か弱くて、守ってあげたくなるようなそんなひとだった。学園のみんなに慕われていて、嫌うやつなんていなかった。何人もの忍たまが彼女に恋をした。一番じゃなくてもいいから傍に居たいと願った。俺もそのうちの一人だった。それなのに、どうして、






『みんな揃ってあの女に騙されて』






―――なまえ。なまえはもしかして、全部分かっていたんじゃないのか?だからあんなことを言ったんじゃないのか。そうに違いなかった。だって彼女は学園一優秀な生徒だから。それになまえは、理由もなく誰かを悪く言ったりするやつじゃない。そう気づいた瞬間、まるで頭の中にずっと漂っていた甘い靄が消えていくような気がした。そんな簡単なことに、どうして俺は気がつかなかったのだろう。どうかしていた。どうして俺は、なまえを信じてやれなかったんだろう。



「…なまえは…?」
「は?」
「なまえ、なまえはどこにいる!?」



八、と兵助が戸惑う瞳で俺を制した。制止するそれを振りほどいて俺は駆け出そうとする。俺は彼女に、何をした?何を言ってしまったんだ。謝らなきゃ、今すぐに。なまえに会わなければ。俺はあいつに、酷いことをしてしまった。許されないかもしれない。だけど謝って、抱きしめて、ごめんって、それで、それで。




「…八、」
「止めないでくれ兵助!俺、なまえに酷いこと、」
「……なまえは半年も前に学園を辞めたじゃないか。嫁ぎ先が決まったからって」





初めて会った時彼女は笑って、だけど確かに言ったのだ。
女は恐い生き物なのよ、なめてかからないようにね、と。





――ねえ竹谷、わたし、忠告したよね。




なまえの言葉が頭を廻れど、時すでに遅し。竹谷、と俺を呼ぶ鈴のような声も、屈託のないその笑顔も、すぐに強がる横顔も、あたたかな温度も、なにもかも。あんなに傍にいたなまえのひとかけらも、俺はもう思い出すことができなかった。







人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -