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王子さまのキスの呪い


正直に言おう。私は幸村精市に恋をしていた。していた、と過去形なのは文字通りそれが過去のことであり、今現在は彼のことを特に何とも思っちゃいない…と言い切ることはできないが、少なくとも恋心を薄めることには成功しつつあるからだ。


幸村くんとは立海に入学したときから奇跡的にかれこれ3年間同じクラスだけど、まともに話したことは数えるくらいしかない。さすがに名前くらいは知っていてほしいがそれすらちょっと微妙な、まあ所謂ただの同じ学校の生徒である。

幸村くんと初めて出会ったときはまるで雷に打たれるような衝撃を受けたのを今でも覚えていて、入学当時の幸村くんは、そこらの女子になど決して負けないようなかわいらしい風貌をしていた。まあ男子の制服を着ていたので、男の子だということは火を見るよりも明らかだったけれど、男の子にしておくには惜しいほどの可愛さを引っ提げて幸村くんは私の世界に登場したのだった。こんな可愛い子がこの世の中に存在するのか!と私はたまげた。


かくして私はといえば、そこらへんによくいる、この間まで小学生だったただの平凡な女の子だったので、かろうじて性別が女である私みたいな女の数百倍も可愛らしい幸村くんのような子がこの世に存在するのかと分かってしまっては、自分が仮にも女の子であることに対して恥ずかしくなり、自信をなくし、1年生のころはだいぶ大人しく学校生活を過ごしていたが、どういうわけか2年生に入って少ししてから、いつまでもくよくよ凹んでいるわけにはいかない!と謎の一念発起をして、俗にいうイメチェンというやつを徐々に果たしていったのだった。

イメチェンといっても、お手本にできるような存在が当時いなかった私は、お姉ちゃんの部屋にあるギャル雑誌をこっそりと隠れ読み実践していくというなんとも無謀なスタイルをとってしまったので、そのイメチェンが成功だったのかどうかは正直微妙である。

髪の毛を染めてみたり、スカートを短くしてみたり、制服を着崩してみたり、色々と試していった結果、類は友を呼ぶルイトモの法則で私の周りにはだんだんギャルやギャル男が集まるようになって、引っ込み思案で大人しかった性格もそれに伴って随分社交的になっていった。同時に委員会のつながりで知り合ったテニス部の仁王と丸井もなかなかに気が合って、たまに屋上で一緒に弁当を食べたりするようにもなった。時々私が仁王と付き合っているだの丸井と二股をかけているだのという、根も葉もない噂が飛び交うこともあったが、それを伝えるなり仁王はいつもにやにやと笑っているその口元を珍しく引き結びだんまりをきめ、丸井はなぜか青ざめて、殺されたくないから絶対にイヤだと言ってのけた。誰が誰を殺すっていうんだ。まったくもって失礼な話である。でもそんな噂も、毎回3日もすれば不思議なことに綺麗さっぱりと消えてしまうから特別気にもしていなかった。


仁王や丸井と軽口をたたくような仲になっても、幸村くんと会話をする機会は一向に増えたりはしなかった。まあいつも私が一緒にいる友人たちの顔を思い浮かべたら、それは当然のことではあるのだが。私が幸村くんと仲睦まじく話などするが最後、幸村くんが名字にカツアゲされているだの私が幸村くんをたぶらかしているだの、幸村くんにとってものすごく不名誉な噂が流れて終わると思う。たとえ噂が3日で消えるとしても、一瞬でも幸村くんの名を汚すような噂を流されてはたまらない。だから私はなるべく幸村くんには近づかないようにしようと決心したのであった。

そんなこんなで私がじたばたしている間、幸村くんはテニス部に入り、全国でも名の知れる強豪である立海テニス部の中でも、先輩たちを差し置き群を抜いて強いと噂になっていた。入学当時女の子のようにかわいかった幸村くんは、学年を重ねるごとにその繊細そうな美しさを残したまま、どんどん男の子らしさを兼ね備えてかっこよくなっていき、女の子たちからも噂されるようになった。今頃幸村くんの良さに気づいたのかと何故だか誇らしいような気持ちになり、そんな彼の姿を毎日目で追っていた。

一時期幸村くんが入院して、テニスができなくなるかもしれないと風の噂で聞いた時は真っ青になったけれど、それでも接点のない私がどうにかできるはずもなくて、クラスのみんなでお見舞いに行くときに同行し見舞いの花を渡したくらいだ。そこから幸村くんが華麗なる復活を遂げたものの、残念ながら立海の全国優勝はなし得なかったが、それよりも私は幸村くんが大会後の全校生徒の前での結果報告会で、いつにも増して凛とした表情を携えて前を向いて立っていたのを見て、幸村くんがまたテニスができるようになったことが自分のことのようにうれしかったのと同時に、ここまで血の滲むような努力をして這い上がってきた貫禄を持つ彼には、自分など到底釣り合わないんだということを嫌というほど実感したのだった。



そして先月担任から配られた最終進路希望調査票を見つめて、あと少ししたら幸村くんともお別れなのだと思うことによってさらにこの恋心を薄めようと努力している。


このクラスで出してないのはお前だけだから早く出せ、というお達しを受け、私は放課後の教室で一人まっしろなままのそれと睨めっこをしていた。いつもつるんでいる友達は、それぞれ目指している進路はきちんとあったようで、決まってないのなまえだけじゃない?もうめんどいなら附属にしたらいいじゃん。それか好きなことできるとこにすれば?という至極まっとうなアドバイスを投げかけ、私を置き去りにしてさっさとカラオケに行ってしまった。

好きなことといわれても。この3年間で頑張ったことといえば、成功したかどうかわからないイメチェンと、幸村くんを目で追いかけることくらいだ。彼がまっとうに部活という青春を謳歌している一方で、私の中学校生活はいったい何だったのだろうか。情けなくため息が出てくる。何だかんだ言いつつも、まだ幸村くんのことが頭から離れない未練がましい自分にも。





「まだ残ってたの、名字さん」



教室のドアが開いた音がしたので振り返ろうと思ったら、振り返る前に声がして思わず私は肩を揺らした。振り返らなくてもその声の主が幸村くんだと分かってしまった私だが、それよりも話しかけられたことに驚きであるとか、幸村くんが私の名前を知っていたことに驚きであるとか、二人っきりで話す機会なんてかれこれ3年間一度もなかったのにどうしようとか、色んな感情が頭の中をせわしなく駆け巡っていた。不意打ちすぎる。でもいつまでも背中を向けたままでは失礼極まりないと思って、覚悟を決めてゆっくりと振り返った。


「えーっと、その…進路調査票、まだ書けてなくて。幸村くんは?」
「俺は部活の指導が終わったところ」


ああ、そうなんだ。と何もない風を装って言った声は揺れていなかっただろうか。さすが強豪校だけあって、引退してからも部活の指導とは熱心だ。忘れ物でも取りに来たのか、幸村くんがドアを後ろ手で閉めてゆっくり教室の中へと入ってくる。


「名字さん、まだ進路決まってないの?」
「あ、うん…特に行きたい高校もないからどうしようかなって」


よもや幸村くんが私の進路先を気にするだなんて露ほども思っていなかった私は若干戸惑ったが、きっとこれもろくに話したことのないクラスメイトと会話を繋げようとしてくれる幸村くんなりの優しさなのだろうと思って返事をし、「幸村くんはどこの高校行くの?」社交辞令を繋げようと笑顔を作った。


「俺は立海附属だよ」
「そっか、幸村くんもエスカレーター組なんだ」
「大体みんなそうなんじゃない?名字さんは違うの?」
「うーん、できれば外部がいいなって思ってて」
「どうして?」


気づけば幸村くんが私の隣まで来ていたようで、座った私を見下ろしていた。「どうしってって、…」あなたのことを忘れたいからです、とか、私もあなたみたいに何か別のことに打ち込んでみたいなって思ったからです、とか、またイメチェンの時みたいな謎の一念発起をバカ正直に答えられるはずもなく、しどろもどろに答えを濁している間に幸村くんは私の目の前の椅子を引いてそのまま座った。そ、そこ、幸村くんの席じゃないんですけど。幸村くんは、目を丸くしたまま何も言えずにいる私をじっと見つめて、にっこり笑った。ああ、やっぱりかっこいいな、なんて呑気な頭で思っていた。


「附属にしなよ」
「えっ、」
「その方が楽だろう?」
「いや、まあ、そうなんだけどさ…」
「俺もその方がありがたいから」


いや、そうじゃないと困るんだ。幸村くんがさっき私に社交辞令を言ってくれた時と同じようににこにこと笑っている。笑っているけど、その笑みがどんな意味を込めた笑みなのか理解しがたくて、ついでに何故私が立海附属に行ったら幸村くんがありがたいのかも理解しがたくて、私はぽかんと口を開けたまま幸村くんの言葉を聞いている。


「目の届かないところに行かれたら困るんだよ」
「え…ど、どういう意味?」
「またおかしなイメチェンされたら堪ったもんじゃないからね」
「!?」
「名字はそのままが一番かわいいのに」


おかしなイメチェンと言われたのを心外だと思う隙も与えずして幸村くんがとんでもない爆弾を落とした。なんだろう、これは。私はもしかしてついに幻覚を見ているのか?幸村くんが私をか、かわいいなどという世界がこの世に存在するはずがない。反論しようと思って口を開くがあっけなく幸村くんに遮られた。


「俺を忘れようとしてるんだろう」
「な、」
「なんで分かるの、って?分かるよ、名字のことなら」
「じょ、冗だ」
「冗談じゃないからね。本気だよ俺は。名字が変なイメチェンに走ったきっかけが俺だっていうのも、下らない噂を気にして俺に近づかないようにしてたのも、俺のことがずっと好きだったのも、それを終わりにしようと思ってるのも、全部知ってるよ。だってずっと見てきたんだから」


名字こそ、俺のことずっと見てたくせに気づかなかったの?本当に馬鹿だね名字は。そこが可愛いけどね。と幸村くんは相変わらずの笑顔で言う。私は一つ一つの爆弾を処理することができないまま、一体どこから突っ込めばいいのか、またまた御冗談をと笑いたかったのにそれも阻止されて、まるで私の言いたいことなど見透かされているかのように次々と私の言葉を遮った幸村くんは、じっと私の目を見つめる。



「俺に何も言わせないまま逃げるなんて許さないよ、なまえ」



意志の強い瞳の中に私が映っている。やっぱりこれは幻覚なんじゃないかと思った。だって、もうあの頃の可愛い幸村くんの姿はどこにもない。こんなに笑顔でさらっとさりげにひどいことを言い、貶されているのか思わせぶりなセリフを言われているのかどっちなのかもうよくわからないし、いつの間にか名前を呼び捨てにされてるし、ついでに好きだとばれている。

でもひとつだけ分かることは、いま私の目の前で私をまっすぐ見つめているのは、私が3年間恋焦がれて、ずっと目で追っていて、ずっとずっとかっこよくなった幸村精市その人に違いなかった。そして私が何度も何度も壊れた人形みたいに頷くのを、満足そうに見て、王子様みたいな笑顔でまた笑うのだ。






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