小説 | ナノ
飛び込んでよミルククラウン
※「乱反射するプリズム」の続き
男の子はニガテだった。どうして、って、理由はあっけないくらい簡単で、小学生の時に男の子たちにいじめられたから。それからずっと、男の子は怖いもの、からかうものなんだってわたしの意識の中にこびりついてしまっているせいか、中学にあがって最高学年になる今でもそれは改善されていない。
だから、わたしは自分で自分の今の状況が信じられなかった。あの一件以来白石くんは、廊下ですれ違ったりわたしのクラスに用事があって来る度に、必ず人当たりのいい笑顔で話しかけてきてくれるのだ。初めこそ戸惑って、どうしたらいいかわからずついつい知らんぷりみたいになってしまっても、それでも白石くんは私に優しく接してくれる。そのうちわたしも本当にちょっとずつだけど、色々話ができるようになってきて、すれ違った時に笑って手を振る、くらいは自分からもできるようになった。今までのわたしにしては偉大なる進歩だと思う。
白石くんは、もしかしたらいい人なのかもしれないと初めは思っていたけど、接するうちに、本当に優しくっていい人なんだなぁ、と確信に変わっていった。どうやら彼はテニス部の部長さんで、友達いわく、この学校に白石蔵ノ介を知らない生徒がいるなんてありえない!らしい。そんな彼が、どうしてわたしなんかに好きだと言ってくれたのか、そこはまだよく分からないけれど。でも彼が話しかけてくれる度、今までとは違うどきどきを感じたり、笑いかけてくれる度に嬉しいと思っている自分がいた。
委員会が延びて遅くなってしまった放課後、玄関を出たところで声が聞こえた。時計をチラリと見やれば、もう部活も終わる時間だった。部活を終えて帰ろうとしている団体を前方に見つける。ひときわ目立つ、きらきら夕陽に当たって光ってる色素の薄いミルクティーみたいな髪。どきっと胸が鳴った。白石くんだ。と、いうことは、テニス部だろう。このまま行けば追いついてしまう。みんなでワイワイしてるのを邪魔するのも悪いけれど、でも黙って通り過ぎるのも感じが悪い気がする。ばいばいって、それだけ言おう。そう思ってどぎまぎする心臓を落ちつかせながら、白石くん、勇気を振り絞ってそう声をかけようとした時だった。
「ちゅーか、白石まだ手こずってるらしいやん」
「あー、名字さんやっけ?」
「まあそれでも進歩しとるほうやで」
「時間かかりすぎちゃいます?」
「まあ何でもええけど、罰ゲームなんやしちゃんとやりやー」
「自分らなぁ…人ごとや思て」
罰ゲーム。そう言ったよね?確かに聞こえた。白石くんに告白された時、罰ゲームですか?と聞きそうになったのは、もしかしてわたし、本能的に分かっていたのかもしれない。そうだよ、分かってた。白石くんみたいなすてきなひとが、わたしみたいな子のこと、好きになるはずがないって。
じゃり、後ずさりしたらローファーがすべって音を立てた。それに気づいたらしい黒髪で目つきの鋭い男の子が、「…あ、」ぽつりと言ったら、白石くんたちもそれにならって私のほうを振り返った。白石くんがびっくりしたみたいに目をまあるくしていたけれど、何か言われるよりも先にわたしは走り出していた。何か言われるのが怖かった。何を言われるかなんていやでも分かる。だから、逃げたのだ。
全速力で走って帰って部屋に飛び込んで、布団にもぐって泣いた。小学校で男の子たちにいじめられたときよりもずっとずっと、泣いた。
*
幸いなことに、次の日は土曜日でその次の日は日曜日だった。土曜日はまだ、部屋に篭ってひとしきり泣いていたけど、日曜日になってさすがに心が冷静になってくると、腫れた目をどうにかして落ちつけようと鏡の前でにらめっこしていた。だって明日学校を休んで、白石くんにそのせいだって思われたらいやだから。わたしならぜんぜん気にしてないよ、だから白石くんも気にしないでね、っていうふりをしなきゃいけない。
「名字さん、」
なのに。神様っていうのはいじわるで、玄関で朝一番、バッタリ白石くんに会ってしまった。昨日あんなに決心したし、言う言葉だって何度も練習した。掴みの正門のボケも、いつもより気合入っとんなぁと先生に褒められたのに。わたしの脆弱すぎるこころは、いざ本人を目の前にすればガラガラと音を立てて簡単に崩壊してしまう。ひゅっと胸がつかえて、反射的に逃げようと白石くんの脇を通りぬけようとしたら、いつかみたいに腕をがっちりと掴まれて、私の逃亡計画はあっけなく終わりを告げた。
「は、はな、離して…」
「いやや」
あんなに泣いて、泣いて、もう枯れただろうと思ってた涙が瞳にうっすら膜を張るのがわかった。いやだ、白石くんの前で泣きたくなんかない。泣いてしまったら、まるでわたしが被害者みたいじゃないか。悪いのは白石くんじゃなくて、少しでも期待をしてしまったわたしなのに。
「ちょっと、来て」
そのまま腕を引かれて、何事かとみんなの好奇の視線が突き刺さるのを嫌というほど感じたけど、それでも白石くんはきつく握った腕を離そうとはしてくれなかった。あんなにやさしそうに笑うのに、私の腕を離そうとしない力はすごく強くて、やっぱり男の子なんだって実感して、更に泣きそうになる。連れてこられたのは屋上で、まるであの日みたいな優しい秋風が吹いていた。でもあの時と比べて確実に変わっていることといったら、私の彼に対する気持ちだ。白石くんはくるりと振り返ってわたしの手をようやく解放すると、「…ごめんな、」掠れた声で呟く。
「こないだのあれ…聞いてしもたよな?そんで俺、ほんま、」
「あ、謝らないで、白石くん」
大丈夫、分かってるから、とわたしはかぶりを振って、無理やり笑った。つられて笑ってくれるかと思ったのに、白石くんは反対にますます苦いような表情をする。どうして、白石くんがそんな顔をするんだろう。
「罰ゲームって、ちゃんと分かってるから。ごめんね!面白い反応できなくって。白石くんがわたしのこと好きなはずないもん、」
「…全然分かってへんやん」
突然視界がまっくらになった。真っ暗というか、真っ黒、と言ったほうが正しいかもしれない。視界の端っこにチラリと映るミルクティ色で、ようやく頭が状況を理解し始める。白石くんに、抱きしめられている。
「し、白石、く…」
「泣かせてごめんな、」
「え、」
「ぎょーさん泣いたんやろ?」
見ればわかるわ、そう言って白石くんは少しだけ身体を離して、わたしの目の端っこを、つ、となぞった。校門の先生にも、玄関ですれ違った仲のいい友達にだって気づかれなかったのに。
「名字さんのこと、絶対傷つけないって、誓ったつもりやったんやけど」
罰ゲームにしてはできすぎているお芝居だ。白石くんの身体が、ほんの少しだけ小さく震えている。それに気づいた途端に目頭がかっと熱くなった。そのまま視界の中の白石くんがぼやけて、でも必死に泣かないようにと目元に力を込めて涙をこらえる。白石くんはまたそっとわたしを抱きしめると、今度はぎゅっ、と腕に少しだけ力を込めた。
「俺、言うたよな?俺のこともっと知ってもらってからまた告白するって」
「う、ん…」
「好きや」
「名字さんが好き。めっちゃ好き。せやから俺と、付き合うてください」
二度目の告白に、今度は戸惑いを感じなかった。罰ゲームかどうかなんてもうどうでもいい。だってわたしは、白石くんのことが好きなんだから。…いいのかな、わたしで。そう呟けば、アカン訳ないやろ、俺は名字さんがええねん。そう言って白石くんはあの日みたいにほっぺを赤く染めて笑った。男の子のことを可愛いなぁって思って胸がきゅんとしたのは、生まれて初めてかもしれない。
その後罰ゲームが、「好きな人に告白する」というものだったと聞いて、わたしが脱力するのと同時に「ごめんな。こうでもせえへんと一生告白できへんでって言われて、それもそやなって思うて」と眉を下げて笑う白石くんのことをまた、かわいいなぁって思ってしまったのは内緒にしておこうと思う。