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墜落


※仁王がひどいです








これだからこの男は嫌なのだ。人の気持ちなぞこれっぽっちも汲まないこの男は。




「…いまなんつった?」
「あれ、聞こえんかった?」
「聞こえたかもしれないけど空耳だったと信じたい」
「何じゃそりゃ。残念ながら空耳じゃなかよ」
「あーなんか耳のへんでざわざわ言ってる。やっぱ空耳だそーらーみーみー」


耳に手をあててあーあー言いながら塞いだり開いたり。私のそんな健気とも言えるべき努力は、目の前で嫌味な笑顔を浮かべる男によっていとも簡単に一蹴されたのだ。やっぱりむかつく。ふと意味ありげに笑った顔を睨むのにも疲れた。もう帰りたい。


「名字さーん。人の話はちゃんと聞きましょうねって教わったじゃろ」
「聞こえないもんは聞こえないんですー」
「シカトはいじめの第一歩」
「仮にいじめだとしてもあんたは間違っても傷ついたりしないだろうが」
「あー、酷いの。さすがの俺でも傷ついた」


いたいけなハートはぼろぼろじゃ、と演技くさく言うので、鼻で笑い飛ばしたのだ。誰がいたいけだって?ばかじゃないの、と何度目だかわからない罵倒を呟いたのに、それすらも笑みで包括される。なんだこいつMなんじゃないの?え、ドSと見せかけといてM?うわ、ありえない気持ち悪!


「私用事思い出した帰る」
「だーめ」


ドアをまんまと塞がれて、私は逃げ場を失った。…いや、違う。初めから逃げ場なんかなかったんだっけ。この男の目に留まってしまったらおしまいだと解っていたからこそいままでずっと、関わらないように穏便に生きてきたっていうのに。なんだ。なんなんだこの仕打ち?


「…通して」
「嫌じゃ」
「私帰りたいんだけど」
「だめだって」
「あのね、いい加減に…!」
「ちゃんと、俺の話聞いてくれたら、」


考えてやってもええよ?耳元で低くてよく通るあの声がした。びくっともろに体が反応してしまって、頬に熱がたまったらしい。そりゃそうだ。耳元でいきなりあんな、むだに色っぽいと称される声を聞かされては、嫌でも。反応してしまう自分がとてつもなく嫌だ。そんな様子を見て「耳、弱いんじゃの」くすくす笑う男をにらみつける。ばかやろう、弱くもなんともねえよ、お前のせいだろう、この遊び人!


「あれ、感じた?」
「馬鹿も休み休み言え!あんたほんとむかつく、ほんっとーにむかつく!もう帰る!」
「そうじゃのう。名字の返事をきいたら」
「はあ!?」
「いい加減あきらめて、俺と付き合いんしゃい」


何度も言わせなさんなって、と私の腕を掴んで言った、ので、今度こそ頭にきてしまってその手を振り払った。「触んないでよ!」頭に血が昇ってぐるぐるしてしょうがない。気持ちがすこぶる悪い。なんで、なんだってまたこの男は、


「…絶対いや」
「なんで?」
「なんでも」
「それじゃ納得できんな」
「納得できないのはこっちだから!だって、あんた…」
「あんたじゃなくて雅治」
「うっさい!あんたなんかあんたで充分なの!だって、」


私の目の中の色はたとえるならたぶん、灼熱の赤だったんじゃないかと思う。例の切原くんとやらじゃないけど。それは明らかに怒りの赤なのに、それを解っていてなお微笑を続ける詐欺師が、とてもとてもとてもとても、憎らしく思えて、同時にとてもかなしくて、本当にとんでもねー男だと思った。こいつに出会ったことが私の人生の運の尽きだろう。こいつはいつだって私の頭をパンクさせにかかっている。




「彼女いるくせに、別の女と付き合うの?」




「あー…、まあ、そういうことになるかのう」
「冗談じゃない!最低だよねあんたほんと、ウワサ通りの詐欺師だよ」
「好きなように言ってくれて構わんよ。痛くもかゆくもなか」
「ほ、ほんとに最低だな!あんたの女遊びに付き合ってる暇、私にはないから」
「まあそう言いなさんなって。満更でもないんじゃろ?」


言葉の意味がわからないという風な顔をしてみせたら、「ばればれじゃ。可愛いのう」したり顔で言うのでもうほんとうにどうしようもないと思った。せめてひたすらそれを隠しとおそうとして、「はあ?何言ってんのかわかんないんだけど。自意識過剰もいい加減にしてよ」と言ってみたけど、きっと隠し通せてなんかいないんだ、そんなことは解ってる。ただ、今までのそういうすべての努力が無駄だったんだなあと思えたら、また頭に熱が溜まったような気がした。同時に、いつもこの男の隣にいるかわいらしくふんわりとしている、まるでお人形のような女の子のことを思い出してしまって、ますますどうしようもなくなった。


「俺、いまお前さんに興味深々でのう」
「しらねーよ!彼女大事にしろよって話だよ」
「別れるのも面倒だから、同時に付き合うことにした」
「ことにした、じゃないから!浮気だからそれ!とにかく私は嫌だ!」
「心配しなくても、最後には名字をとるよ?」
「だったらせめてちゃんと別れてから言えよ」
「だってあいつ話聞かんのじゃけん」
「カップルの喧嘩に私を巻き込まないで!」


「そういうわけで。俺と付き合ってくれんかのう、なまえ」



何がそういうわけなんだよとか、あんたなんかに呼び捨てられる筋合いないわ、とか、言ってやろうと思ったのに、飛び出したのは「…ばっかじゃない」震えを隠しきれなかった言葉で、心のなかで渦巻いたのは唯一、本当はずっとこの男に言ってほしかったたった一言だけだった。ほんとうに、どうしようもない。こいつも、私も。神様仏様、どうかこの最低最悪な男を一思いに地獄に落としてやってください。






(最大の汚点は、私がこの馬鹿男に惚れているということだったの)




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