小説 | ナノ



きれいね。


人は恋をすると綺麗になるっていうけど、それじゃあいつに恋をしているわたしはどうして綺麗にならないのだろう。




毎日、昼休みになると必ず仁王はうちの教室にやってくる。

「名字、英語の教科書かして」
「やだ」
「なんでじゃ。冷たいのう」
「あんたに貸すと返ってくるの3日後なんだもん。柳生くんとかに借りればいーじゃん」
「柳生のクラスよりこっちのが近くて便利じゃし」
「じゃあ柳くんとかは?」
「あいつのはびっしり書き込みしてあって怖い」

いいじゃろ、すぐ返すから、とあいつはからから笑って言ったのだ。ちくしょうめ、いっつもこのパターンだよ。そんで私は仕方ないなって貸してしまうんだよこれが。のそのそと英語のそれを差し出したら、ありがとさん、にこりと微笑むから、それでわたしはまあいいやって思ってしまう。それに、返すときにまた会えるんじゃないかって、ばかみたいな期待もしてる。

髪を切ったって、グロスの色を変えたって気づいてくれない鈍感なこいつに、だ。仁王は満足そうにぱらりとそれを捲って閉じた。そんなの、面白くもなんともないって分かっているだろうに。そしてヤツの視線は決まったところに泳ぐのだ。私はそれを追わない。


「ヒュウ、今日もキレーやの」
「あったりまえじゃん、ミス候補なんだし」
「ほんっと、同じ女とは思えんのう」
「ほっとけよ」


ミス候補と比べられちゃたまらんよ。わたしはプイとそっぽを向くと仁王を手で追い払った。早よ帰っちまえ、このばか!どうせわたしは綺麗でも可愛くもありませんよ!ついでに言うなら男のお前のほうがずっと綺麗だよちくしょう!小汚い文句は口から飛び出るはずもなく、ただの嫉妬として心のなかに沈み込む。そうやって溜まった黒い池がわたしをますます醜くさせてるような気さえするのだ。そりゃこんなどろどろした思いを胸に秘めてるんじゃ、綺麗になんかなれっこない。


「そんなに好きなら話しかければ?」
「いや?別に好きなわけじゃなか」
「嘘つくなよ。あんた毎日見に来てるじゃん。私を使ってさ」
「ついでじゃついで。お前さんに教科書借りるついで」
「ついでがメインかと思ってた」


ははっ、と、軽い声で仁王が笑った。私と話すときに、くしゃりと笑ったときの顔がとてもすきだ。こんなこと絶対いえないけど。それにしてもミス立海の呼び名が高い彼女もとんだ罪つくりだ。嫉妬というより大変うらやましい。わたしが仁王にきれいだなんていわれたらきっと失神してしまうだろうのにな。


「ミス立海もまんざらでもないかもよ」
「うん?」
「だって仁王のとこちらちら見てるもん」
「ほほう」
「体育のときは特に」


私はなんでこんなことをぺらぺら喋っているんだろう。口を動かすたびに、同じように胸もずきずき痛むというのに。わたしはMなんかじゃない!はずなのに、なんなんだろうこの自分いじめ。私も大概馬鹿だと思う。鈍感すぎる仁王をばかだと心で罵るあたり、どうかしている。悪いのは詐欺師のくせに鈍感な仁王でも、美しすぎるミス立海候補のあの子でもなくて、間違いなく綺麗でもなく平々凡々なわたしのほうなのだ。そんな私の心境など知るよしもなく、仁王はふうんと言ってもう一度彼女のほうを見た。綺麗な綺麗なあの子のほうを。きっと仁王も可愛い子より綺麗な子が好みなんじゃないかなって思う。だからわたしがいくら努力したってむだなのだ。まるでお人形さんのように綺麗な彼女に勝てる気なんかこれっぽっちもしないもの。いくら頑張ってもわたしは、仁王の視線の先に佇むことなんてできないに違いない。案の定、仁王の視線はまだ彼女に注がれているようだった。そんなの見たくもないので視線を伏せる。次の瞬間「…ふっ」吹き出したようなへんな音がした。


「なんで笑ってるの」
「おかしくてのう」
「は?なにが?」
「あれは、俺を見てるんじゃなか」
「はい?」
「俺じゃのうて、お目当ては丸井」


けらけらと、からかうように仁王が言うので一瞬目が点になった。「それにしてもお前さん、よく見とるんじゃのう。俺んこと」なんだ、彼女は丸井くんを見てたのか... っていうかそれどころじゃない。反論しなければ。にやにやと意地悪く笑う仁王がそこにいた。


「…よく見てる?わたしが?」
「そう。じゃなきゃそんなこと分からんじゃろ」
「べつに見てないし!たまたま目に入るだけで」
「ふーん?」
「なにその笑い!むかつくからやめてよ」
「何そんなに動揺しとんじゃ」
「別にしてないから」
「あれ?てっきり俺は、名字が俺のこと好いとうのかと」


思ったんじゃがのう、はずれ?と、しらっと言ってのけるので一瞬だけ反応が遅れた。はずれ?じゃねえよ!この詐欺師!わたしなんかからかって何が楽しいというのだろう。タチが悪すぎるお遊びだと思ったらなんだか悲しくなってしまった。やっぱり、仁王はからかいのつもりでしかない。そしてそれは一生変わらないような気さえした。いやわかってたけど。現実をこれでもかと突き付けられたような気がして、絶望的な気分になった。


「…あんただいぶ自意識過剰なんじゃないの」
「おかしいのー。読み違えた?」
「は?なにを?」
「お前さん最近綺麗になったじゃろ。俺のためじゃなか?」


今度こそわたしは絶句した。顔色ひとつ変えずになにを言い出すんだこの男は。髪色を変えたって、アイシャドウを変えたって、なにしたって、ひとことも言わなかったくせに。いっつも彼女ばっか見てたくせに。私を足がかりにしてたんじゃなかったの?そんな思いもぜんぶ、口から出ることなんかなかった。何も言えず固まった。そんな私をよそに、仁王の形のよい唇はこりもせずにまだ動き続ける。心臓の音が妙に大きく聞こえた気がした。


「それとも何?お前さんもブン太がお目当てか?」
「そういうわけではないけど…」
「だったら他の男のためにめかし込んどるの?面白くなかー」
「ああそうですか、どうせわたしは面白くな…、え!?」
「お前さん、俺が何のためにミス立海見とったのか分かっとらんようじゃのう」
「は…」
「鈍くてかわいいなまえちゃんに、嫉妬してもらうため」


呼吸も心臓も止まるかと思った。いや、実際止まったかもしれない。「なあ、俺のためじゃろ?」仁王がもう一度言った。いつも私をからかってばかりいる瞳がめずらしくちょっとだけ揺れていた。わたしは思わず口を開く。


「…わたし、ずっと仁王が鈍い男だと思ってた」
「はは、そりゃ見当違いやの。俺が名字の変化に気づかんわけなかろ」


急にきれいになるからちょっと焦った。ああ、そうやって嬉しそうに笑うあなたのほうが何倍も、誰よりもずっとずっと、きれいなのに。夢なら醒めないでほしい。言わずに消してしまうはずだった感情と言葉がふつふつと湧いてきて、だけどなんて言ったらいいのかわからないまま、仁王がわたしの指先を優しく握るまで、ずっとうつむいていた。






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